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Clubhouseって「新しい」というよりも「懐かしい」

ビットコインも話題のClubhouseもどちらも創造的先祖返りの一例のように見えます。

お金の起源

お金の起源は貸し借りの記録、台帳だと言われています。近代のマネーにおける大きなイノベーションはお金を貸し借りの記録(台帳)から切り離したところにあると言われています。これまで台帳と切り離せなかったお金が過去の履歴から自由になり「お金自体」として流通可能になった。お金が商品になったというわけです。それが、ビットコインの登場で再び過去の貸し借りや利用の履歴と分かち難く結びつく形でお金が先祖返りしているように見えます。

お金の始まりが物々交換だった、は嘘?

インターネットのコミュニケーションはテキスト中心だった

インターネットの20年:若者のコミュニケーションは文字からビジュアルへにもある通りインターネットはテキスト中心だったように思います。それが今話題のClubhouseのように音声にも広がっているようにも思います。移行していくというよりも音声コミュニケーションがテキスト中心のウェブを包摂していくようになるといったほうがいいように思います。

インターネットは下記のステップで進化してきたように思います。それは通信速度など技術的な制約によることも大きいのかも知れません。

テキスト

写真/動画

音声

ただ、これは人類の歴史のちょうど逆の動きをしているようにも見えます。人類が活字を使いこなせるようになったのは随分最近です。活版印刷がグーテンベルクによって普及してから500年程しか経っていません。洞穴絵画を描いた新人が20万年ほど前ですから、活字/テキスト文化は人類史の中でもごく最近の出来事です。

農耕を始めたと言われる完新世からしても1万年前ですから、5%程度しか経過していない事になります。それほどテキスト文化は新しいのです。僕らはずっと長い間、音声言語を通してコミュニケーションしてきました。文字の読み書きができる人もごく僅かだったと思います。

Clubhouseという創造的先祖返り

テキスト中心だったウェブの世界が、写真などビジュアル中心に移行して、現在音声サービスが勃興している様子を観察すると、人類史を昔に遡っているように見えます。人類は長らく音声によるコミュニケーションをしてきました。安心できる場所に戻ってきたとも言えるのかも知れません。

固定的文字言語、消えていく音声言語

文字って、「発した直後に消えてしまう音を封じ込めたい」という人類史的な悲願の具現化のように思えます。音声言語の場合、すぐに空に消えてしまいますので固定的に意味を封じ込めることが困難です。音声言語の方がより文脈依存で、その場で共時的に聞いていないと伝わらないことも多いでしょう。

一方の文字ですが、様々な文脈やニュアンスを切り落として特定の文字列に意味を封じ込めようとする行為自体が実は恐ろしく暴力的なことなのかも知れません。

だから何って話なんですけど、音声によるコミュニケーションって僕らの深いところに刺さるように感じますね。テキスト中心のインターネット文化は1万年前と大して変わっていない僕らにとっては少し無理があったかもしれません。知識層には情報の凝縮度合いや抽象度合いこそが重要だったかもしれませんが、一般の人にとっては意味や論理の世界に生きるよりも、声を通した無意識や感性に生きることがより自然のことなのかも知れません。

テキストとして表現できたものだけが存在として認めらる現代的世界においては、テキストとして表現できない「何か」はいつも「無意識」や無いものとして片付けられてしまうのでしょうか。

文字言語よりも音声言語が主だった頃は、言語的な意味よりも声のトーンやその声色こそがより重要だった可能性もあるように思います。

音声 SNSの台頭ですが、ウェブ技術を通して「声のコミュニケーションの復権」に人類的にワクワクしているのかも知れません。そんなことをDabelやClubhouseの動きを見て感じています。

取り留めのない話ですが、ソクラテスが自身の考えを文字言語として残さず、音声的な対話を志向していたこととも繋がりのある事のように思えてしまうのです。更にはお喋りが上手な娘に文字言語の矯正を施す是非についても考え込んでしまいます。

特に主張したいことはないのですが、Clubhouseって新しいというよりも「懐かしい」ってことなんだろうなとふと思ったということを残しておきたいと思いました。

とりあえず、書き残しておきたいことは以上ですが、お金を払ってくださった方へのお礼と参考リンクを以下に記しておこうと思います。

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