元義理父(?)の孤独死
結婚した当初は父の日に何かを送ったりしていた。
もう、送って来なくて良いからと。
それでも数回送ったと思う。
結局、毎回同じ答。
夏休みなどに子どもたちを連れて泊まり行く。
まったく、自宅で食事をしないので、調理器具や調味料はないので、毎食外食かテイクアウト。
唯一、バスタオルとか邪魔にならないものだけ置かせてもらっていたが持ち帰るように促される。
若い私はこれくらい孫のものなのに…と思っていた。
歓迎されていないのだろう。
遊びに行っても親戚の家に連れて行かれた。
その頃は曽祖父母が健在だったからなのだが義理父は長男だけど親をみていない。
その長男の長男の元夫が故に一応嫁の立場としてはとてもいづらい。
多少の嫌味も言われたりもしたが滅多に会わないので聞き流していた。
無口で喜怒哀楽もあまり表現しない義理父。
ある時義理父の妹にあたるおばさんから電話。
「あんたのお父さん、引越ししてどこにいるのかわからない。」と連絡があった。
携帯電話がわかっていたのかで連絡がついた。
煮え切らない返事。
まぁ、ちょっとした行方不明者を希望していたのだと思う。
一人息子の元夫は前妻との離婚後にお金がないからと義理父に数十万円を無心し、それなりの良い暮らしをワンルームでしていた。
家具などは最低限というのではなく、欲しいデザインのものや機能のあるものをちゃんと揃えていた。
義理父のお金で。
まぁ、この辺りで私もちゃんと見極めることができないでいたのは不覚だった。
それでも、子どもたちに会えたのでここはよしとする。(都合の良いことだと思う…。)
離婚後、警察からの電話。
内容はわからないが元夫の連絡先を伝えた。
その後、わかったことは、
死後数日経った義理父を発見。
それで警察からの電話だったそう。
残されていたものの中に病院の診察券が1枚もなかった。
貯金が数十万円。
義理父の覚悟がわかった。
愛想もない義理父だったのでもう少し関係を持って欲しいと思っていたが診察券が1枚もなかったのは、覚悟としか思えない。
なんかすべてが腑に落ちた。
若い頃から、自由に生きて家族との関係も難しい人だったようだし、それでも妹にあたるおばさんが私と子どもたちを気にかけてくれていたので、きっとそのおばさんには義理父の不器用さがわかっていたのだと思う。
残された預貯金では足りず、親戚からお金を借りて、アパートの片付けと葬式等を行ったと聞いた。
そこから、どうぞ学んで欲しい。
義理父の生き様から、たった一人の息子だったのだから。
私は義理父の生き様から、覚悟を教えてもらったと思う。
ありがとう。