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混沌と喧騒と迷路、ときおり見える広い空【モロッコ・フェズ】

その日の朝、目が覚めるとリヤドの中庭から、カチャカチャ、という食器の鳴る音がした。ナビルがミントティーを淹れて、オムレツを焼きながら私が階下へ行くのを待っている。彼は私がすこし疲れているのを、言葉が通じないのになんだか分かっていてくれる気がした。

初めてモロッコで目を覚ましたあの日、私はアザーンというお祈りの声を、暗がりの中でひとり耳をそばだてて聞くことになる。

モロッコへ来て1週間ほどが経つ。それでもまだ、私は気持ちの整理ができていない。

今は、とても不思議な人生の段階なのだと思っていた。今までで一番何かしらのひと段落がついた時で、やりたいことや行きたい場所にあらかた星マークが付けられて、そして身の回りが不気味に静かになっている時のような気がした。

選択肢はたくさんあって、それでいて選べるものは少なそうな時代だった。いや違う、選びたいといえるものが、まだ目の前に、ない。

そのくせ、頭は今までで一番混乱していた。心がやっと、日本からぴたん、と音を立てて距離を置こうとしてくれていた日だった。

混沌とした頭で、混沌とした国へ。最適の選択だったような、挑戦的すぎる決定だったような。なにもいま、こんなにも喧騒と刺激と愛らしさと危険が混じり合う場所へ、足踏み入れずとも。

それでもモロッコという国は、泣きたいほどに魅力が詰まった世界だった。もしここに、去年旅をはじめたばかりのまだ20代だった私が、訪れたならば。

違う人生を歩みたいと言い出していたかも、しれないほどに。深く奥まで、入り込めそうな。そして潜ったが最後、もう二度と後戻り、できない。

モロッコの男性は、私を笑わせるのに本当に長けているような気がした。

非日常が日常になってしまったと、痛感して打ちのめされる想いがした。であれば私は、これ以上純粋な心で非日常に身を浸している場合ではなさそうだった。というよりも、もうそれができていなかった。

とすると、次は、暮らす、毎日へ、か。人生の目的にもう一度手で触れて、形を探り出し、いろいろなコトやモノの段階を移すときが、今なのだと。私は今回の旅に出る前から、ずっとずっと思っていて、そしてそれを目の前にして、やっぱりまだ泣きたくなるほど美しい異世界の街並みを前に。心定められずに、今はゆっくりと休みなさいと思って、けれどそれができずに。

そうまだ私は、モロッコの混沌と喧騒と美と恐怖と孤独の間で、文字通り迷路の街で、迷って、いた。

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伊佐 知美
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