人は産まれてからどのように育つか?

1 「快」と「不快」

 人の育ちの最初のベースは、「快」、「不快」である。

 生まれてからは「不快」が多い。それをいかに少なくするか。

 「快」に出会えば、前に進もうとする。「不快」に出会えば、「守り」に入り、動きは止まる。つまり、発達が止まる。動かなければ発達しないのである。

 食べ物の好き嫌いも、ある意味この「快」、「不快」と関係してくる。

 どちらかというと、「甘い物」は「快」につながり、「苦い」・「からい」などは「不快」につながる。なぜならば、「甘い味」は人間の生存にとって「正」であり、「苦いやからい味」などは、人間の生存にとって「負」であるからである。長い人類の発達の中で、人類はそのようにして自分の生存を可能にしてきた。つまり、「苦いやからい」などの味を持つ食べ物は、概して人間にとって有害な物が多かったからである。

2 人の発達は他者をまねして発達していく

 赤ちゃんは歩けないのに、どうして人は2足歩行をするのか?その理由は簡単なことである。自分のまわりの全ての他者が2足歩行しているからである。つまりまねているのである。

 「まねをする」が人の発達の基本である。言葉でもそうである。日本で生まれても、早くからスペインで育てば、スペイン語はペラペラになる。日本人の私たちが日本語で話をするのは、まわりが日本語で話をしているからである。

 では、どのようにすれば、いつまでも「まねをしよう」という思いが持続し、学習意欲を持続し、発達していくのか?

 簡単である。自分のまわりに、「このように育ちたい」と心から思える者がいるかどうかである。

 今日の様々な悲劇の根本には、「まねをしたい目上の者」が少ないからである。『綺麗な大人』が少ないのである。

 逆に言えば、「まねをしたい」と思える大人が多くそばにいれば、子どもは勝手に(言い過ぎではあるが)育っていく。

 だから、子どもを育てるには、大人が育てば良いのである。

 これらのことから考えれば、「好き嫌いなく食事」をする子に育つには、「まねをしたい目上の者」が、自分の嫌いな食べ物を、おいしそうに食べていれば、そのうち子どもはまねをしていくのである。

3 初めての味と「快の経験」

 初めての味がするものを食べて、それをどのように感じるかは、食べるときの状況と関係する。そのとき食べる場が「快」を感じさせるものであれば、「快」と「初めての味」が結びついて、それは、子どもにとって「味=快」となる。逆に、その場が「不快」を感じる場であれば、「不快」と「味」が結びつき、その後は「苦手な味」となる。

 もちろん、よほどの状況でない限り、1回の経験でその後が決まるわけではない。

 しかし、できるだけ、「初めての味」を子どもが食べるときには、子どもが「快」を感じる状況を創ることが必要なのである。


 子育てはしんどいものである。しかし、一生続くわけではない。ある意味、自分の一生からすれば少しの間である。また、子どもが小さいときに可能な限り手をかけていれば、先に行ってからが楽である。逆になると、それは大変である。

物事がおかしくなってから対応するよりも、おかしくならないように対応しておく方が、どれだけエネルギーを使う量が少なくて良いか。

 可能であれば、10歳くらいまでは子どもとしっかりとかかわろう。本来ならば、社会は保護者にその時間等を補償しなければならないのである。

 現在の日本で子育てするのが大変なのは、社会が保護者に子どもとかかわる条件を保障していないからである。自分だけの問題ではない。

 そのことも考えながら、子育てはぼちぼちとやっていこう。まわりの人に迷惑をしっかりとかけながらすすんでいこう。

 

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