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息子の呼吸が止まりました。


一番衝撃的な出来事をタイトルにしたら、
釣りタイトルみたいになりましたが、先週の水曜日に実際に起きました。
それはそれは恐怖でした。
結論から言うと今は無事に退院して家で過ごしています。
今回もまた備忘録として記しておこうと思いますが、絶対に忘れない出来事ではあるのに、余りに立て続けに色々な事が起きたせいで詳細はもはや思い出すのも一苦労。
退院からバタバタしていた日常も含めて書き記します。ほぼ日記です。
何が起きたかだけ知りたい人は7月17日まで飛んでください。それまではただのバカ忙しい日常日記です。


7月1日 (月)
前回の記事の後、順調に授乳を進めていき退院の目処が立ちました。
黄疸の数値がまた治療がいるギリギリのラインまで上がっていたけれど、問題ないとの医師の判断で夕方に帰宅しました。
2週間と3日ぶりの自宅は落ち着く気持ちと同時に、怒涛の日々が待ち構えていました。

7月3日(水)
Midwife(助産師)が自宅に検診に来てくれました。完母で頑張っていますがまだ吸う力が弱く、心配だった体重も増えていて一安心。ですが、黄疸が気になって血液検査をしてもらいました。
夕方に連絡があって数値は退院時と変わらず。

7月4日 (木)
スクールホリデー開始まで後2日。
夕方、娘の体に虫刺されのような発疹がある事に気付く。
主に腕と脇、ほっぺまで赤い斑点が見られ、痒がっている。
長男の背中にも複数確認するも、別室で寝ていた私と新生児の三男は被害なし。
数年前、私はベッドバグ(トコジラミ)に全身を噛まれたことがあったのですが、奴らは柔らかい場所に狭い範囲に集中して噛んできます。
娘はもちもちな腕、脇の下、ほっぺに跡がありました。
当時赤ちゃんだった長男と旦那と同じベッドで夜寝ている間、なぜか
私だけが毎晩噛まれたので、今回旦那には被害がなかった事も納得していました。
その後すぐにベッドルームの大掃除と寝具リネン一式洗濯乾燥させて様子を見る事に。乾燥機がないので、コインランドリー1択。シングルベッド×3、冬で掛け布団+毛布も数枚あったので、本当に大仕事でした。

7月5日 (金)
朝起きて、長男の背中を見ると赤い斑点が下部にも広がっていました。
掃除に洗濯とかなりの重労働だったのに駆除できなかったのかと落胆。
ベッドバグは本当に駆除が大変なんです!!!!!!!!早めに駆除しないと取り返しがつかない。
しかし、よく考えて見ると普通は背中など硬いところは噛まれにくいし、噛まれたときは二つの牙状にテンテンと跡が残るのですが、それがみられなかったので他の原因の可能性が浮かぶも断定できず。
そして昼頃、旦那に薬局へ痒み止めを買いに行って貰うと、とびひである事が判明。
こちらでは一般にSchool sore と言います。
感染症の一種ですが、細菌性なので抗生剤の治療になるので薬局で薬は買えずGP(かかりつけ医)に行く事に。
NZではGPの予約すると数週間待ちとかになる事もあるので、旦那にヘルスラインに電話して当日予約を取ってもらい、GPに行き長男と長女に抗生剤と塗り薬を処方してもらいました。

7月9日(火)
薬を貰ってからも手袋をしたり、長袖長ズボンに爪切りなど色々対策したけれど長男のみ発疹が酷く、痒がって発狂しているので再診。結果、薬による蕁麻疹であることが判明。別の抗生剤を処方して貰う。
その日の午後、免疫ポンコツな私も感染したので定期検診にきてくれたMidwifeに処方せん出してもらえるか聞くも、できなかったのでGP予約する事に。

7月10日(水)
おそらく保険の関係上、NZでは帝王切開から6週間は車に乗ってはいけないんだけど、家族全員連れて行くわけにもいかないので旦那と子供達を置いてGP診察に。
帰宅後久しぶりに買い物も済ませて帰ると歩きすぎとつい荷物もったせいで帝王切開の傷がまた痛む。

7月11日(木)
長男の蕁麻疹は少し良くなってはいたものの、
たまに発狂して頭あたりが痒いと騒ぎ出す。薬を飲んだ数十分後だったのでGPに電話をして診察をすぐしてもらえるよう手配。
薬に過剰に反応してしまう状態になっているようで、抗生物質中止して蕁麻疹用に保湿剤を処方して貰う。

その日の午後、義母がタウランガ(NZの北島で約500Kmの距離)
から3日間泊まりに来る予定で、午後に旦那が長女を連れて空港に迎えに行っていた。空港まで43Km、ほぼ100Km道路でもかなり時間がかかるその間、次男二度吐きました。1度目は私の布団の上。シャワーを浴びせシーツを洗っていると泣き喚く三男の声、まさにカオス。
次男はその日に熱は出たけど、次の日には良くなっていました。

7月12日 (金)
私は抗生物質飲み始めて3日目で胸あたりにも広がってしまい、腕も症状が悪化していた。まだ小さな三男に移したくなかったのでGPにまた行くことに。追加で薬を出してもらう。

7月13日(土)
長男の蕁麻疹もだいぶ良くなり、義母が子供達を映画に連れて行ったり、バイクショップに行ったり、タスマンの日本語図書館に行ったり。
私と息子はお留守番。

7月14日(日)
朝、旦那が義母を空港に送りに行く。
長女が鼻水を垂らし咳をし始め熱がでる。

7月15日(月)
三男も生後4週間と3日目で風邪を引いてしまいました。
熱はないけれど、鼻水、鼻詰まりであまり上手に飲めないので、定期的に吸引。
たまに咳は出るけれど、授乳もできていたし、おしっこもウンチも出ていたので様子見。

7月16日(火)
寝る時間が長くなって、顔色も悪くかなり疲れている様子だったので、ヘルスラインに電話。
熱はないし、喘鳴もなく、呼吸も異常なし。
少なくはなっていたものの、授乳もできて尿便共に出ているので、様子見。
ナースは、鼻が詰まったら、生理食塩水を鼻の穴に垂らして詰まりを解消させ、頻回授乳をするように。6時間オムツが乾いたままだったりしたらまた連絡するようにとの事。
心配だったけれど、翌日にMidwifeの検診もあるので、様子見に同意する。
この日の夜中には、またおしっこの量も授乳の量も増えてきて、
顔色も少し回復してきました。このまま良くなってくれればいいなと思っていた矢先…

7月17日(水)


2、3時間ごとに目覚ましをかけて授乳をしていたけど、
朝方息子の顔が青白くて飛び起きました。
でも普通に呼吸していて、体も暖かかった。
思わずぎゅっと抱きしめました。
本来、予定は午後1時半頃だったんだけど、12時半頃にMidwifeのクレアと、出産前から一緒に担当してくれている見習いのジョーが二人できてくれました。
顔色が優れなかったのは朝のいっときだけで、午前中は顔色も良く、授乳も出来ていました。
明らかに回復してきているように思えたし、クレアも新生児は母親の免疫があるからきっとそんなに重くならないよなんて話をしていた。
測定を終えて、私は息子をソファで抱いていた。
クレアとジョーは立ちながら、他にほかに気になる事はない?と帰宅前のよくある質問。息子は苦しそうな咳を数回した。私は背中をさすって膝の上に寝かせるように抱えた。
毎回産後に便秘と切れ痔になるので処方箋出して欲しいと話していると、突然クレアが慌てた様子。
瞬時に息子を見ると真っ青でチアノーゼをおこしていた。
本当に一瞬で、静かで、恐ろしかった。
すぐさまクレアに息子を手渡し、息子はソファーの上に横になる。
クレアは顔に息を吹きかけて体をさする。心臓が止まっている。
声かけをしながら小さな体に二本の指で心肺マッサージ。
呼吸が戻ってくるも明らかに様子がおかしい。
すぐに111に救急車要請、ジョーは外に停めてある車に酸素ボンベを取りに走る。
酸素ボンベをつけると落ち着いたように見えた。
その数分後、St Johnの救急隊員が酸素ボンベを持って到着。
救急車はリッチモンド(30Km先)から来る。
最低でも24時間は病院でモニターする必要がある、付き添いの準備をするようにとクレアに言われ、そわそわしながら入院付き添いの準備。もう一時近くになっていたので子供達のお昼の準備と私も軽食をとった。
まさかこんな短期間にまた救急車に乗ることになろうとは。
そしてこの時はまだ、ネルソンで1日様子見て問題なければ帰れると思っていた…


子供達と旦那をのこして、救急車の助手席に乗り込む。運転手は女性、隊員2名は後ろで息子を
見てくれている。
病院まで約50Kmの距離、そのほとんどがモーターウェイで時速100Km出せる道路。街中のみ回転灯をつけて優先車両として通行、それでもかなり時間がかかるので運転手に状況説明と自己紹介のような世間話をした。

前回の記事では触れてなかったんだけど、実は出産した当日に旦那がリストラ宣告をされていて、現状無職。
私が旦那を迎えに行った時にはもう陣痛が始まっていたので言い出せなかったみたいなんだけど、その数日後に聞きました。
数ヶ月前にも大規模リストラがあり、会社の経営状況が一年で急激に悪くなっていたのを知っていたので、次は旦那の番だなと思ってはいたものの、
思ったよりも早かった。私は今住んでいるところが気に入っていて、
また引っ越しの可能性が高いとなると、引っ越し鬱になるんじゃないかと
怯えていたけど、今となってはいいタイミングすぎて逆に感謝している。
本来であれば2週間しか育休が取れないし、有給もSick leavemも1日しか残ってないけど、帝王切開で約3週間も入院した。
さらに子供達の風邪やとびひ、そうじゃなくても6歳5歳1歳0歳(早産)との日常生活。3時間おきの授乳で慢性睡眠不足、二人でなんとか家事育児してギリギリ送れるくらいの怒涛の日々にさらには息子の救急搬送と入院。
これはどう考えてもワンオペは不可能でしょ。

なんて話をドライバーにすると、本出せるねって。
前回の記事を読んだママ友にも言われました。
私自身、何かを続ける根性はない癖に、逆境を耐える根性だけはあって、さらに環境適応能力が高いせいで、今まで散々あった嫌な状況でさえも耐えて慣れてきちゃったんだよね。もちろんいい側面も悪い面もあるから、特性なんてものはどれも一長一短なんだけど。
そんないろいろな経験をしてきたからこそ、
今冷静に対応出来ているんだと前向きだった。
正直、自分の半生は本当にぶっ飛んでて、本にしたらきっとドン引きだけどね。

話が逸れましたが、先日退院したネルソン病院に到着しました。
Emergency department 通称EDで治療を受けます。
小児科医が到着するまで数名の医者と看護師で処置をしたり、
状況確認をしたり。
静脈に薬や点滴などを入れるカテーテルを手の甲に刺す。
小さい手で血管も見えづらく何度かやり直す。
生まれた時に寝た、上にヒーターがついたコットの上で、胸部には心拍、足にはサチュレーションを図るコードが繋がれる。

先にも述べたように、(英語を勉強し)続ける根性はないけれど、
(できなくても生活できるように)環境適応できてしまったせいで
英語が達者ではないけれど、旦那は子守でいないので対応するのは私。
そして飛び交う医療英語に必死にリスニングして状況を把握できるよう集中。
頭は常にTOEICのリスニングテスト中くらいバッキバキ。
救急車の中もEDについてからも酸素のマスクはつけていたけど、呼吸は安定していなくて、
医師がマスクの上の空気孔みたいなところを
指で塞いだり開けたりし続けていた。
血液検査をラボに依頼しているが、結果が出るのにまだ時間がかかる事、今現状では原因がわからない事、呼吸器をつけることになるかも知れない
事などを説明してくれた。
病院のソーシャルワーカーが付き添ってくれて、旦那がどうにかして来れないかと心配してくれる。
見習いのお医者さんも隣で不安がないように状況をずっと説明してくれる。
書類に記入をしていた時、担当のナースが子供達の事を聞いてきた。
彼女は次男のキンディーの先生の親友だそうで、もし必要ならその先生に子供達を
見ててもらえるように頼んであげるよと言ってくれた。
私はずっと息子のそばにいられるこの環境やアットホームなこの感じは日本ではあり得ないし、ありがたいなと考えたり、常に色々思考していた。

そのあと、結局呼吸器が必要と判断されて、挿管の準備がはじまる。
鎮静剤でモルヒネが使われる。
医師、看護師など総勢で20名ほどカーテンで仕切られた一画に集まり対応していた。
物々しい雰囲気だったけど私はそれでも落ち着いていて、泣く事もなく、怖くもなかった。
クレアがいてくれて、すぐに救命措置対応してもらえたこと、それに今病院にいることにむしろラッキーだったと安堵していた。
ネルソン病院はいわば、地方の総合病院レベルの大きさで、救急とはいえ人口も少ない子の地域でこの治療は多くは無いんだろう。
医師が緊迫しているのはそれもあるし、日頃から生死を身近に感じているからだと思っていた。
でも色々思考しているうちに、正常性バイアスがかかっている可能性に気づいた。
都合の悪い事を無視しちゃう特性。
その時、いつ何が起きてもおかしく無い状況なんだと再認識した、すると突然不安になる。
でも、考えている不安なことの80パーは起きないとも言われているし。
そうだ、今の状況は正しく恐れないといけない。
結局私にはそばにいるだけで何もしてあげることはできないんだから。
だから、何があっても後悔はしないように旦那にもきてもらうことにした。

挿管している間は呼吸が止まる。
でも小さな赤ちゃんでは難しいんだろう、最初の2回のトライは失敗した。
サチュレーションレベルが100からみるみる下がって警告音が鳴り響く。
3回目で成功、呼吸器が無事につけられる。緊張が解けて周りにいた十数人の医療関係者が一気に嬉しそうに去っていった。

どのタイミングだったかな、レントゲンの撮影もしたし、この後、オークランドのスターシップかウェリントンの病院に輸送すると伝えられた。
(日本でいう大学病院レベル、NICUや小児病棟がある)

機械による呼吸で安定したのでウェリントンのフライトチームが到着するまで一旦前にいたネルソン病院内のSCBU(スペシャルケアベビーユニット)
に一旦移動することになった。この前卒業したばかりだったのに。もう帰ってきたくはなかった場所。
この時もう夕方の5時くらいになっていたかな。5時間授乳できずにいたから、ここで搾乳した。

6時過ぎ、旦那が到着した。最初は1日入院で済むだろうと思っていたから、数日分の着替えを持ってきてもらった。
待っている間に血液検査の結果が出て、
RSウイルスが検出された。
今冬のNZで流行っている風邪、特に新生児や早産で生まれた子の呼吸が止まる事が稀にあるらしい。原因がわかったことに一安心した。
息子はスヤスヤ眠っていた。

8時過ぎ、ウェリントンのフライトチームが到着。

ウェリントン編はまた後日。














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