
チャンディーダース(チョンディダス)のこと
チャンディーダースは13世紀〜14世紀の詩人で、厳密にはゴウリヤー・ヴァイシュナヴァの成立よりも早く、ヴァイシュナ・サハジヤーという分類になると思うのですが、ヴァイシュナヴァ・サハジヤーは派としては現存せず(と言われており)、基本的な世界観としては大体同じなので、前の記事ではラーダークリシュナ派という括りでゴウリヤー・ヴァイシュナヴァを簡単に解説しました。
サハジヤー(サハジャ派)というのは仏道後期密教の流れを汲んでいるラーダークリシュナ派と言っても間違いではないと思うのですが、これについてはややこしいので基本的には語りません。
チャンディーダースの話はベンガル人にとってのロミオとジュリエットのようだ、と聞いたことがあります。
司祭であり最高カーストの生まれのチャンディーダース。
チャンディーというのは女神の名前で、鬼形の女神の一態です。
その奴婢(ダース)なので、女神の司祭だったのでしょう。
そのチャンディーダースですが、12年にわたり池で釣りをしていました。
一般的にヴァイシュナヴァは菜食ですが、ベンガルの菜食には魚が含まれることが往々にあります。とは言えチャンディーダースは釣りをしていたものの、魚が釣れることはなかったようです。
池の向こう岸には洗濯女でカーストすら無いラジョーキニー(あるいはラーミーとも)。
ふたりは毎朝池の両岸でそれぞれの仕事に励みながら、12年間一度もお互いに話すことはありませんでした。
12年が経ったとき、ラジョーキニーが話しかけます。
「司祭さま、12年もの間、毎日そこで釣りをしていらっしゃいますが、魚が釣れたことはあるのですか」
「今日になって釣れた。ラジョーキニー、あなたが」
ということでチャンディーダースは生家とカースト社会を捨てて、ラジョーキニーと伴侶になり、ふたりで行者としての生活を送り、多くのすばらしい詩を綴りました。
……というのは私の記憶を元にした聞き書きですが、何度か聞いたので、そう間違っていないはずです。ただ確認のためにネット検索をしてみたら、少なくとも英語ではほぼこうした話は上がって来なかったので、そこまでメジャーに知られた話ではないのかもしれません。
とはいえ、チャンディーダースの名の詩人は少なくとも4人いると言われていて、史上ではその四人の詩人が同一人物として捉えられてきたようです。
元々私がここで訳しながら読んでいきたいと思ったのは、ボル・チョンディダスによる叙事詩シュリークリシュナ・キールタンでした。ラーダーとクリシュナの物語を描いているそうで、あらすじを見るとバウルのラーダークリシュナ理解に大いに影響を及ぼしている気配がします。
しかし実際に見てみるとちょっと最初から取り組むには難しそうなので、先にドウィジョ・チョンディダス等によるパダーヴァリ(ポダボリ)と呼ばれる歌群に取り組むことにしました。
と言いつつ唐突に叙事詩にも挑戦しだすかもしれませんが。できるだけ自由に、思いつきでも動ける場にしたいです。
叙事詩の方は20世紀に入って再発見されたこともあり、もしかしたらより古い形で保存されたものが出てきているのかなという気もします。パダーヴァリの方が、今のベンガル語で読んでも違和感があまり無いので(私がバウルの歌で詩的言語に慣れているということもあるでしょうが)、歌い継がれてきたことでもしかしたらモデレートされてきたのかなという気もしなくもありません。あくまで私の思いつき的な推測ですが。
チャンディーダースはその詳細や実際の詩を知る前からなぜか私を惹きつけてきた存在で、ずっと知りたいと思ってきました。昨年ひとつ彼の歌を教わったらやっぱり大好きで、もっと知りたい……! という欲が爆発したこともあり、ベンガル語翻訳しつつ語学力向上しつつ社会貢献しようプロジェクトに組み込むことにしました。
以前にチャンディーダースを学ぶ会を開催したときに師匠が出した動画、最初に歌っているのがパダーヴァリのひとつです。