「この道を選んだことを後悔はしてない」ってわざわざ言いたがるのって、実はめちゃくちゃ後悔してて、そんな自分を悟られたくないからなのよね〜。
以前の私、
「実父が余命宣告を受けた時、日本への帰国を決めたこと」
「カナダに戻らず日本での出産したこと」
「離婚してシングルマザーになると決意したこと」
「幼稚園や学校を何度も何度も転園転校させたこと」
「息子を連れてカナダに移住したこと」
「ぜっんぜん後悔なんてしてへん!むしろベストな道を選んだと思ってる」
やたらとこんなこと言うてたわ〜!どの選択も決断も、よっぽど後悔してたんやろな〜!笑
「スマホの機種をAndroidじゃなくてやっぱりiphoneにすればよかった〜」とか、「レストレランで悩んだ挙句、ハンバーグ定食選んだけど、やっぱりカツ丼にすればよかった」くらいのことなら、「あぁ〜後悔したな〜」って軽々しく言えけど・・・
”人生を左右する決断”
については、常に最大限に迷って決め難く、何が自分にとって一番の得なのか?何を選べば損しなくて済むか?どの道が自分の人生を好転させるのか?どうすれば後悔しなくて済むのか?
について、時間をかけて吟味と熟考を重ねて、ようやく決意して実行するから、軽々しく「失敗」「選択ミス」なんて認められへん&認めたくない。
その上「後悔してる」なんて口にしてしまうと、「やっぱり自分が選んだ路は間違ってたのだろうか?」「違う道を選んだ方が良かったのでは?」と自責の念に囚われてしまって、どうしようもなくなる。そうならへんためには、「後悔してない」と自分で自分に言い聞かせるしかない!
「後悔してることを悟られたくない」のは周りからではなく「自分自身から」!自分自身が「後悔してることに気づきたくない=受け入れたくない」が本音であるってこと!
そんな心理が働いてることにも気づかずに、やたらと「後悔なんてしてない」って言い張ってるのは、なんか健気で可愛くも思える。
でも結局、「後悔はしてない」って言いたがる人は、「後悔しないためにどうするか?」っていう”発想”と”選択の仕方”をするから、必ず後悔することになることになってしまってるのが残念なところ・・・。
どう転んでも後悔してしまう思考回路
決して、「後悔してはいけない」と思ってるわけじゃなく、後悔してる時に、「別の道の方にもっとええこと(得)があったに違いない」(=自分が選んだ方は、損ばかりすることになった)って感情を受け止めて向き合うことが一番苦しい〜。
ついでに言うなら?どっちを選んでも、どれを選んでも、どこへ進んでも、どの道を辿っても・・・
結局ちゃんと最後には後悔する思考回路
になってるから、何を選んだとしても同じやねん!笑
後悔とは、選んだものの良し悪しによって現れるのではなく、今が充実していないとき、今に満足してないときに必ず現れるから・・・。
今選んだ道じゃない方を選んだとしても、「もう一つの道の方が良かったのでは?」って思い始めて、「自分が選ばなかった方に何か得があったのでは?」と思う呪縛から逃れられへん!
となると、選択肢の多さや少なさ、どちらがより優位であり有意義なものなのか?などは、全く関係なくて、選んだ結果を「有意義なものにするマインド(思考回路)」があれば、何を選んでも有意義であるけど、それを持ち合わせてへんと、何を選んでも「後悔の念」がつきまとう!
「後悔してない主張」をしたがってしまうなら、後悔しないためにはどうするか?なんて、まわりくどくて不確実な方法に執着せずに、「選んだものを有意義なものにするマインド」に書き換えた方が早い!
そのために絶対に欠かせへんはじめの一歩は?
「選んだすべてを無意義なものにしてしまうスキルが高すぎる」
ってことを受け入れること!
これをすっ飛ばして、「マインドを書き換える方法」ばかり追いかけてるから、また「マインドを書き換えられなかったけど、後悔なんてしてない」なんて主張に逆戻りすることなる!
一番大事なことは、ただシンプルに「素直に認めること」。一番簡単そうなことが、実は一番難しく、それが一番大事やったりする。