父の命日が母の誕生日でお正月の理由
父は48歳という若さで亡くなった。
すっかり父の歳を越してしまった。
父は年末にいろいろな友人に電話をしてお正月に会う約束をしていた。
面倒見の良い父で、昔一緒に働いていた人や同僚を大切に思っていた。
子どもの頃は社宅に住み、大きなひとつ屋根の下で暮らしていた。
その頃から、面倒見の良い父は若いお兄さん達を大事にしていた。
風疹に私がかかり、寮に住んでいたお兄さん達にもうつり、母が順番に看病していたというエピソードも。
話は戻って、皆んなに電話をしたその夜中に布団で寝ていて脳内出血を起こし、救急車で運ばれた。
母の「お父さん、お父さん…」と言う声に中学生だった私も気づき、姉も起きて一緒に呼びかけた。
大きなイビキ、何度呼びかけても、ゆすっても起きない。
救急車に母と乗って運ばれた。
夜中、自転車で二人乗りをして姉と病院へ。
ICUへ…。
呼吸器をつけられる。
反応のない父。
朝になり、まだ健在だった九州にいる両親に連絡。(かなり会っていなかった、私に至っては赤ちゃんからぶりの再会。)
名古屋にいる父の姉、大阪にいる弟。
皆んな駆けつけた。
久しぶりの再会に喜ぶ。(父の深刻な状態を誰もが若さ故に想像出来ないでいたから。)
ICUの父に会い出てくる親兄弟…。
さっきまでの表情がいっぺんする…。
かろうじて繋がっている父。
結局、会いたい人に会えたんだと思う。
こんなことがないと会えなかった我が家の事情。
そして、二日の日の朝に電話が鳴り、亡くなったと…。
その電話が鳴る前に夢をみていた。
病院のベッドに座り、ニコニコする父の姿。
今でもちゃんと覚えている。
横で寝ていた姉も父の夢をみていた。
ちゃんと最後に声をかけに来てくれた。
14歳という思春期真盛りの私はもっと話しておけば良かったと後悔した。
お正月に御葬式をあげる。
父は亡くなって皆んなに会えた。
まぁ、こうして思い返すと不器用な生き方だったんだと思う。
母の誕生日が父の命日と言うこのインパクトはすごい。
短命が故に生きた証を残したのだと感じる。
息子もいつも静かにお正月を家族で過ごしていたけれど、ちゃんとお嫁ちゃんに伝えていたのは意外だったけど、父の残したメッセージは受け取っていたのだと。
お嫁ちゃんがおばあちゃんに大切にしないとって言うメッセージをダイレクトに伝えてきたのは父が出来なかったことを伝えてくれたのだと感じた。
父がこの日を選んだのはこうして必ず集まる日を選んだのだということ。
亡くなって44年と言うゾロ目の年に…。
やってくれたなお父さんって感じがする。