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【ベトナム旅7】ちきりんさんのVoicyを聞いて1

2022年12月30日のちきりんさんのVoicyを聞きました!
(やっとVoicyのリンクの貼り方がわかりました\(^o^)/)

いやー、深いです。
同じモノを見ても、そこまでの深い考察には至りませんでした。

ということで、自分のために、ベトナム旅行の復習です。

その前に、ちきりんさんのVoicyの復習から。

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ちきりんさんが今回ベトナムに行こうと思った理由について。

12月は、ベトナムなど東南アジアの多くの地域がベストシーズンだから。ホーチミンも常夏で乾季のベストシーズンでした。

そしてもう一つは、いま世界で起こっているウクライナ侵攻や北朝鮮、台湾有事等について考えるのに、ベトナム戦争で米国と戦ったベトナムで考えてみたかったから、ということでした。

ベトナム戦争は、ベトナムとアメリカ合衆国(以後、アメリカと略します)が戦争していたんですが、ウクライナとロシアの戦争と似ている点が3つ。

①超大国であるアメリカと、小国だったベトナムとの戦争だったこと
②2番目小国のベトナムの方に大義があって、世界中が応援していたこと
③超大国アメリカの方がメディア戦略で劣勢を強いられたこと

違う点として、
①資本主義国家と共産主義国家が入れ替わっている。
ベトナム戦争では資本主義側がアメリカ、共産主義側がベトナム。
ロシアはいま共産主義とは言えないものの、独裁主義国家。対して、資本主義のウクライナ。

そして、今後のことはわからないけれども。
●ベトナム戦争では、超大国アメリカの方が負けた。
●追い詰められた超大国アメリカが、化学兵器(枯葉剤)をベトナム全土にまくなど、無茶をした。ロシアは無茶をしないで欲しいが…。
●ベトナム戦争は20年続いたが、ウクライナ侵攻は何年続くか分からない。

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ここから、私の復習です。
ホーチミンの「戦争証跡博物館」に、世界中がベトナムを応援している展示がありました。

「ベ平連」の名前は聞いたことありましたが、これかあ~。
正式名称は「ベトナムに平和を!市民連合」のようです。

ベ平連の説明です。
「ベトナムの村々を攻撃するヘリコプターのイメージから、日本の人々の間に戦争反対の機運が始まった。ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)が創設され、戦争反対のデモが毎月行われた。彼らは仕事に行く際に、戦争反対のスローガンを貼った服を着ていた。日本の人々はベトナム戦争に関する書籍やポスター、絵、新聞などに書いたり、それらを製品にして売ったりして、ベトナムの人々のためにお金を稼いでくれた。1969年6月の東京で、ベ平連の戦争反対のデモは7万人以上が参加した。全国各地でも350以上のベ平連のグループが行った。」

そして、私が展示を見て、衝撃を受けたのはこちらの方です。

「1967年11月11日に、ベトナム戦争に抗議して、首相官邸の前で焼身自殺をした」と書かれているのです。

え?そんな事があったの??
名前はJui Cunosinと書かれています。日本人らしくない名前です。
帰国してからググったところ、由比 忠之進(ゆい・ちゅうのしん)さんとわかりました。

自殺された時は73歳。

日本大百科全書(ニッポニカ)によると、「1938年満州製糸に入社して渡満。日中戦争を正義の戦争と信じ、敗戦により打撃を受け、戦後贖罪(しょくざい)の意識から、一時、一燈園(いっとうえん)に入る。1951年(昭和26)愛知県平和委員会と接触をもち、以後平和運動に打ち込む。」とありました。

それにしても、ベトナム人でもない日本人が抗議の焼身自殺をした、という事にビックリしました。

御本人も、「戦争当事国、すなわちベトナム、米国民でもない私が焼身死することは、あるいは物笑いのタネかもしれないが、真の世界平和とベトナムの早期解決を念願する人々が 私の死を無駄にしないことを確信する」と当時の佐藤栄作首相宛の抗議書に書かれていたそうです。
※岩垂 弘「もの書きを目指す人びとへ―わが体験的マスコミ論―」の「われ炎となりて――あるエスペランチストの抗議」からの抜粋

ただ、抗議のための自殺という手段は、世間的な衝撃は非常に強かったと思いますが、彼が止めたかった事にはあまり影響がなかったのではないか、と思います。

それは、旧統一教会の問題が、残念ながら安倍晋三元首相銃撃事件で急に動きだした事からもそう思います。

そして、こちらは同じく社会主義国家のキューバのポスター。

フランスのポスターには、日本人ジャーナリストの写真が使われていました。




他にも多くの国がベトナムを応援している展示がありました。そして他の階には、ベトナム戦争の悲惨な写真などがありましたが、その事は次回に。


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