「後ろめたくない私」でいることが、旅と移動の最低限の準備 #清潔のマイルール
世界が突然変わった、2020年冬のこと
コロナが始まった頃、なんて、もう随分と昔な気がしてしまうけれど、あれは2020年冬のこと。いまからちょうど、3年ほど前の出来事だ。
それまで、国から国へ、街から街へ、固定の住まいを持たずに、気分や季節に合わせて移動する「旅暮らし」を満喫していた私は、「その日の気分で国境をまたげなくなった」「それどころか、県境、町境、いや、友だちの家においそれと遊びに行く『敷居またぎ』すら簡単にはできなくなった」状況に、全人類と同じように驚き、戸惑い、そして正直撃沈していた。
「どこにも行けない」——。
それは、私をはじめ、このnoteを読んでくださっている旅好きな方全員が、距離の長短の差はあれど、もう全員が思ったことだと思う。
わかる。頭ではわかっている。世界はそれどころではなかったし、私の移動欲や旅が私にもたらす幸せよりも、いま世界には重要で、優先すべきことがたくさんある。
が、しかし。いくら頭ではわかっていると言ったって、気持ちの整理は追いつかない。2020年の3月、4月、春がある程度過ぎる頃までは、2〜3日置きくらいに、発作みたいに「どこかへ行きたい!え!?いけないの!?うそでしょ!?!発狂しそう……!」とソファの布地をかきむしりたいような衝動にかられていた。
「どこにも行けない」。
その暮らしが数ヶ月続き、ようやっとはじめての緊急事態宣言が明け、人々が移動を再開し始めた、2020年夏の始まりの頃。関東で暮らしていた私は、それまでぼんやりと想像していた「沖縄移住」を実行に移そうか、と考えるようになっていた。
「よし、沖縄に移住します」
お付き合いを始めたばかりの彼は、東京で持ち家暮らし。簡単に巻き込むことはできないし、私も軽やかに単身で、責任を持つのは己のみという状況で沖縄に行くことを希望した。彼が暮らす東京と、私が暮らしたい沖縄の2拠点暮らしという内容の遠距離恋愛で始まった恋だった。
まぁ、そんな恋の話はいいのです。
とにかく、この時世界は未だコロナまっさかり。日本はそもそも島国だけれど、沖縄はもっとわかりやすく「島」だった。東京者の私が、受け入れてもらえるか、暮らしやすいかはわからない。その上、沖縄にいる時に再び緊急事態宣言が発動された場合、東京に戻るのは難しいだろうということも、容易に想像できた。
それでも。私は夏の季節を愛しすぎているからこそ、今まで世界中の夏を求めて旅を続けてきた。この状況下で日本にいるなら、私は最南端の沖縄で暮らしたい。意を決してフライトを予約し、翌月には東京を離れることにした。
何からやればいいんだろう?
とはいえ、移住など初めてのことである。
そもそも、私の沖縄歴は数回の旅行のみで、地縁もなければ血縁もない。沖縄といっても本島や離島などいろいろあるが、沖縄のどこで暮らすのか。家探しはどうするのか、予算はいくらか、車がないと厳しそうだが購入するのか、全体としての費用はどれくらいかかるのか——。
また、ここ最近の人生は、「荷物は機内持ち込みサイズのスーツケースと、リュックのみ」だったので、家具家電をはじめとするいわゆる家財道具というものも、文字通り一切所持していなかった。テーブル、ベッド、本棚どころか、フライパンも調味料もティッシュペーパーも洗剤もクイックルワイパーも枕カバーも何もない。なーんにもない。ふむ。
「移動はいま、善なのか」考えなければいけないこと
けれど、そういった大量の現実的な日々の課題よりも、私には考えなければいけないことがあった。それは、「そもそもだが、果たしていま、長距離移動をしていいのだろうか」という大きな問い。
繰り返すが、世はコロナの全盛期。不要不急の移動は控えるよう促すアナウンスが至るところで鳴り響き、生活必需品を買う時に並ぶスーパーのレジの前後の人の近さに多くのひとが恐れ慄き、帰宅時は外気に触れたすべてのモノを消毒してから家に入るひとが増えている、というニュースが多く流れている頃のこと。
考えれば考えるほど、移動はやっぱり善ではなかった。控えられるなら、控えるべきというのが正論だった。
けれど、何度自問自答しても、「私の今後の人生は、沖縄で暮らさねば拓けない」という気持ちが消えなかった。
それならば。この時代に移動をするならば、せめて世の中のガイドラインを守った上での、自分なりの移動のルールも設けようと心に決めた。
「清潔な私」でいることが、精一杯の誠意であってほしい
私が心がけた「移動ができる私でいる」ために設けたマイルール……いわば「清潔のマイルール」は、たとえば以下。
要約すると、とにかく私は、「清潔な自分でいる」ためにできること、思いつくことは全てやろう、と決めたということだった。この頃から、なんとなく自分の中に、「清潔履歴」みたいなものが出来上がりつつあることを感じていた。
コロナ以前、世界中を旅して、自分の常識が他国では非常識になり得ること、他国の日常が、日本の慣習では無礼だとされることもあると知っていた。
同じように「清潔」の価値観も、国はもちろん、個々の基準の中にしかない。
同じ日本といえども、清潔に対する意識は千差万別。私が「私なりに」清潔を気にかけたところで、一度移動を実行してしまえば、他人にとっては何の意味も持たない局面も多いだろう。
けれど私は、「清潔」でいることが、お邪魔させてもらう土地に対してのせめてもの「誠意」だと考えるようになっていた。それは言い換えれば、旅先に対して「後ろめたくない私」であろうと務めることでもあった。
この時代に、せめて「移動できる私」でいようとすることは、この時代においてさえ「やはり旅が最上位の幸福だ」と自覚している私にとって、最優先すべき事項になった。
「うそやごまかしがないこと」私にとっての清潔のマイルール
「清潔」という言葉には、「汚れがなくてきれいなこと」という意味合いと、もうひとつ「行いや気持ちにうそやごまかしがないこと」という大きくふたつの意味合いがあるそうだ。
私は、前者のとりわけ実践的な、消毒をするとか、マスクをするとか、そういう対症療法的なことの徹底を通して、後者の意味合いの「うそやごまかしのない、清らかな私でいる」ことを目指したかったのだと思う。
また、これは予想外の副産物だが、「後ろめたくない私」でいようと心がけることは、移動以外の暮らしにも大きな変化をもたらした。
たとえば、風邪を引かなくなったし、料理は楽しくなったし、家の清潔環境を保つための、最新の掃除家電や生活家電の購入が暮らしへの投資だと感じるようになった。
免疫力を高めるための薬草茶をよく飲むようになったし、むやみやたらに誰かと会いすぎるということがなくなった結果、大切な人たちとの距離は縮まって、人生に必要なことは何かを考えやすくなった。
可処分時間も増えて、極端な話、生きやすくなってきた、ような気もしている。
あの頃決めた私の清潔のマイルールが、正解だったのかは今もわからない。けれど「この世界を前向きに生き抜きたい」という気持ちで定めたマイルールは、いつしか習慣となり、2023年を迎えた今でも私の中に残っている。
今回のコロナに限らず、これからもきっと世界は大きく変わることがあるのだろう。その変わりゆく世界の中で、つねに「うそやごまかしのない私」でいるためのアップデートをこれからも続け、その土地の環境や持続可能性を壊すことのない、できるだけ清らかな私でいられたら(これを私は、勝手に「清潔履歴を美しく保つ」行為だと考えている……!)。
いつの時代においても、「次はどの街にお邪魔させていただこうか」と世界地図を眺める幸せが、この地球で続いていってほしいから。そう小さく願いながら、今日も旅人と土地にとっての清潔とは一体何なのかを、考える日々。
いつも遊びにきてくださって、ありがとうございます。サポート、とても励まされます。