人生変えたい!って言いながら、何も変わらん原因はここにあった!
「人生変えたい」って言い続けながら、何も変わらへん人は、「変わること」によって発生する責任から、無意識に逃げてるだけやったりする!
かわいそうな被害者で、不幸背負って苦しんでる方が、同情も得られるし、後退してても、「まだまだ発展途上」とか言うてればええし、愚痴や文句も言い放題で気持ちええ!
誰かの投稿や発言を叩きまくるのも、「いろいろ苦しんだ弱者の私を苦しめた罰」みたいに言うてればええんやから、楽チンやわ!
「不幸ぬるま湯の心地よさ」を、無意識レベルが知ってしまってると、それでドーパミン大放出するんやから・・・
幸せになんてなってしもたらエライコッチャ!
ってことは?
「しあわせになるため」とか、「愛されたい」とか、「夫婦関係を修復するため」とか、「自分のやりたいことを実現したい」とか言うて、頑張っていろいろ学んだり、積極的に解決方法を模索してるのは?
ただのひまつぶしか?笑 または「私は不幸に甘んじてなんかない=向上心を持って生きてる」って言うパフォーマンスか?もしくは「幸せな自己実現のための行動をしてる」と実感して安心を得てるのか?
のどれかちゃう?
その依存症から抜けるには覚悟がいるもんな〜
【幸せな人は?】
「嬉しいことや楽しいことは、自分の努力の賜物やから、自分のおかげ〜!苦しいことつらいことは、自分の意志とは関係なく、天から降ってきてたまたま当たった交通事故みたいなものだからアンラッキ〜だっただけ。」
みたいな都合のええ思考回路じゃなく、「出来事すべてに責任を持ってる人」。
自分の現実を自由自在に創りだせるのは、自分(の思考)だけである!ってことを、ちゃんと分かってる人。
【不幸に依存する心地よさ】
不幸に依存する心地よさとは、
「うまくいかへんこと」「苦痛があること」「心がザワザワすること」「心地よさがないこと」
にこそ、無意識に心地良さを感じてる状態のこと。
もちろん、頭(わかる意識)では「うまくいってほしい」「穏やかに暮らしたい」「心地よい方がいい」って思いながら毎日を過ごしてるけど、自分でも意識してない思いの中に、「うまくいかへん状態を喜んでる自分がいる」ってこと。
なぜなら、「うまくいかへん状態」があることで得られる「感情」こそが、自分が遠い昔に味わって、今も忘れられへん”歪んだ心地よさ(愛)”であるから。
その”歪んだ心地よさ(愛)”を、今も変わらず追い求めて、毎日「うまくいかへん状態を喜んで量産する思考を繰り返してる」ことになる。
この「うまくいかへん状態を喜んでる自分がいる」ことが、受け入れ難いところなんやけど、無意識の思いを紐解けば、誰でも納得できる!
「解決策を求めて模索する姿勢」と「解決に直結する苦痛や葛藤に直面する覚悟」とは似て非なるものやから!
解決策を模索するのは、怪我したからバンドエイド買いに行かなくっちゃ!とか、ウィルスに感染したから病院へ行こう!みたいなこと。
解決に直結する苦痛や葛藤に直面する覚悟を持つのは、怪我をすることで何を感じたかったのか?どんな感情を得られると信じてるのか?ウィルス感染で何を思うのか?どうやって扱われたいのか? など、自分の無意識の思いから「根本原因」を探りあてる痛い作業のこと。
対処療法 & 根治療法
の違いみたいなもんやな!
「悩み続けてること」が「一番楽」なうちは、大量のバンドエイドと、保険証をなくさんようにすることが一番大事やな〜!
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