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人生は、もしかしたら私が想像するよりも、ずっと長いのかもしれない
場所を問わずに働きたい、が私の最初の一歩なら、もうそのフェーズは終了したのではなかろうか、ということに気がついて久しい。
人生に家は必要ない、の仮説を検証したくて、というか実際にいらない、と思っていて、家をなくして自由を謳歌してみたけど、そろそろまた別のフェーズに移行してよいのでは、という時期が来た。
から、新しい選択としての定住を選んでみた。この選択からも、やはり少し経つ。
この事実をあんまり積極的に口にしなかったのは、体調が悪い時期と引っ越し(というよりはただの入居だ、運ぶ荷物などそんなにない)が重なったことと、私のことだからもしかしたら何か心変わりがあるかもしれない、という保険を暗にかけてしまっていたのかな。
結論から言うと、ただ私は海外を自由に旅することより、心の底から安心できる、好きな人との暮らしを選びたいと思ってしまったのだ。
恋をした、というだけの話ではある。何も高尚じゃない、目新しくもない、想定の範囲外でもない。
でも、一年くらい考えて、いやそれは言いすぎか、数ヶ月かけて国内外を移動しながら考えて、色んなことを比べたり考えたり差し引きしたりしながら、「彼と暮らす」ことを選んだ。
スリランカでカレーを食べていても、トルコでケバブを食べていても、ノルウェーでサーモンを頬張っても、「彼と食べるご飯の方がおいしい」と感じていたし、会いたかった。
それがただ、日本だっただけ。スペインならそこへ行ったし、メキシコでも先に行って待ってるくらいの勢いで行っただろうし、遠い離島だって、知らない国だってよかった。
「これが正解」「人生をかけて追い求めたい」と思っても、一年とか二年じゃなくて、もう少し長いスパンで物事を経てみたら、「自分が変わる」と感じることは往々にしてあり得るらしい。という「経年変化」みたいなことを、日々感じながらおもしろく見つめている最中なのが、最近の私だ。
そういえば、20代や30代前半の過ごし方についてはなんとなくイメージができていたけど、40代とか50代とか、きちんとわかるか、と聞かれたら「どんな感じだろう?」ともやがかかったみたいになる。
不安に思った私が最初にやったのは、40代以降の諸先輩方の生き様が垣間見られそうな、小泉放談、という本を読むことだった、なぁ。そういえば
大切なのは、ひとつひとつのフェーズと瞬間を、きちんとやりきっていくことだろうというのは変わらない。そうしないと、どのみち「次に進む」がきれいにできない。
ただ、その一方で「美しい夢は夢として取っておく」みたいな、たとえば旅で言えば、「死ぬまでに行きたい場所リスト」の中で、ずっと入れてあるけど、本当は「みんなが行きたいって言ってるから、なんとなく入れ続けてる。本気じゃないけど、うっすらとした憧れ。のようなものを、手付かずでひとつでもいいから残しておくこと。
そういうことが、人生を絶望せずに、望みを持って、生きられる飴玉みたいな存在になるのではなかろうか、とか。
「人生は、30代の私が想像しているよりも、ずっと長いのかもしれない」。振り返ったら、きっと短いのかもしれないけれど。
そんな風に、通り過ぎてきた経験たちと、これから迎えるべき数年と数十年、土地、ひと、なにを成し遂げたいのか、みたいな話。
たとえば今日の雨が上がったばかりの朝方なんかに、窓際の植物たちに水をやりながら、「もうすぐ晴れ間が差すんじゃないか」とぼんやり考えながら。そういうことに、最近よく想いを馳せたりしている。
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