屋根の下雨音響けば、私たちはどう生きるかにぶつかって。
水が、どうやって成り立っているかということよりも、私は「その水をどう飲むか」ということに。興味を持ってしまっていると自覚する。
昨夜から、いえもしかしたらそれよりも少し前からずっと、だったかもしれない。屋根に響く雨音の気配、一筋のしずく、私を濡らす、きっとそれは国や街が変わっても。rain on the roofという名前の店の中、「君たちはどう生きるか」に向き合いながら、本筋とはすこし違うことを私は想う。
あなたと飲めば味は変わるし、気温が変われば様子も違う。異なる姿になることだってあるだろうし、必要な量もそれの手に入れ方も、私たちはいつも違う世界に生きる。
いつだって色のつかない中立な立場のはずであるそれも、色や塩が入れば味はもちろん存在意義だって変わってしまう。そしてそれはいつか、だれかの頬を伝うかも知れなくて。
久しぶりに、そう本当に久しぶりに。どうして私は、一度でも一瞬でも、ことばを連ねることを離れてしまっていたんだろう?
愛している。あいしてる、と心で想う。離したくないの、離れたくないの。エゴでもいいから、ひとりにしか届かなくてもいいから。そんなことを言ったって、届けたいの。連ねたいの。それが私の生きる意味と重なって。
出口を、求めて。水もことばも私も流れる。そう本当に久しぶりに、私は遠くへ遠くへと行きたいと考え始めていた。まだ踏んだことのない土、眺めたことのない空、英語ではない国、10時間やそこらでは到達できない地球の裏側。
ひとりで歩く世界は道は、その角を曲がる時のときめきは果たしてそうそう、どんなだったことでしょう? 忘れかけてしまっていた。あのときめき、高揚、解放感。情緒と色香と潤いと輝きを乗せて。とめどなく。
***
「2年前に出会った君は、もっと楽しそうに笑っていた」とあなたの言葉にまるで頬を打たれたように、はっと目線を上げて見つめていた。「もしかして、そうかもしれないね」と認めざるを得ない夜。
笑って飲んで、起きて眠って食べて笑って。はしゃいで走り、原付きを飛ばして森をくぐり、「なんだそんなことで疲れちゃったの? 明日も明後日も外へ行って遊ぼうよ、世界はこんなに、きれいなのに」と微笑んで。
国が変わればビールを変えたし、睡眠なんてあってもなくても一緒よ、と托鉢を見てナイトマーケットが現れるのを夕陽を見ながら待っていた。ラオス、旅をしたあの日々は、世界を初めて長い足でめぐっていて。
「2年はそんなに、ひとを変えるの」と驚いてた。自覚すらなかったの、弱っていること、旅が遠のいていたこと、先へ進むのか、足踏みするのか、走るのか、巻き込んでいいものか。
きっとそろそろ、雨はやむんだと想う。グラスの中に揺れる水は、三軒茶屋で飲んでもアイスランドで飲んでも、キューバで飲んでも同じことを思い出させる。
ところが、冷たい水の味がどんなものかということになると、もう、君自身が水を飲んでみないかぎり、どうしたって君にわからせることができない。誰がどんなに説明してみたところで、その本当の味は、飲んだことのある人でなければわかりっこないだろう。(引用:君たちはどう生きるか)
本当の味なんて、正解を求めてしまう限り、答えなんて人の数だけあるだろう。大事なのは、どこを見るか、何を人生で、求めるか。
「どっちを選ぶの。答えは急がなくて、いいけれど」とあなたは言う。別に僕と誰か、とかってことでは全然なくて、「私が何を、選ぶのか」について彼は問う。3つ目の答えは、ないのかしらと私は想う。
どうして今の手のひらの中に、選びたいカードがあると決まるんだろう? 既存の価値観か新規か、なんてふたつにくくれるわけもなく。いつかまた、新しいカードが空から降ってきて、それが選択肢だと思えるまで。
もしかしたら私は、地球を歩きながら、また探すのかもしれないって、すごい笑いながら、楽しい気持ちで。わくわくが戻ってきたよ、とあの頃の私に伝えたい。
いつも遊びにきてくださって、ありがとうございます。サポート、とても励まされます。