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乳がんを小さくした記録〜わたしなりによくやった3年のnoteまとめ

2021年3月、初期乳がんの診断を受けました。左右ともに影があり、特に左は塊の他に小さな粒が星のように散らばっていて、左胸全摘出とのこと。48歳の春。青天の霹靂でした。

手術したくない。

と思っていたら、統合医療コーディネーターさんとの出会いがありました。サプリと食事療法での治療を知りました。

やってみたい。

これ私がやることかもしれない、そんな気がしました。さらに、わたしこれで本書けるんじゃね? 「あわよくば」まで考えました(笑)。で、手術しないを決断。

生活の中でもいろんなことを止め、新しいことを取り入れました。そして2年経った2023年3月のMRI検査で「やや縮小」、3年後の2024年3月の検査ではっきり「前回より縮小」という診断。先生から「がんに負けない体質に変わったようだ」と言われました。

これは初期乳がんを手術しないで治すと決めてからの日々のnoteをまとめなおしたものです。あくまで個人の体験ですが、何か感じてもらえたら幸いです。

何もしないで手術を待つの?


2021年1月の終わり。「そろそろ何か出てくる歳よ」と母に諭され、福岡市の人間ドックへ。40代後半、検診も5年ぶり。すると不整脈があり、本当に何か出てきたなと思ったら、

2月、マンモの結果から「要精密検査」の通知が。専門のクリニックへ行くと、先生が「あやしい、要・生検」と言う。は? そんなバカな。しかし胸を写したモノクロ画像には、確かに白い、不穏なものが点々とありました。

3月初旬、胸に針を刺して患部を一部摘出する生検を受け、翌週に診断が出ました。「初期乳がんで非浸潤の大人しいタイプ。だけど石灰化の範囲が広いので全摘が必要」とのことでした。

青天の霹靂、ってこういうことか? 全く気づきませんでした。
いや、そういえば1年前に呼吸が引っかかる気がしたことがある。
でも乳がんなんて…

非浸潤は、不幸中の幸いのように先生から説明されました。多分手術と薬で大丈夫、抗がん剤は不要だろうと。ラッキーなの? よく分からない。来週までにどこの病院で手術するか決めて連絡して、と。

足元がふわふわする。
街の風景がスクリーンのように流れていく。

手術したくない。だけど乳がんの話が出て数日も経つと、諦める気持ちも育ちました。乳房の再建のことまで考えて、病院を探していたら

「ただその日を待つのは変」。ブハッと湧いてきました。

先生の話によると、病院を決め手術を予約してから複数の検査があり、当日まで2ヶ月はかかる。それまで何かできることあります? と聞いたら、「何もしなくていい、ステーキを食べてもお酒を飲んでもいい。ただコロナには注意して、手術の予定が伸びるから」

え、そうなの? さすがに食は関係あるんじゃないの?

その間に代替でも民間でも食事療法でも、やるだけやって、あの影が幾つか消えたら? そしたら、手術しなくてよくなるんじゃない?

そう思ったんですよね。我ながら明るい発想だと思う。

食事とすぐ始めたこと

食事はすぐ変えました。牛・豚肉、揚げ物、濃いもの、甘いもの、乳製品、加工品などは極力控えました。
毎日飲んでいたお酒はだいぶ減らしました。これが意外と平気。しかし甘いものの我慢は辛かった。がん細胞は甘いものが好きらしいですよ、好みが合うと思ったな。。

基本和食で、ご飯と味噌汁と香の物。野菜、海藻、きのこ、ごま、豆類、発酵食品など。タンパク質は魚と卵、最初は時々鶏肉も食べていました。味付けは控えめ。

*食事については「『やや縮小』までやったこと止めたこと」にも書き出しています。

生検前から、エネルギー治療をする東京の友人に遠隔治療を始めてもらっていました。がんは熱に弱いと知り、ケイシー療法の「ひまし油湿布」を直接胸に置いて温ました。以前にムラキテルミさんの「世にも美しい癌の治し方」をネットで見て感動したこともあり、とにかく温活、温活。体温が36.5度以上だといいらしい。

出会い


そしてこの頃。知人の紹介で、統合医療コーディネーターのTさんと出会いました。「パワーフコイダン」という、もずくを濃縮したサプリメントの説明を受け、わたしよりも重度のがん患者さんが何人も回復されているのを知りました。目から鱗でした。そしてこのサプリを摂りながら、手術以外のアプローチをする医師にも診てもらえるとのこと。さらに心理療法もやると、効果が高いと。

サプリ、試したい。その先生にセカンド・オピニオンをお願いしたい、心理療法もやりますと申し出ました。

Tさん、こうも言いました。「これまでの病院、一般医療との決別はとても大変ですよ」。そうなの? でもせっかく出会ったし、これやる。わたし治ると思う。Tさんの言葉の意味、この時はよく分からなかったけど、後でこういうことかと痛感しました。そしてこうも言われました。

「治る頃には、前とは別人になってますよ」

セカンド・オピニオンの意思を病院に伝えると、手術は保留になるけどいいんですね? とピシャリ。ああ、客じゃなくなるってこういうことか。そんなふうに感じました。腹を決めたつもりでも、すぐ不安が襲ってくる。医療を切り替えて亡くなった方の話をネットで読んで落ち込んだり、明日には気が変わっておずおずと病院に戻るかもと思ったり。

だけど身近に、手術をしたのち筋トレをバリバリ復活して「もうすぐ理想のボディ」という友人、がん経験からNPOを立ち上げて啓発活動に全国を駆け回る友人、ステージ4bで抗がん剤治療を何クールも受けつつその様子を発信する驚くほど気丈な友人がいました。わたしも腹を決めた。へこたれてたまるか。

そして何より、母と妹が手術しない選択を応援してくれている。大きかったです。2021年3月の末、ちょうど桜の季節でした。

早速神頼みも。志賀海神社のおみくじに勇気をもらいました!


おっぱいの夢

この頃は、毎日おっぱいのことを考えていました。
そして、診断を受ける前に自分のおっぱいが印象に残る夢を何度か見ていたのを思い出しました。胸だけ裸とか、そんな感じの。

夢を見るのが好きで、意味を知りたいと夢療法の教室に通ったことがありました。先生のご著書によれば、乳房は豊穣、母性。女性にとっては「創造性を育てる役目と性の充足の両方を意味する」と。「充足♡」と捉えたかったのですが…違った。夢は健康への注意を知らせてくれるツールなのです。

しかしまぁ「左」のおっぱいが硬い。乳首までがっちりしている。右と比べても重い。それも遠隔治療をお願いした治療家の友人が教えてくれました。遠隔でそこまで分かるの! こんなに違うのに自分で気づかなかった! とダブル衝撃。

この頃、自宅でケイシー療法のひまし油湿布、ココアバターのマッサージのほか、朝晩瞑想してイメトレのようなこともやっていました。わたしのイメトレは、胸の真ん中に小さな太陽があって、それが回転しながら体中に光をあてていき、がん細胞などエラーが出ている所がシュワシュワ〜と消えていく…ような感じ。これがなかなか気持ちよかったんですよ! 笑ってないでぜひお試しあれ。

さらに週1でヨガにも通いました。太陽礼拝をひたすらやる教室で、1ポーズ1ポーズにしっかり集中。行き帰りに自転車に乗るのも清々しかった。

ただ統合医療コーディネーターのTさんを介して診てもらうはずのA先生、とっても忙しいらしく面談の予定が立たない。緊急度の高い患者さんから対応しているそうで、致し方なし。だけど正直、(この間にひどくなったらどうしてくれるんじゃ!)とイライラしていました。

イライラ、イライラ…いかん、ストレスもがんの素。

とにかく自分でできる、気持ちのいいことをしよう。そのうちあれもこれも効いてくると信じていた2021年4月上旬の話。

「あなた大丈夫よ!」

福岡市の西、糸島市にオガクズ酵素風呂の「健康道場コスモポート」があります。全国から健康に関心の高い人が集まる、知る人ぞ知る場所です。発酵した桧のオガクズに半裸で15〜20分埋まります。表現しづらい香ばしさ…にもすぐに慣れてじわじわ温まります。効きそう〜って感じますよ。基本男女混浴、わたしが行った時はひとりか女性ばかりでした。

スタッフの方からわたしが初期乳がんとお聞きになって、代表の吉丸房江さんが話しかけてくださいました。「ここも40年、あと三年で私も90よ」と当時87歳、もう90歳になられたでしょうか。

「あなた大丈夫よ、元気じゃない! おっぱいにずっと一緒にいようね、って言ってあげなさい。手術しなくても治るだろうけど、してもいいと思うわよ。仕事のことばかり考えて、人のやることまで自分がした方が早いからと気を回してやってきたでしょう。それが体に負担をかけたの。周りを見てごらん、チャランポランな人が元気でしょう? あれでいいのよ〜。どうなの? と思う人を許してあげなさい。その人も居ていいからいるの、あなたが判断することではないのよ。人を許すと、自分自身を許せるようになるわよ」

勇気づけられました。そして心からうれしかった。
言葉の力と、人間力の深さを感じました。

治療について

2021年4月下旬、待ちに待ったA先生、統合医療コーディネーターさん(Tさん)との初面談の日がきました。先生は関西の方。Tさんは仕事で福岡と東京を行ったり来たり。わたしは福岡。ゆえにzoomです。これ以降、先生にお会いするのは検査後のオンラインのみで、定期的に病院に通うことはしていません。

A先生は放射線診断のエキスパート。TさんのA先生への信頼は厚く、それも好印象でした。生検のデータから、左全摘の診断はA先生から見ても妥当だそうで、範囲が広いのでそうなるでしょうとのこと。最初の診断が間違ってなかった事になぜかホッとしたわたし。

A先生曰く、切ることはがん細胞へ刺激を与え、他へ飛び散る。だから極力、手術はしない方がいいらしい。無論、状況によります。そして生検も切ることなので、本当はしないほうがいいと。それ今言われても!とキッとなりましたが、しかし、切る→飛び散るの説明は、腑に落ちました。

今後の進め方が決まりました。まずPET/CT検査をやり、その結果に合わせ、サプリ「パワーフコイダン」の量を決めて日々飲んでいきます。パワーフコイダンは低分子濃縮モズクエキスで、サンプルを飲んでみたら、とろみのある濃いお出汁のよう。毎日飲めそうな味で、安心。

「パワーフコイダン」は20年ほど前に九州大学とメーカーが共同開発したサプリだそうです。最初の購入者はがんになったお医者さんたちだったとか。そして治ったら、何てものを作ってくれたんだ! と血相変えてきたらしい。自分たちの仕事に影響しますものね。医療業界もいろいろ、人間味があります。

(早うせんかい!)とイライラしてたくせに、面談後は心底良かったと思いました。「このまま何も考えず手術への流れに乗るのはなんか変」と思ってからの変化。そしてますます変わっていくのだろうと思いました。

ネガティブモード

やっと治療が始まる!と思ったのに、またストップが。PETの予約が取れない…。なぜならこの時4月下旬、大型連休前でした。

どうしても連休明けの予約になり、10日か12日には、と言われていたのが結局17日に。先生と面談してから20日も先の話で、検査が延びれば、わたしにとって命綱となるサプリを飲むのも先延ばしになるわけで。わたし大丈夫か? と不安でワッと泣きました。今振り返れば、とりあえず先に注文して飲み始めちゃうって手もあった。しかしこの時は気づかず。

どうにもならないものはならない。日々をどう過ごすかだけ。食事が肝心だし、Tさんから他のサプリをサポートしてもらい、飲んでいました。これも良いものだったけど心許なかった。辛い時期でした。

統合医療から一般の病院へ戻る人もいるというのがなんとなく分かりました。相談できる相手がほしい。Tさんにいろいろな思いなどメールしていたら「わたしは永田さんのために生きているわけではありません」ときた。…ですよね。心理療法を始める前のこと。

ヒーリングと夢療法

この頃、妹の友人で霊能者のやすおさんのヒーリングも受け始めました。仰向けに寝たまま1時間強、祝詞や祈りの言葉をたくさんかけてもらいます。それが終わると、なんだかふわっと、心が穏やか。不思議なことに顔が上がっている!

やすおさんから、わたしは自分を守ろうとする意識が強い、ガードが固いと言われました。そうかもしれない。内面に固めたものを柔らかくして、流していくのが、これからやることだろうと思いました。

夢療法の講座で先輩だった雅江さんの夢療法モニターも受けました。その時ネタにしたのがギョッとするほど太い便をする夢。ところどころ白いものが混ざっている。「たくさん出しているのは体の浄化、治癒に向かっている。ただ便に白いものが混ざっているので、胆汁の出が良くないのかもしれない。胆汁がよく流れるような食事、野菜を多めにとって食物繊維をとり、油も良いものを取るように」。雅江さんはお医者さんです。よかったらこちらも>「夢の中でウンコをするー便の色と胆汁の話」

乳がんになって彼がとても心配してくれて関係が良くなったと言うと、「その発想だと良い関係であり続けるために、ずっと病気でいなくちゃという心理が働く」と。もっとわたしを見てという思いから、人は病気にもなるそうです。が、この時は納得できなかった。

この話を妹にすると、わたしの自分を守ろうとする癖を突かれました。「誰もあなたを傷つけないよ!」と言われてびっくり。あなたにいちばん傷つけられた気がする…。二人だけの姉妹、よく喧嘩し、罵り合ってきました。なのでお互い様なのですが。妹との関係も長く痛いものでした。2021年5月ごろの話。

心理療法EFTとPETの結果

統合医療コーディネーターのTさんに紹介された心理療法が、EFTです。「代替医療の一つとして医療現場でも使われ、日常的な心身の悩みに使用できるツール」でセルフケアもできるそう。

代表のブレンダさんによるオンライン・カウンセリング全10回を申し込みました。過去のわだかまり、人間関係、病になってから感じることなどを話し、頭や顔のツボをトントンと軽く刺激ながら(タッピングという)、ネガティブからポジティブへ思いを変換させていきます。精神科に勤める友人に話すと、催眠療法の一つということでした。ネガティブ感情を引き出して、ポジティブ感情へと向かわせていくブレンダさんのトーク。安心感があって、落ち着いて、話しやすかったです。

特に、どうしたら相手に的確に伝わるか? とか何も考えないで話ができるのがうれしかった。同時に、わたしが思っている通りに相手へ伝えようと、相手をコントロールしようとする癖があるのに気が付きました。わたし、マウントしている。思わず「こわっ!」と口から出ました。これも自分を守る癖。

そして、PETの検査結果が出ました。先にコーディネーターのTさんからいい結果が出ていると聞き、大喜びしました。しかし数日後、、A先生の面談では「がんは減っていない、ただ拡散する性質を持つものが抑えられている状態にある、だけ」と。ぬか喜びでした。家族からも「だろうと思った、そんなに簡単ではないよ」と。その後2日ほど悶々と過ごししました。

このことをEFTのカウンセリングでブレンダさんに話すと、

「体の変化はゆっくりかもしれない。けれど体を治そうとする力は、もっと早いんですよ」「食事療法をしっかりやる、ストレスを無くすことに集中すれば、3ヶ月〜半年で治癒する例もある」と。要は本人の意識次第。

「治そうとするのが、自然の在り方ですよ」

この言葉も大きかった。改めて自分の体の力を信じようと思いました。

すこやかな方を見る

遠隔治療と食事のアドバイスをしてくれる友人、福西秀人さん(ひでちゃん)が、絶妙のタイミングで福岡へ出張で来てくれました。施術を受け、いろいろ話もして、改めて、食事療法にしっかり取り組むことに。

基本の食事は、ごはん・味噌汁・香の物。後は同じものばかりでストレスにならないよう、少し変化をつける。ご飯は7分付きで、なるべく炊き立てを食べる。まとめて炊いてもその日のうちに食べる。玄米は消化に時間がかかるので、この時わたしには向かないとのことでした。

引き続き牛肉、豚肉、乳製品、揚げ物もカット。生魚、鶏肉もできるだけカット。「今のともちゃんの体には、動物性は負担だからね。どうしても食べたい時は少なめに、消化を助ける大根おろしやおろし生姜と一緒にね」。そういえば焼き魚や卵焼きには大根おろしが付くよね、と納得。

砂糖はNG。なんだけど、甘いもの好きのわたしのために代案を教えてくれました。 精米して出た米糠を地粉と混ぜて焼くクッキー、かぼちゃとサツマイモを蒸して丸めてお団子、焼きりんごにシナモンなど。ちょうどりんごがあった ので薄切りにしてシナモンをかけ、トースターで焼いてみた。おいしかった! これは何度もやりました。

ひでちゃんは20年のキャリアある施術家で舞台俳優やアスリートなど、体が資本の方を支えています。今、彼が師事する岡田多母さんの料理教室が芦屋であると聞き、参加しました。緊急事態宣言明けの頃。その会は1日がかりで、料理教室・ヤマト観相学・コスミックコネクションの3本立てでした。

まずは怒涛の料理教室。野菜を洗うときは赤ちゃんを洗うように、手で水を掬ってかけてあげる、洗ったらすぐに拭く…という、初めての学び。ベテランの生徒さんが先生に野菜の扱いについて尋ねると「わたしに聞かないで野菜に聞きなさい」だって。なんともはや、面白いところに来た。

あっという間に時間がすぎ、予想を超えた品数がテーブルに並びました。野菜の洗い方のほか、「手塩にかける」を覚えました(笑)。しかしこんな刺激的な料理教室は他にないんじゃないかしら。そしてとても美味しい。あんな風に扱われたら、野菜ものびのびいい味を出すはず。

2コマ目のヤマト観相学は、いわば哲学。「観」はただ見るだけ。見てどう思うかは関係ありません。「相」は「相対的に見る」こと。相手があって私がある。例えば男女の関係のように、対として相反するものがあって成立する。相手との違いを見て、自分を知る。そこに優劣、上下の意識は含みません。比べないのが大切。

最後のコスミックコネクションは、わたしたちを守る見えない存在からのメッセージを、多母さんが伝えてくれるという時間でした。この日、わたしにはなんと…彼との関係について言われました。それもかなりうれしい話…しかし病気について聞きたい。尋ねると、「ああ、すぐに解決するわよ!」と言い放たれました。さらに、

病気はあったり、なかったりするもの。
病気にではなく、すこやかな方に意識を向けること。
リフレッシュすること。
喜ぶ力が生命力となる。
ありがとうより「おめでとう」を。
生まれてから、60、70、77、と歳を重ねて祝うのは日本人くらい。
すこやかな方を向き、たくさんお祝いをして、「おめでとう」でいっぱいの人生にしなさい。

ああ、今読み返してもうれしい言葉でした。
本当にそう。ありがとうございました。2021年6月の話。

やさしい下着にチェンジ

食事を変え、生活が変わる中、どんどん痩せていきました。あの頃は食事やサプリの影響と思いこんでたけど、がん患者らしい痩せ方でした。

それまで普通に着けていたブラが、我慢できないほどキツくなってきました。ガリっと痩せたのにアンダーの締め付けがキツくなるっておかしくない? ある時、散歩中にホックがバチっと外れました。滅多にないこと、まるで体が「嫌ッ!」と外したようでした。 もういいやとホックが外れたまま歩いていたら、晴れ晴れとした気分に。

ユニクロのブラトップさえもキツくて、背中側にあるゴムが気になる。結局トップは全取っ替え。アンダーの締め付けがほとんどないブラキャミソールとノンワイヤーのブラばかりで大人のセクシー感まるでなし。そもそも胸自体、だいぶ小ぶりになっていました。

下は新しいブラキャミとセットのほか、新アイテムを導入しました! 「ふんぱん」、ふんどしパンツです。夏の風呂上がりなんか、ふわっと風が通って最高。「かずみのふんぱん屋」さんにお世話になっています。生地がやわらかく、色、柄ともに可愛いものが多くて、かずみさんのセンスを感じます。ふんぱんを履くようになって、「ふんぱんもの」の意味が自分の中で変わりました。

初めてのMRI検査

2021年8月、MRI検査を受検。その結果、5月のPET/CT検査よりもがんを抑え込めている様子、とのことでした。左胸に散らばっていた小さながんが、幾つも消えていたのです。右のはっきりしなかったのも完全に良性、リンパ節転移がないのも分かった。「やっぱり乳がんを診るのにMRIはいいね!」とA先生。ああ、順調! 分かりやすくいい結果が出て何よりでした。

3月に最初の病院の診断で「非浸潤」と言われましたが、セカンド・オピニオンから主治医になったA先生によると、わたしは「非浸潤」と「浸潤」の混合型。実際は、ちょっと危なかったらしい。それなのにアンタ待たせたんかい! と思ったけど、「わたしは軽い方」と思い込んでいたのは結果良かったかもしれない。

もずくのサプリ「パワーフコイダン」はもうしばらく継続して、2ヶ月後に再度MRI検査をしよう、とのこと。11月にはバンザイ! したい。そう思いました。

「食事を変え、生活を変え、ストレスを減らしているから効き目が早い」と先生たち。この頃は仕事も、3ヶ月ごとと半年ごとのレギュラーのみ。クライアントには急に痩せたとか、思われていたでしょうか。何も聞かれなかったな。

激ヤセとファッション、コロナの影響

体重はどんどん減っていき、いちばん少ない時で40キロ台まで落ちました。体脂肪率は8%まで落ちました。ちなみに身長は163.7cm。
お尻の痩せ方は半端なく、畳や床で仰向けになるのもクッションのない椅子に座るのも、骨があたって痛い。温泉の大浴場では、後ろにいる人にお尻の穴が見えているんじゃないかと気になりました。

で、お尻の穴だけでなく。その前の方で風を感じるようになりました。ふんぱんでなくとも、ショーツの中を風が吹き抜けていく…。女性が大事な部分をいかに脂肪で守っているかと、納得しましたね。

歩くのも変な感じがしました。両足が左右に開いて、力が入りにくい。ひょこひょこして、地に足着いてない感。トイレが妙に近くなって、30分も歩いたら行きたくなるし我慢もできない。それをインドヨガ講師の妹に言うと、いつでもできる「膣トレ」を教えてくれました。意識してやっていたら、そのうち気にならなくなったなぁ。

ただ痩せて良かったこともあります。 むくみが取れて顔のラインがスッキリし、あら、目が大きく見える!  勢いづいて、まつ毛パーマをかけました。まつ毛が上を向いてパアッと開いて、おめでとう〜と言っている見たい!

お店で「ほそーい、スタイルいいですね」なんて言われるようになり(スタイルいい細さではないのですが)、よく服を買いました。服を着るのがますます楽しくなって、と同時に福岡から発信するファッションブランドが幾つもあることも知り、特集を企画。美容とファッションは元気の素になります。

しかし激ヤセは、体力を奪っていました。2021年9月の初め、コロナのデルタ株に感染しました。熱は38度台まで上がり、喉が痛い。咳、痰、鼻水はほとんどなし。呼吸も穏やか。血中酸素は少ない時で96%、自宅療養中は98〜99%。味覚と嗅覚がぼんやりした時はギョッとしました。当時としては、症状は軽い方。

世の中はコロナのニュースだらけの頃。数日前に会った人たちのことが気になるし、やっぱりストレスはかかりました。

挑戦している

2021年の11月、2回目のMRI検査を受けました。結果は芳しいものではなく、前回8月には抑え込んでいたがん細胞に、“染み出し”が見られるとのことでした。

そもそも爆発的に拡大する性質のものを押さえ込んでいたのが奇跡、とA先生とコーディネーターTさん。しかし、さすがに気落ちしました。しばらくnoteも書けなかった。

zoom面談の時、「あまり眠れなかった?」と先生。確かに睡眠不足でした。ここ数年、特に夏場は夜中に2,3回目が覚めるのがふつうで、コロナもやったし、暑くてビールやノンアル飲料も飲んでたし、食事量も増えていた。

あれこれ考えるうち、どれも当てはまって、どれも外れているような気もしてきました。そして結局は心の不安じゃないかと。これで本当に治るのか? 治したいけど、、そんなことでは体も戸惑う。

「パワーフコイダン」を継続しながら、もう一つ「島アザミ」のサプリも再投入。これは痩せやすいので、気をつけながらしっかり食べる。くれぐれも食事、ストレス、冷え、年末年始の暴飲暴食は特に注意。無理をしないこと。仕事はまだ控えること。あまり気を落とさないこと。歩くくらいの運動は続けること。

ゆるんでいたお酒をキッパリ禁酒しました。
乳がん経験者のMさんの話を聞いて、改めて野菜の力に注目。『がんを消す!食材図鑑』をチェックして、『最強の野菜スープ』を毎日の献立に投入しました。
妹の紹介で、鍼に通い始めました。最初の頃は週に1回。穏やかに体力を底上げされている感、があって自分に合うと思いました。
時々やすおさんのヒーリングも受け、その後ランチしておしゃべりするのも楽しみでした。

再開していた夢療法のオンライン講座が、11月に最終回。夢から病気の原因を諭され、今の治療で良い方向へ行くだろうとメッセージをもらいました。しかし「あんた、それで人生の覚悟はできてるつもり?」と叱咤もされ、、(夢なのか先生からなのか、、)。 病や健康に関しては直接的でやさしく、精神面へのアドバイスは厳しい。不信感の強さ、自分勝手さ、わたしのネガティブ面を幾つも突きつけられました。最終回は大泣きしました。先生はわたしが途中でギブアップすると思われていたそうです。修了できたわたしは案外強いし、根性あるかもしれない。

さらにこの11月はフラ教室のショーに、先輩方と一緒に出ることになりました。12月初旬の開催に向けて練習、練習。プレッシャーがたまらない、心身ともに休まらない。一度、レッスンの最中に鏡に写った自分を見て、こんなギスギスした体でショーに出ていいのかと落ち込みました。終わって先生に「ちょっとお話が」と声をかけたら、涙腺が大崩壊。「知子さん、大丈夫、踊る曲減らしていいから!」「いや、先生、私踊るのは踊りたいんです!ただこんな体で出て良いのかと(号泣)」

それでもなんとか踊りを覚え、自宅でも練習を重ね、ショー当日はミスなく4曲を踊りきりました。もう本当に感無量。最後にケイキ(子ども)のはなちゃんに花束をもらったら、また涙。。

無理をしない、ストレスをかけない、と思いながらも気づいたら自分で忙しくしていました。ストレスも多かった。辛かったけど、この時期があったから、今につながった気もします。

そもそもわたしは、挑戦するのが好きなのかもしれません。負担がかかるのは分かっていて、なぜか難しい方を選ぶ。乳がんを手術なしで治そうとしているのも、挑戦好きの最たるもの。

昔、『私たちは繁殖している』という漫画がありました。『私たちはどうかしている』ってドラマもありました。どっちもいいタイトル。わたしは、『私たちは挑戦している』と思う。日々生きることに。

太陽のちから

朝が苦手だったわたし、生活の変化とともに早起きになりました。5時台に目が覚め、鳥の声を聞き、少し明るくなったら体を起こして瞑想など。晴れていたら着替えて、朝日を浴びに散歩へ。近くの展望台まで行って帰ってくるだけですが、とても気持ちがいい。以前のわたしだったら考えられない、めっちゃ前向きな新習慣。

朝7時ごろ展望台へ行くと、大体同じメンツがいるんです。その中に猫の「ゴロちゃん」に声かけながら歩くおじさんがいました。ある時、遅い時間に展望台へ行ったら、誰もいないのに「ゴーロちゃんゴーロちゃん」という声がする。なんと、カラスでした。あのおじさんの声、カラスにもインパクトあったかと大笑い。

朝の散歩は「朝日を浴びると免疫力が上がるわよ」とやすおさんに聞いて始めました。『がんが自然に治る生き方』でも紹介されていた。日光を浴びることで幸せホルモン・セロトニンが分泌されるそうです。確かに清々しい、さあ今日を始めよう!という気持ちになります。

3回目のMRIと夢のサイン

2022年1月下旬、3回目のMRI検査を受けました。検査の前にまた夢を見ていて、コロコロとした丸い便をホーローのような白く大きな便器にたくさん出す…という内容。サイズはおにぎりくらいで、ココアパウダーをかけたトリュフチョコレートのような可愛さ(笑)。これはいい兆しだろうと思いました。体調も良かったし、周りから顔色がいい、声がよく出ているとも言われていました。

そして、結果がこちら

いちばん下が2022年1月の結果

この頃、深夜に男顔で上半身裸・黒いパンツのヒラヒラした体の人?たちが、女声で「温泉♪温泉♪」と口ずさみながらトランポリンで飛び跳ねているという…おかしな夢を見ました。しばらく「温泉♪温泉♪」が頭から離れなくて、確かどこかの温泉へ行ったと思う。

思えば最初の頃、ぐっしょり濡れた黒いTシャツ・黒いパンツ姿の若い男性が、うちのベランダでぐったり座り込んでいる夢を見ていました。その人に看護師さんのような女性が「大丈夫?」と。

その前には艶びかりした大きなカラスが、同じくベランダに止まっていました。

その前の前には、空からたくさんの天女が降りてきた夢も見ていました。今思えば、お迎えのサインだったのかもしれない。

そして、体調がだいぶ良くなって見た夢では、ドラマ『ルシファー』のようなイケメン悪魔(男性)が、上半身裸に黒の皮パン姿で登場。際どい夢だったので中略、最後は昇天していきました。悪魔も元天使。天に帰れてよかったねと見送ったのでした。

診断から1年3ヶ月

2022年6月初旬、4回目のMRI検査の結果を先日受けました。「すごく良いですよ!」とA先生も興奮気味。統合医療コーディネーターTさんも「おめでとうございます〜」と。実際、体調がいい感じなので、自信はありました。

この時は「縮小傾向」

このMRIの前に、血液検査しておこうと人間ドックへも行きました。福岡市の、よかドックです。その血液検査でコレステロール値が高いことが発覚。Tさんに相談すると、再検査に久留米の病院を紹介されました。今の状態で一般の病院へ行くと手術に追い込まれる可能性があるから紹介先へ行って、とのこと。

個人宅のような可愛らしい病院でした。庭にはブルーベリーの実がたくさん。血液を採取してもらい、先生に手術をしていない話をしたら
「乳がんを手術なし? 何を言っているのか!そんな甘い話ではない!」
と怒られました。体が冷えていくのを感じました。

ふつうはしないけど、エコーで診てやる!とおっしゃるので、ベッドに横になり、左胸を出しました。冷たいジェルをつけてグリグリ、グリグリ…。すると先生「おや、 変だな…」。不思議そうな顔でわたしを見て、それ以上何も言われませんでした。

病院を出て、前にTさんが言っていた「一般医療との決別はたいへん」を思い出しました。そして帰り道、小さくガッツポーズしたわたしでした。

おへそから白いアカ

2022年8月、生誕50周年! おめでとう、わたし。その日は神奈川と福岡の親友、二人とも知っているイケメン弁護士さん(笑)が来てくれて、タイ料理の『ガムランディー』で楽しい夜を過ごしました。 この頃のインスタのを振り返ったら、体重が少し増えてきたと書いていました。43キロくらいじゃないだろうか。

8月の末には熱海と東京へ。吉祥寺のサロンで福西ヒデちゃんの施術を受けました。3月に秩父で受けていたので、通算3回目だったと思う。

ヒデちゃんは自分の施術を「調律」と呼んでいます。その人の体の声を聞いて、体が求めるところに手を置き、指圧したり、揺らしたり。悪いところを見るのではなく、本来の力にアプローチしてすこやかな状態へ調えていきます。精妙なエネルギーを調整していくのだそうです。毎回、深く深く、癒されます。そして3回目の施術の数日後、変なことがありました。

自宅でお風呂に入っていた時、ふとおへそを触ったら、中から何か出てくる。えっ、次から次へ出てくる! 白いものが、垢なのか? ボワ〜と湯船に広がりました。びっっっくり、でした。

そして9月、5回目のMRI検査。検査結果の写真は、わたしにはあまり差がないように見えたのですが、A先生はとてもいい! と。左胸の下の蝶々のような形をした塊のラインが、スッキリしてきているような? 検査も今まで3ヶ月ごとでしたが、次は半年後の来年3月でいいと。

サプリもようやく「パワーフコイダン」(一升瓶で約5万円)から、「ボルトエッセンス」(1リットル約1万円)へ変わりました。ホッ!

2年でやや縮小、3年ではっきり縮小

2023年3月、乳がんの診断から2年が経ちました。6回目のMRI検査を受け、「やや縮小」との結果。今までは縮小傾向で、大きな塊のサイズにあまり変化がなかったのです。それがやっと「やや縮小」!  前進したわ。A先生から次の検査は1年後でもいい。気になることがあったら連絡して、とのこと。それを妹に話したら「1年後でいいって、ふつうの検診じゃん!」って。確かに!!
この時のこと、「『やや縮小』までやったこと止めたこと」にまとめています。

そして今年、2024年3月、乳がんの診断からまる3年。7回目のMRI検査で、「前回より縮小」に! 確かに塊が小さくなっている。バンザイ!な結果でした。

前回より縮小、新たな病変なし!


A先生からは「体質が、がんに負けないものに変わってきた」「同じ治療を選んだ人に勇気を与える結果」と。なんてうれしい言葉でしょう。

今は左胸を触っても、塊があるか分かりません。
そしてがんが小さくなっただけでなく、いろいろ、変わりました。
肌色が明るくなり、スイカの種みたいに真っ黒だったホクロが薄くなりました。花粉症と乾燥による肌の痒みも軽くなりました。「乳がん前回より縮小、そしてわたしの変化」でもまとめているので、よかったらご覧ください。


今、感じること

最初の頃、統合医療コーディネーターのTさんに「治る頃には別人になってる」と言われましたが、自分でも確かに変わったと思います。

やってきたのは、
食事療法とサプリ
体を温める
したくないことはしない
好きと気持ちいい方を選ぶ、こと。

そして心理療法EFT、夢療法。
感情を見直す講座にも通いました。そこで嫌な感情を思い出し、あまりの辛さに頭痛で寝込んだ日も。

ある時、父との関係にトラウマがあったことに気づきました。心の奥へ追いやって忘れたふりをしていた。彼との関係でも先の見えないモヤモヤが晴れず、腹の底で抱えていました。

だけど、父が残してくれたお金で高価なサプリを飲み、心理療法や施術、ヒーリングを受け、旅もして、自分を変える時間を過ごすことができました。
彼がいたから胸を残したかったし、自分の体を、自分自身をもっと大事にしようと思えました。

誰のせいでもない。
だから、わたしの何が悪かったか? ももう考えなくていい。
全て、いい悪いじゃない。

病気になって気づくことがたくさんありました。今思えば面白い日々だった。乳がんになってよかったとは1ミリも思いませんけどね!(笑)

わたしが変わるきっかけに、自分の奥にあるものがこれを選んだのだろうと思います。そしてわたしの寿命はもう少しある。

***

そんなこんなで、長くなりました。
お付き合いありがとうございました。

noteに書き、SNSにあげたことで、友人知人たくさんの方にわたしの状態を知ってもらい、驚くほどたくさんの激励をいただきました。うれしかった、わたし愛されてるじゃん!と涙しました。

そして、何人もの方から「わたしも」と連絡をいただきました。
今、がんの人がどれだけ多いことか痛感しました。

これはあくまでわたし個人の体験ですが、もし、もっと知りたいという方がおられましたらご連絡ください。お話でも、なんなりと。

ちなみに父が残してくれたお金は、
見事に使い果たしました。

2024年6月 永田知子

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