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映画の神キューブリックに生涯を捧げた修道僧

『キューブリックに魅せられた男』Filmworker(2017年)

監督 トニー・ジエラ
『バリー・リンドン』の出演をきっかけに、キューブリックのアシスタントになったレオン・ヴィターリのドキュメンタリー。パンフ原稿

 映画監督には、2、3回のテイクでOKを出す人と、何回も何回もやり直して粘る監督がいる。
 前者で最も有名なのはクリント・イーストウッド、それにスティーヴン・スピルバーグ。後者で有名なのはデヴィッド・フィンチャー、そしてスタンリー・キューブリックだ。
 イーストウッドはとにかく早撮りで、各ショットごとに2、3テイクしか撮らない。『J・エドガー』(11)で主演のレオナルド・ディカプリオが「もっといろいろな演技を試させて欲しい」と訴えた時、イーストウッドが「もう欲しいテイクは撮れた」と撮り直しを拒否して揉めたこともある。
 逆にデヴィッド・フィンチャーは50回以上撮り直すので悪名高い。どうしてそんなに? と本人に尋ねると「これだ、と思えるショットが撮れるまで粘るだけだ」と言う。「撮り直すうちに役者はいろんなアイデアを出してくる」たとえば『ファイト・クラブ』(99)でブラッド・ピットが見せるブルース・リーの形態模写は彼のアドリブだそうだ。
 キューブリックもフィンチャーと同じタイプだ。『時計じかけのオレンジ』(71)でマルコム・マクドウェルがレイプ・シーンで「雨に唄えば」を歌うのは彼のアイデアだ。マクドウェルは様々なインタビューで「キューブリックは決して具体的に演技指導はしない」と語っている。写真家出身のキューブリックは演技には素人だ。だから「これだ!」と思えるまで、俳優に何度も違う演技を試させる。マクドウェルやジャック・ニコルソンのように引き出しの多い俳優なら対応出来るが、そうでない場合、地獄になる。『シャイニング』(80)で夫に追われるシェリー・デュヴァルの心底怯えた表情は、キューブリックから何十回もダメ出しを食らって、人格が崩壊してパニックを起こしたからで、演技ではない。
『キューブリックに魅せられた男』の主役であるレオン・ヴィターリは俳優だった。彼は『バリー・リンドン』(75)で主人公リンドンが結婚する貴族の未亡人の連れ子ブリンドンを演じた。貴族の身分が目当てで母を篭絡したリンドンを憎むブリンドンはハムレットと同じ立場であり、シェイクスピア劇で鍛えられたレオンは、30回以上のリテイクに耐え、ゲロまで吐いてキューブリックの厳しい要求に見事に応えた。
 レオンは俳優としての将来を捨ててキューブリックの助手になった。彼の最初の仕事は『シャイニング』だった。キューブリックに代わって、アメリカに渡ってシャイニング(超能力)を持ったダニー少年をオーディションし、5歳のダニー・ロイド少年をキャスティングし、演技指導し、遊び相手になる。ダニーは撮影の合間にはレオンの膝の上に座っているから、よほど彼になついたのだろう。気難しいキューブリックには無理な仕事ではないか。
 さらに『シャイニング』でレオンは映画史に残る偉業を成している。幽霊の少女役に、原作にはない、双子をキャスティングしたのだ。「写真家ダイアン・アーバスが67年に発表した写真の双子みたいだ」とレオンは思った。キューブリックもその写真は見ていたので、レオンのアイデアを採用した。あの双子なしで『シャイニング』はあれほど成功しただろうか?
 続くベトナム戦争映画『フルメタル・ジャケット』(87)でも、レオンは素晴らしい仕事をした。新兵教育の教官のアドバイザーとして参加した本物の元教官R・リー・アーメイを教官役に抜擢したのだ。『フルメタル・ジャケット』は「アカの手先のおフェラ豚」「ケツの穴でミルクを飲むまでシゴき倒す!」等、アーメイの凄まじい罵倒アドリブがすべてと言っていい映画で、彼のいない『フルメタル・ジャケット』など想像もつかない。
 それでも飽くことなくキューブリックはレオンに求め続けた。レオンは監督助手としてクレジットされるが、製作現場だけでなく、公開プリントや世界各国の宣伝のチェック、過去のフィルムの管理まで何もかもやらされた。フォーリーもやらせた。フォーリーとは、効果音係のことで、その道のベテラン、ジャック・ドノヴァン・フォーリーが語源。キューブリックの『スパルタカス』(60)もフォーリーが手がけた。
 だからレオン自身は自分の仕事を“フィルムワーカー(映画仕事人)”と呼んでいた。人付き合いが苦手なキューブリックに代わって、映画会社との交渉はレオンが任された。雑用や掃除や書庫の整理、猫の世話までやらされた。
 レオンは1日24時間1年365日休みなくキューブリックに献身的に仕えた。レオンは父親に虐待されて育ったので、ひどい仕打ちに慣れているという。キューブリックとの30年間で家族との時間は犠牲になった。
『アイズ ワイド シャット』(99)にレオンは、乱交パーティを司る司祭の役で出演するが、編集が終わった6日後、キューブリックは心臓麻痺で急死した。レオンはキューブリックの遺志を継いで最終公開プリントを仕上げた。
 これだけ尽くして、レオンの手元にはほとんどお金が残っていないという。彼はキューブリックという映画の神に生涯を捧げた修道僧のようだ。「人生は旅なんだ」レオンは言う。その旅に後悔はないと言う。
 レオンはずっと巨匠の黒子だったが、この『キューブリックに魅せられた男』で主人公になった。彼なしには『シャイニング』も『フルメタル・ジャケット』もなかったのだ。この映画は最後に“フィルムワーカーズ”と複数にして、レオンのような名も無き映画人たちを讃えて幕を閉じる。
 印象深かったのは、キューブリックが全米監督協会に出席出来ないために挨拶のビデオをレオンが撮影するシーンだ。挨拶が終わった後、キューブリックは後ろに下がろうとするが、レオンはそれを却下して、フェイド・トゥ・ブラックで撮り直す。その時、レオンは、世界で最も偉大な映画監督を演出し、ダメを出し、リテイクさせた、おそらく世界でたった1人の男になったのだ! (劇場パンフレットより転載)