眼が世界を追わない分、言葉が世界を追いたがる【アメリカ・ロサンゼルス】
暮らす場所を探しているのかもしれない。もしかしたら、世界を巡りながら。と私は想う。日本が深夜、ロスの日曜日の昼のこと。
朝からまだ今日はなにも食べていなくて、ずうっとお腹は空いていたし部屋に食べるものもあったのだけれど、やっぱり食べる気があんまりしなくて、寝転んだり、じいっと空を見たり、メッセージを返したりしていた。
けど今日はダウンタウンからサンタモニカへ宿を移す日だし、天気は相変わらず雲ひとつない初夏の快晴だし、風は気持ちいいし出かけたい場所はたくさんあるし、このまま画像の整理なんかをして過ごすにはもったいなかった。
だから、ブランチがてら歩いたのだ。ダウンタウンの、グランドセントラルマーケットへ。
今回はカメラを置いてでかけたので、全部iPhone撮影です
けど、昨夜友人とナイトクラブみたいな場所で遊んでいた時に痛感したように、私は現・地球人の大人の中では最弱の部類に入る体型をしているようだし、半年ほど旅をお休みしている間に、バックパックはめちゃくちゃ重く感じるようになっていた(!)。
それは今日、一晩明けてグランドセントラルマーケットのタイ料理屋さんのカウンターに座っている今も、まったく変わらない事実のようだった。
なぜロサンゼルスくんだりまで来て、タイ料理なんだろう?ハンバーガーもパスタも好きだ。けどなんか、あったかくてお米の、食べ慣れたものが食べたかったんだよねぇ。
グランドセントラルマーケットは大きな市場。地元の人に愛されるだけでなく、観光客にも人気のランチスポットのようだった。
オープンエアの席、大きく開かれた入口をくぐると、天井の高い一階のフロアはまるで体育館かのように奥に広く、手前にごはん屋、奥に食材売り場が置かれていた。
手前から、メキシカン、パストラミサンド、ドイツソーセージ、とんこつラーメン、ドーナツ、アイスなどなど各国の食べ物が「これでもか」。店と店が碁盤の目状に美しく並ぶ中、人はいつだってひしめき合って、荷物を抑えながら歩くのがやっとだった。
音楽は、わいわい、わいわい。それぞれの店から流れるヒットチャートや、お国のメロディ、人々が様々な言語やトーン、感情で会話するこのホールは、まるでたくさんのラジオが同時についているようだった。
そこに、ヒトリ。自由だな、と私は想う。
タイ料理は、世界を旅していても時折選ぶ。すぐに思い出すのは、スウェーデンのストックホルム近郊の小さな町へワンデイトリップで出かけた時に、北欧の器や工芸を見ながら、なぜかグリーンカレーをオーダーしたときのこと。
すこし、心細くなると選ぶのだ、きっと。タイは、もう「到着したら安心する国」になっていた。今も、タイの人たちが、カオマンガイやガイヤーン、トムヤムクンなどを調理して働く様に、どこか癒しをもらっている。
遠くのカウンターの席に、熱心に店内の絵を描く褐色の肌の女性が見える。食事はもう終えたのか、目の前にはもう水しかない。
店と店の間に区切りはないから、ひっきりなしに彼女の後ろをお客が通る。タイ料理に興味がない人も、隣の店でアイスを買うために並ぶ人も、カオマンガイを作る彼女も、みんな彼女の手元を見てた。
もちろん私も、さっき彼女の後ろを通る時、まだタイ料理を食べると決める前、そのスケッチブックをのぞきこみ、淡い水色の彼女の描く世界を見た。
世界の描き方は、さまざまだ。ただ私は、文字と写真を愛しただけ。ほかは選ばなかった。その気持ちは呪いとなって、私を縛ったりはしないだろうか?
暮らす場所を探すために、もしかしたら旅をしているのかもしれない、と私は想う。なぜだろう?こんなにたくさん街を見たのに、まだここ、と決まる場所は出会えてない。
知ってるのだ。そんな場所はないのだということは。理想の場所はどこにもなくて、あるのは種。そこに何を見出して、現実と折り合いつけて、そしてそれを土台にどう理想郷を創ってゆくか。
ホントウノコトは、積み重ねることでしか磨かれない。分かってはいる。分かってる。けれど、まだ街と街の移り変わりが心を奪う。
彼女の絵は、ついぞ完成したようだった。次々に、店員がスケッチブックを写真に撮らせてもらってもいいか、と質問する。隣り合っていた客たちも目と目を合わせてウインクする。相変わらず音楽は各店から流れ続けていて、人々の口からもメロディは流れて、誰かは怒ったり、いつかは泣いたりしていた。
さっき、宿を出る前、一生懸命noteを書こうとしたのに全然言葉が出てこなかった。初日の不安を途中まで書いたのに、なんだか言葉が負のオーラを発してしまって、自分でも当てられてしまったのだ。そんな文章も悪くはないけど、別によかぁない。
なのにどうして、街へ出るとこんなに言葉が降ってくるんだろう。そして私は、それを綴るのをやめられない。
旅は、いい。夏も、いい。つま先と踵を順に浮かせて前へ進めば、昨日は見ることのできなかった景色に出会う。
「物はなくなるかもしれないけれど、身は守ってくれるから」と、三軒茶屋を出る直前に、同じく世界を旅する友人がお守りを3つもくれた。「物がなくなるのは嫌だよ、大切なモノはいっぱいあるし」と笑いながら受け取ったけど、うれしかった。「神さま、喧嘩しちゃうかもしれないけれど」と笑う君は、新調したリュックにそれを結ぶ。
2ヶ月、さぁ私の日々は、うまく回ってくれるだろうか。言葉のエンジンはかかってきたみたい。今日はカメラを置いてきた。難しいな。眼が世界を追わない分、言葉が世界を追いたがる。
noteを書き終える頃、絵が上手い彼女はもう消えていた。
いつも遊びにきてくださって、ありがとうございます。サポート、とても励まされます。