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毎日が新しい

昨日は、AH(アティテューディナル・ヒーリング)実践ワークショップだった。私がAHに参加するようになったのは2007年からだから、もう何度参加したか数えきれないくらいだけど、毎回新しい気づきがある。

私は朝、その日の言葉のようなものが思い浮かぶことがあって、それが今日は「毎日が新しい」という言葉だった。AHのカードの中の言葉に「身近に慣れ親しんだ人やものごとをまるで初めて出会うかのように見ることも選べるのです」というのがあって、まさに「毎日が新しい」感じだなと思った。AHの実践ワークショップでは、すでに入門ワークショップでお会いした方や何度も通ってくれる方、私にとってははじめて会う人はいない日なのだけど、毎回自分自身の中にもほかの方の中にも新しいなにかを感じていている。お互いに新しいどうしで会っている感じ。

そういえば、自分の私生活でまわりにいる人にも、そんなことを感じることがあるなと思った。毎日みんな変化しているのだから、あたりまえかもしれないけれど、つきあいの長い友達や家族やパートナーの中にもそういうのを感じるときがあってそれが新鮮でおもしろいなと思う。

2017年の夏から秋にかけて、私は体調不良で毎日朝起きるのがとてもつらかった。一日の中で朝が一番つらくて、気分も体も重かった。ぜったい体によくないとわかっている栄養ドリンクを飲まないと動き出せなかった。栄養ドリンクの効果は一瞬ですぐに消えてしまうのだけど、その一瞬に頼らないとないと動けなかった。体によくないとわかっているものを飲むのも罪悪感があった。もともと健康に気を付けていて朝型で早起きな私がそんなことになるなんて自分でもショックだったし、翌朝起きられないのではないかという心配というよりは、翌朝目が覚めないのではないかということが心配になったりして、実家に泊まりに行くことが多かった。今おもえば、うつ病寸前だったのかもしれない。まわりの人の助けがあって、なんとか乗り越えられたのだなと思う。誰も頼らなかったら、ほんとにそのとき死んでしまってたかもしれない。

その時のことを思い出すと、今のように朝いい感じの言葉が思い浮かぶということはすごく元気な感じがする。人生には好調のときも不調のときもあってそれもずっと変化しつづけているんだろうなと思う。AHの原則の「変化を怖れる必要はない」というのは、こういうことかなと思う。

相手の中に新しいなにかを見つけられることは、たしかに「初めて出会うかのように」見ているのかもしれない。私がゆるせないでいる人に対してはそれが出来てないという単純な話なのかもしれない。お互い新しい自分どうしで会っていると思ってみたらいいのかも。まあ今日出来なくても、そのうち出来るかもしれないし。

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