ずっと忘れていたこと
私には小学校の先生を目指した時期がありました。
そもそも、なぜなりたいと思ったんだろう…なることを辞めて以来、それについて深く考えることもしなかった為、すっかり忘れていました。
でも、ひとつ前の「体育祭でランデブー」を思い出した際、あぁそうだったんだと思いました。私が学級会で黒板に皆んなの意見を書いて振り返った時の、あの景色。クラスが一体になって、楽しくて、みんな目がキラキラしてて、あったかい…あの景色。あの景色を見たい。きっとできる。そう思ったんだったと気付きました。
板書のことは、いつも考えてました。
「先生、もっと分かりやすく大きく書けばいいのに」「私ならそこ、色を変えるのにな」「もう少し工夫したら、分からない人も分かるんだと思う」
そう思ってました。
私の住んでいた地域では、田舎すぎて塾がなかったため、中学三年生になると、みんな遅くまでお互い教えたり教えられたりしていました。そんな中で、簡単に分かりやすく楽しく教える(表す)ことに関心を持ちました。
学級会では、みんなが分かるように見やすいように全力で板書しました。振り向いた時のみんなの笑顔がほんと優しかった。私の板書を全員が見て理解していること。そして、私が声を張り上げなくても大丈夫だよ、という応援の気持ちがとても伝わってきました。
「先生になろう。みんながわかる、みんなが理解できる、そしてできないことはカバーしあえる、そんな温かい空間を作りたい」
そう思ったんだったと気付きました。
でも私は高校から徐々にどんどん自信を喪失していきました。大学を卒業する頃は、罪悪感がすごくありました。私は子供達に教えることに値しない人間だと思うようになっていました。中学のあの思い出も偶然からできた幻だった。そうに違いないと思うようになっていったのです。
でも、あれから長い時間が経って、今やっと優しい風が吹いています。
私は私のままでいい。
たとえ小学校の先生としてじゃなくても、あの優しい空間は作ることができる。
何かそんな気がする今日この頃なのです。
今日も長い独り言にお付き合いいただき、ありがとうございました。