余白を歩く 《思い出しグルメ② 吉祥寺〜more》
ダンナが生きていた頃、家族で行った店、行きたかった店。なくなってしまった店もあるけれど…。
思い出しながら、ぼちぼち語っていくシリーズ。
* * *
マリリン・モンローの看板が目印の、吉祥寺の老舗喫茶店「more」。ヨコモジに弱いダンナは、たしかにこう言っていた。
「じゃ、モンローで待ってて」
いや「モア」だけど…。
今回再び訪れてみて気づいたのだ。ダンナがモンロー、モンローと言うからずっと「monroe」だと思っていた。でも、ミステリアスに微笑むマリリンの下にはしっかり「more」と入っているではないか。
たぶん当時も「モンローじゃないよね、モアだよね」とツッコんだような気がするが、ダンナは「モンロー」で押し通していた。どうやら私の記憶もダンナ補正がかかってしまったらしい。
「昔、ここでバイトしてたんだよ」
「友達としょっちゅう来てたんだよ」
どっちだったろう。どっちもか。バイトしてる店の名前、間違えるだろうか。それか、モンローはバイト内や友達内での通称名だったのか。
ボンヤリ考えながら狭い階段を登り向かって左、二階のこじんまりしたガラス扉を開ける。
思ったより狭い店内には、既に三組の先客が陣取り、どこに席を取ろうか悩む。悩んだ末に入り口に近い一人用の席に着いたが、着いてから気づいた。空いていた窓際の広い席にすればよかった。たしかダンナとあそこに座ったはずだ。当時店内の狭さが気にならなかったのは、きっとそのせいだ。
何を頼もう、ではなく何を頼んだっけ、でひどく悩む。オムライスだと思っていたが、メニューを見てホワイトドリアに目がいく。これではないか。これを頼んだ気がする。けれどいざ運ばれてきたものを見ると、見覚えがない。やはりオムライスだったか。それかパスタだったかもしれない。なにしろ二十年程前のことなので、記憶がぼやけてしまっている…。
キャベツがアクセントになった、アツアツのおいしいドリアを頬張りながら、当時のことを思い出そうとして、頭がカラ回りをする。店内はガッツリとジャズがかかっていて、至るところにジャズのCDが置いてある。ああ、ここはジャズ喫茶なんだ。ダンナと私はまるで音楽の趣味が違って、ダンナはジャズが好きだった。ソプラノサックスを吹いていたそうだが、それも一度か二度、チラッとしか聴いたことがない。今書いていて思い出したが、吉祥寺のライブハウスに来る時に寄る店だったのかもしれない。ソプラノサックスに入れ込み、ライブに出るほどだったのに、なぜ演奏を披露してくれなかったんだろう。香りのよいコーヒーを飲みながら、ログハウス風のダークブラウンの空間になじんだソファに深く身を沈める。ダンナの好きそうなインテリアだ。よほど店主にダンナのことを憶えているか聞こうかとも思ったが、勇気が出なかった。
この店には二、三度ほどしか来たことはなかったと思う。ずっと忘れていたのを、最近ふと思い出したのだ。人は思い出そうと努めると、案外思い出したりするものだ。けれど細かいところまでは難しい。
二、三度のうち、一度はダンナと私と、誰かもう一人と一緒だった。私の友達だったか、それともダンナ方の姪だったか…。娘ではなかったはずだ。
「じゃ、モンローで待ってて」
ダンナとは後から合流したのだった。
こうやってダンナも仲間と待ち合わせをしていたんだろう。
「ここのオムライスはウマいよ!」
やはりオムライスだったんじゃないか、と思う。こう言っていた気がするからだ。また行こう。そうしたら、また何か思い出すかもしれない。
ダンナのソプラノサックス、もう一度聴きたかったなあ。吹く人を失ったソプラノサックスが、押し入れには眠っている。