余白を歩く 《異端のタイポグラファ H. N. ヴェルクマンについて》
オランダの版画家・タイポグラファであるヘンドリック・ニコラス・ヴェルクマン[Hendrik Nicolaas Werkman 1882-1945]をご存知であろうか。
以前(たしか1998年頃)勤めていた会社の上司が見せてくれたアメリカのグラフィックデザイン誌『Print』1995年3-6月号で、私はその存在を初めて知った。無骨なヴィジュアルに一瞬で目が釘付けになった。
コピーを取らせてもらい、スクラップブックに長年保管したままヴェルクマンという名前はすっかり忘れていた。しかし、最近読んだ本(『モダン・タイポグラフィ 批判的タイポグラフィ史試論』ロビン・キンロス 著/山本太郎 訳/グラフィック社/2020年)でヴェルクマンのことが紹介されており、もしやあの…とピンときたのだった。
“THE OUTSIDER”というタイトル(連載シリーズのタイトルかもしれない)で、11ページにわたり図版とテキストが掲載されている。筆者はボストン大学グラフィックデザイン学科の主任教授 Alston W. Purvis 氏(1995年時点)。残念なことに最終ページのコピーを私は取り忘れている。さらに英語力もポンコツなので内容把握が心許ないが、記事によればヴェルクマンのプロフィールは次のようなものらしい。
オランダ北東部のフローニンゲン州で獣医の息子として生まれ、文選工(しばしば “printer's devil” と呼ばれ、印刷会社の見習いとしてインキの調合等の様々な雑務を行う。インキでいつも肌が黒く汚れていたことと、印刷術を黒魔術にかけてそう呼ばれるようになった)、新聞記者、地元の印刷会社の親方等を経て、自身の印刷会社を立ち上げたのち一時は商業的に成功したものの、儲けに興味がなかったため、やがて会社を潰してしまう。チラシやカード等の端物印刷で糊口を凌ぎながら『The Next Call』というアングラ誌を始めとする実験的な作品を発表していく。
やはりPurvis 氏による著書、2004年にイェール大学出版局から発行された「MONOGRAPHICS」シリーズの『H. N. Werkman 』(買ったばかりで、まだ読んでいない)の序文には
ヴェルクマンは『De Blauwe Schuitt』という反ナチスの地下出版物に関わった罪で1945年にドイツの秘密警察に囚われ、裁判も開かれないまま祖国解放のたった3日前に処刑された、とある。大半の作品はその際に破棄されてしまったそうだ。
印刷プロセスに夢中になり、実験を繰り返すことで創作のヒントを得ていること、また初期にはアマチュア写真家を名乗っていること等を思うと「ペインター」としてより「プリンター」としての資質を私はヴェルクマンに感じる。手刷り印刷機を使い、例えば『The Next Call』は40部程度の少部数しか印刷しなかった点において、ヴェルクマンはモダニズムの系譜からは外れているのかもしれない。しかし「手」ではなく「機械」が生み出すヴィジュアルに魅了されていたことに間違いはないはずだ。また同時代のロシア構成主義、デ・ステイル等のアヴァンギャルドなムーヴメントに影響されているとはいえ、強烈なオリジナリティは唯一無二で、それはヴェルクマンが正規の美術教育を受けていないことにも関係しているのかもしれない。洗練とは無縁の、創作することへの原初的な悦び、そういったものを私はヴェルクマンの作品から感じる。
上記の Alston W. Purvis 氏による『H. N. Werkman 』は、図版も多数掲載されている上に値段も比較的手頃なので、おすすめである。巻末にヴェルクマンに関する文献一覧があるのも嬉しい。しかし日本ではマイナーな存在なので、邦訳されたものが全くないのが現状だ。誰か邦訳してくれないだろうか…。