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コンサルがコンサルを使う理由

私はECやM&Aのコンサルティング(アドバイザー)をしていますが、一方で、私自身、今もコンサルティングを受けています。

これまでも、新規事業に参入する時は特に、必ずその専門のコンサルタントに依頼して見てもらってました。Webコンサルの時も、海外販売の時も。

新規参入のタイミング

元々、私が会社の事業としてWebコンサルティングを始めたのは、2006年くらいだったと思います。もう15年も前ですね。当時は、2冊目の本(サイト集客のツボ)を出した後くらいのタイミングで、ぶっちゃけ言うと、それまでやっていたWeb制作に飽きてきたのです(笑)。

『飽きる』というとネガティブに聞こえますが、この場合、決してその限りではないんですよね。成長志向の強い創業社長は、一つの事業である程度のリズムができると、新規探索性が満たされなくなって面白くなくなる。と同時に、不安になるのです。次に行かないと、という焦りに似た感情が出てくる。そんな人が多いと思います。自分なんか典型的にそれでした。

失敗の見切りもそうです。私も数多くの失敗事業を経験しています。多すぎるやろ!って突っ込まれるくらいに。何をやってもしっくりこない、バチっと嵌った感がない、収益も思ったほど上がらない、これ以上の投資も社内体制も作れない。そんなときは、これだけ投資はしたけれど、ここで損切りしようと、人から見れば呆気なくやめたように思われる事業はいくつもあります。

今振り返って『ああ、あれは見切りが早すぎたな』と思うのは一つだけ。あとはやめて正解でした。その時は、社員などからはいろいろ言われますけどね。その典型的なワードが『飽き性』なんです。また出たよ、社長の飽き性、みたいな。

それを飽き性というなら、飽き性じゃない創業者っているんか??と思います。まあ、自分の場合、それが原因で経営を圧迫したこともあったのですが。。。

ああ、今日のテーマは『飽き性』じゃなかったですね。コンサルタントがコンサルティングを受ける理由です。

いいコンサルをするためにコンサルを雇う

Web制作に飽きてきたというのは建前でもあって、それくらいの時期にどんどん競合事業者が増えてきて、何らかの特徴を持たせないと、単なる制作会社になってしまう、という危機感が強くなったのです。当時はまだ競合が少なかったですが、あっという間に飽和して、価格も合わなくなる。現に、ブログなどCMSの普及で、参入ハードルもどんどん下がってきている。そんな危機感です。

そして、次に取り組んだのがWebコンサルティング事業でした。

その際、まず何をやったかというと、月額30万円でコンサルを雇いました。さらに、マーケット分析だの何だの理由を付けた初期費用として300万円払ったと思います。ぶっちゃけ、その初期費用は無駄でしたが(笑)。

コンサルタントは、私がいろんなセミナーや教材CD、書籍などで勉強し、自社に合いそうな人を見つけてコンタクトを取り、会いに行きました。その人は、当時某コンサルファームの役員でした。

なぜコンサルやるのにコンサルを雇うのかというと、まずどんな集客、どんなコンテンツが必要かのアドバイスが欲しかったのと、自分たちのやってることを客観的に見て、ストレートな意見が欲しかったというのが理由です。

それは一年か二年か忘れましたが、しばらく続けてやめました。初期調査はともかく、やってよかったと今も思っています。初期調査はともかく(しつこい)。

先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし

業務内容のアドバイスとは別のメリットもあります。

コンサルってなんかお客さんにお客さん扱いされるんですよね、不思議と。自分はコンサルに対してそんなことしませんが、逆の立場になると、そんな感じが多くて。さすがに「先生」と言われるのは、人間性崩れそうで(笑)拒否しますが、なんかそんな空気があるんですよ。

人間、そんな空気にしばらくいると否応なく適応してきます。無自覚なまま。

爺ちゃんコンサルなんかを見てると、完全にそんな感じの人が多いですよね。自分のことを先生って言ってたり、クライアントをダメ社長って言ったり、これをやれ!とか命令口調だったり、「〇〇させる」とか部下のように言ったり。私なら、一日で契約切ります。

見ていてみっともないですよね。『先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし』というのは、よく言ったもんだなと思います。

これ、たぶん医者、弁護士、教師など、日常的に先生と呼ばれる職業の人たちもそうだと思います。本人が悪いわけではないですが、無自覚なまま感覚がズレてしまう

私が個人的に仲のいい医者や弁護士は、そんなことない人が多いのですが(というより、そういう人とは仲良くならない)、たまに町医者なんかでも「なんだこいつ」って言い方する人いますよね。たぶん無自覚なんですよね。

私自身の例で言っても、本を書いたりすると、それを元にいろんなところから講演に呼ばれたりします。どこかの県のJCとか、ITナントカ機構とか。主催団体によっては、歓待ぶりがすごいんですよ。空港に出迎え、ホテルにチェックイン、会場まで送迎、終了後は料亭といった感じで。

(関係ないけど、北陸~東北方面の繁華街って「片町」がやたら多いのはなんででしょうね)

その間、ずっと先生呼ばわりです。最初は「いや、先生はやめてください」と言うのですが、来る人来る人みんなそう言うから、もう面倒になってきます。

そんなのが続くと、たぶんどこか麻痺するんですよ。人間って。

私は、どんな商取引も対等だと思ってますから、上から言ってくる人もお断りだし、下手に回る人も苦手です。でも、無自覚なままその意識が崩れる可能性があるのなら、客観的に指摘して欲しい。その役割をしてくれるのが、コンサルにコンサルをお願いする、ひとつのメリットだと思います。

多角的な視野のために

さらに言うと、やはり自分(自社)だけの目線では限界があるんですね。物事の見方がどうしても偏ってくる。何人かのチームで議論して、この方向だなと仮説を立てて、それをコンサルに見せたら「いや、これはこっちの可能性が高いんじゃ?」と教えてもらって、目からウロコ状態というのは結構あるものです。

なんだ、灯台もと暗しかと。そんなメイクセンスを期待していました。

結局、人の視点なんて限定されてるんです。そして、それは年齢や環境によって狭くなったり広くなったり。それを理解している人が、自分を客観的に見てくれるコンサルタントを雇う。そんな人がコンサルをやるから、いいコンサルティングができるのでしょう。

いや、自分のこと言ってるわけではないですよ、念のため(笑)。

自己研鑽は、すべてクライアントのため

また、ケツを叩いてもらうという効果もあります。それって結構バカにできないことで、人はそんな存在が必要なのです。

何らかの目標とアクションプランを立てて毎日実践する中で、他の業務に時間を圧迫されるなど、不可抗力的なプラン変更も出てきます。それが続くと、どうしてもそこに甘えてしまうんですね。これが起きたので、できないのはしょうがないと。

そんな弱いところが出てきたら、カツを入れてもらう存在って、とても大事です。あるいは、それはコンサルタントでなく、何らかのコミュニティでもいい。同じゴールを目指す人が切磋琢磨する環境に身を置くことで、ケツを叩かれる。

コンサルタントの自己研鑽は、すべてクライアントのためです。そのためなら時間とコストを惜しまない人が、いいコンサルタントになれるんだと、私は思います。

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