余白を歩く 《思い出しグルメ⑥ 調布〜あずまや》


ダンナが生きていた頃、家族で行った店、行きたかった店。なくなってしまった店もあるけれど…。
思い出しながら、ぼちぼち語っていくシリーズ。



         * * *





お好み焼き、タコ焼き、ワッフル、ホットケーキ…。いわゆる「粉モノ」と言われる食べものが大好きだったダンナ。仕事で寄った先々でいろいろと買ってきてくれたことを思い出す。


「お土産あるよ!」


玄関で大きな声がする。
獲物を仕留めて帰ってきた主人のように得意満面だ。お土産に群がる子どもたち。ダンナもすかさず横から手を出す。子どもたちの喜ぶ顔を見たい、そして本音を言うと自分が食べたい。けれど夕食どきにこれをやるものだから、作ったものを子どもたちが食べなくなり、私はよく怒っていた。


調布駅前にあるタコ焼き店「あずまや」のタコ焼きを、ダンナは買ってきてくれたことがあっただろうか。なかったような気がする。


「調布にさ、あずまやっていうタコ焼き屋があってさ。オレ、あれ食いたいな」


突然告げられた膵臓ガン。ガンはすでに離れた臓器に転移していた。ダンナはまだ50代だった。最初はあった食事制限も、途中から解除された。食べたいものを言って。買ってくるから。私はダンナに言った。そうしたらそれは、タコ焼きだったのだ。


金曜のパート終わりに、自転車を走らせ調布駅にむかった。ポツポツ降りはじめていた雨が雷雨に変わった。しまった。バスに乗るべきだった。隣町だと思って甘く見ていたが、思っていたより距離がある。ずぶ濡れになりながら、頭の中ではあらゆることがグルグルと回っていた。抗ガン剤治療は可能なのか(2回目ができるのかで揉めていた)、介護申請のこと(末期ガンは介護保険が使えるらしい。いや待て2回目の抗ガン剤やるからオレと言うダンナ)、店はどうする(ダンナは自営業だった)、子どもたちのこと(受験生含む)、ペットのこと(ダンナは爬虫類マニアだった)……。
超高速のベルトコンベアだ、と思った。次から次へと決断を迫られる。自転車を走らせながらふと思った。ガン患者に殺される。笑い話のようだが、なかば本気でそう思った。10年分、いや20年分の月日が、たった2か月に凝縮され襲ってこようとしていた。


やっとの思いであずまやに辿りつき、念願のタコ焼きが焼き上がるのを待つ。熱々のタコ焼きを濡れないようにそっとカバンにしまい、来た道を引き返す。止んだと思ったら降りだす雨に照りはじめた日差しが加わって、混乱した頭に追い討ちをかけた。
病室に入るとサイドテーブルに畳まれたバスタオルが置いてあった。ダンナはぶっきらぼうにタオルを差し出した。服が乾きはじめていた私は、それを断ってしまった。たぶん私は怒っていたんだと思う。生者の論理で。
死に向かって進んでいくダンナと生きていくであろう私たち。そこには埋めようのない深い溝があった。けれど今にして思う。あんな時にタコ焼きを選ぶだろうか。死ぬ気などさらさらない。ダンナは全力で生きようとしていたのだ。


病室でダンナと食べたタコ焼きの味は —— 覚えていない。味がしなかったような気がする。ダンナはおいしいと言って食べていたが、本当のところはどうだったろう。いろいろな人から差し入れもたくさん頂いたが、私には全部味がしなかった。


         * * *



死ぬかもしれないと思った自分だが、今はピンピンして腹が立つほど健康だ。生者と死者の対決は、生者の勝利に終わった。
—— いや、逆かもしれない。いい思い出だけ残して死んでいったダンナに、私は完全に敗北したのだ。死よりも他になにか大きな問題があるだろうか。生者のくだらない論理にまみれ、今日も私は生きている。
それでもあの時生きようとしていたダンナに倣ってみようかとも思う。あずまやのタコ焼きを買いに行こう。ちょっと遠いけれど自転車で。