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お母さんはいつも同じ服だった劇場

「お母さんはいつも同じ服だった」

これはずっと真実だと思っていたけれど事実は

「お母さんは同じ服を着ている時もあった」

だと思う。



だって昔の写真を見れば
おしゃれな服を着ていた時もあったし
可愛い薄ピンク地の大柄の花柄のスカートに
濃いピンクのふんわりフラウスを
着ている時もあったんだから。

この時のお母さんが
嬉しそうに笑っている姿を見て
嬉しかった記憶がある。

だけれどだけれど、
それを遙かに上回るほど
何故か強烈な印象を焼き付けた

そう、あの、薄っぺらい

赤色のナイロンのコート。


それを毎日着ていたお母さん。
いや、もしかして毎日じゃなかったかも?
でも多分あれは5歳くらい
それくらいの子供にもそれは
「安っぽく」見えたんだ。

他にないん?
あ、ハッキリ言っちゃっていいですか?

もうこれはここで言わないと
一生私から出ないかも知れない。



「貧乏くさい」



あーーーーー、
言ってはいけないことを言った気分。
なのに、なんだこの解放感は。

そう、なんか
その赤いコートを着ているお母さんが
貧乏くさく見えて、悲しくなったんだ。

ええ、勝手にね。

勝手にお母さんを可哀想な人に仕立て上げた。

すごいね、この想像力。
それでやっぱりこれくらいの歳でも
美的感覚が育っていたのかも知れない。

とにかくその赤いコートが強烈すぎて
忘れられなかった(笑)
当のお母さんは気に入って
よく着ていたかもしれないのに。
勝手に悲劇のヒロインに仕立て上げるなんて。
また聞いてみようか、その時のこと。


で、何が言いたかったかやっと分かり出した。


そうそう、その時、私はこう思ったんだ。


「いつも同じ服を着ていたら見すぼらしく見える」


この時の強烈な印象が
だいぶ後の私の毎日のコーデにかなりの影響を
及ぼしていると言っていいだろう。


ここで終わろうかと思ったけど
終わったらこのことを
2度と書かない気がして続きを…。


その傾向は特に社会人になって
ある程度お金が入るようになったら
躊躇に現れてきた気がする。


あ、ちなみに高校を卒業して
就職し事務職をしていたけれど
せっかく社会人になったのに
また制服を着ることや
外見を自由に出来ないことから
1ヶ月で辞めて当時通っていた美容室に
カットをしに言った時
「ここで働きたいです!」って直談判した。

我ながらすごい行動力。千と千尋並み。


それで美容室で働き始めて
毎日が楽しくって。
毎日違う服を着れる嬉しさ。

まだそんなにたくさんは買えないから
この服たちでいかに毎日を楽しめるか
この服たちで
どれくらいのコーデを生み出せるか?
をやっていた。

楽しくってそれを楽しんでいた。


でも今振り返ると、それは偏っていた。

その裏には
「毎日同じ服、同じコーデをやっていけない」
という想い。
5歳の時のような
あんな思いは2度と味わいたくないから。
それからもそのビリーフを持っていたけれど
アイデンティティの崩壊が起きてから

なぜか今

「毎日同じ服をきています」

理由としては
服を半分以下に減らしたことによって
服が減ったこと、あ、
でもこれ関係なさそう。

これかな、なぜかいつの間にか
毎日同じ服でもいいわ〜って
どこか何かを諦めた感じ
なんというか、そのまま眺めて
足掻きを辞めたみたいな感覚かな。

なんか、力が抜けたのと同時に
それまでの自分と違いすぎて
フリーズしそうにはなったけれど。

今も昔もファッションは好きだけれど
「大好き〜」の中に
他の何かが乗っかっていた感じが
「ええ、好きです」って

そのままな感じ。


あと変化としては
服やアクセサリーやバッグなど
自分が手をかけれる
目をかけてあげれる分しか置かなくなったこと。 

前からそういうつもりだったけれど
いざじっくり向き合ってみると
気持ちは離れているけど
寂しいから別れられない彼氏、とか。
(実際の恋愛ではそんな経験したことはない)

もう、この人合わないけど
なんとなくとりあえずキープしておこう。
(実際の恋愛ではそんな経験したことないpart2)

みたいに
情や損得で置いているものも多かった。


それがいいとか悪いとかじゃなく、気づき。
クローゼットって
パラダイムシフトの鍵を秘めてるねえ。

もう何が書きたかたっかのか

分からなくなってきた。

お昼のご飯の炊くスイッチを押してこよう。

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