もっと語りたい。インチャケアからオープンダイアローグへ
昨日のブログで、インナーチャイルド・ケアとオープンダイアローグのことを書きました。
今日は、昨日のブログに対しての、自分からのアンサーブログみたいな感じになりそうです。
タイトルを「インチャケアからオープンダイアローグへ」にしたことについて、自分ツッコミが入りました。
「これではいかにも、インナーチャイルド・ケアの先にオープンダイアローグがあり、一直線上にあるように語っているように見えるかもしれないぞ」
と。
インチャケアの先にオープンダイアローグがある、といいたかったわけではなかったので、もう少し細かく語ってみようと思いました。
(インチャケアを深めると、オープンダイアローグにたどり着く、ということではなく、インチャケアの円とオープンダイアローグの円が重なり合っている部分が大きい、みたいなイメージかしら)
インチャケアは、とてもすばらしいメソッドです◎
わたしがやっているインチャケアのベースは、
→今の自分が苦しい・困難だと感じる事柄が起きたとき
→小さい頃に同じような気持ちになったことがないかを振り返り
→その記憶が見つかったら、小さい頃の自分は本当はそのときにどうしてほしかったのか、どうしたかったのか、をわがままに、自分だけの気持ちを大切にしてことばにし
→かつてあった願望そのまんまをイメージの中で叶えてあげる
→過去のイメージが書き換わり、今の自分が癒される
というような仕組みです。
とってもかんたんに、説明しました。
実際にやってみると、なかなか本当の願望が出て来なかったりします。
そんなこと思ってはいけない、という無意識な抑圧のくせがどうしても出てきたり、小さな頃の記憶の中の親や先生や友だちに気を使ってしまったり、自分の願望なんて叶うわけがないと思い込んでいたり、もうそれはさまざまな理由で、本当の願望が隠されている場合が多いです。
今の自分にとって、苦しいことであればあるほど、イメージの書き換えはむずかしいものになります。その場合は、何度も何度も、同じ場面の書き換えにチャレンジしていきます。
そうすると、自分自身がことばにしたためたことで少しずつ癒されたり、本当の気持ちに近づけたり、客観的に見ることができるようになったりして、少しずつ少しずつ、認識が明らかになって知らず知らず、癒されていきます。
イメージが書き換わったあとは、同じ事柄で、同じ苦しみを味わうことがなくなっていきます(もし、まだ苦しいよ、ということでしたら、それはまた違う記憶にひもづいている可能性があります)。
そんなふうに、具体的に細かく記憶を捉えることが、根っこの癒しにつながっていく、みたいな感じです。
その、「知らず知らず」というところが、オープンダイアローグでわたしたちが大切にしている「すきま」と重なるのかもしれません。
オープンダイアローグでは、ご参加の方と、TAKAHIROさんと、わたしの、それぞれの主観を、3人の真ん中にある大きな器にポンポンッと投げ込みます。みんながそれを見られるように、感じられるように。
その主観を眺めながら対話をすすめます。
その主観のベースとなるのは、TAKAHIROさんとわたしが、ご参加の方とできるだけ同じ景色を見たときに生じる気持ちです。
それぞれの主観を客観的に眺めているとき、そこに「すきま」が生まれています。
「すきま」からは、シューッと、ポワポワと、ジャージャーと、いろいろなことが湧いてきます。一見気づかないような、じわじわとしたものである場合もあります。
そのかたちは、千差万別。
ひとりひとり顔や姿や性格や魂や、全部異なるように、「すきま」から生まれるものもすべて人それぞれオリジナルです。
ということで、人はときに、自分の体験を、細かすぎるくらい細かく見ることが必要なときもあるし、鳥が見ているくらいの高さから客観的に見ることが必要なときもあるし、宇宙規模での個人として感じることが必要なときもあるし、そんなふうに、“具体と抽象を行き来しながら(Pdcast「超相対性理論」のおことば拝借)”、自分自身を捉えていくと、より「今」によった、「個人」によった捉え方ができるのでないかと思っています。
「今」や「個人」によった捉え方は、現代を生きるわたしたちを深いところで支えてくれるのかなというのが、今のわたしの考察です。
そういう意味での、「インチャケアからオープンダイアローグへ」でした◎
なんかこうして、いろんなことを考えたり、深めたりするのって、もう、くせなんだなと思います。こないだも友だちとだらだらと長電話していたとき、いつもと同じような話をしながらではあるのだけれど、はっと気づく瞬間があったり、自分たちでも驚くほどその状況をいいあてた造語が出てきたりして・・・そういうのがたまらんな、と思います。
そして、ブログを書いたりとアウトプットすると、インプットの量も自然と増えるのか、見方が変わるのか、視点が増えるのか、もっと語りたいことがでてきます。
ふだんと変わらない日常っぽいのに、いかにもふつうな顔をしているのに、なんとなく「ふだん」が変わるような感じ。
アウトプットの効用はそういうところにあるように感じました。
では、今日はこのあたりで✨