アナログが呼ぶ感覚
20代前半に、横浜の中古カメラ屋さんで始めて一眼レフを手にしました。トリセツのモデルの女性が、いかにも70年代風で印象的だったのを覚えています。
その時に購入したのは、お店のおじさんが薦めてくれたNikonのFE。今思えば定番中の定番です。その後、結婚して長女が3歳くらいまで使っていました。
2012年ごろから仕事でカメラを使うようになったのですが、当然世の中はデジタル。自分もNikonのデジタル一眼レフを使い始めました。
ここ最近、どうしてもフィルムカメラが気になって、放置してあったFEに触ってみたら、シャッターが壊れてしまって使えません。Nikonの修理担当の方に尋ねたら、すでに部品がないから修理できないとのこと。
色々と思い出もあるし、捨てることもできず、またお蔵入り。先日ふと思い立って、今使っているデジタル一眼レフのボディにFEの50mm を付けてみました。
思った以上に良かった。もちろん、フィルムカメラとして使用したほうがいいに決まっていますが、それはまたいつかその日までとっておくとして、レンズをアナログにしただけで、こんなに違うのかという感じ。
「カシャ」っていうシャッター音の重みがまるで違うし、手動でピントが合っていく感じもいい。撮れた写真は、風合いがふわっと柔らかくどこか懐かしい感じがします。
「そうそう、カメラってそれやん!」と一人でうなづいてしまいました。
で、思ったのは、デジタルをいくら発展させても、アナログには叶わないということ。デジタルになればなるほど、大事なものが抜け落ちて、伝えたいことが伝わらないような気がします。
「大事なもの」とはおそらく「間」なんだと思います。
私たちは、写真を撮る時や絵を描く時、あるいは音楽を演奏する時、被写体やモデルのいない部分、音符のない部分である「間」に集中しているのではないでしょうか。
それは、あくまでも意識的にではない。意識は、被写体を撮ったり描いたり音符を弾いたりすることに全力集中している。でも、そちらに集中すればするほど、無意識の領域は「間」に集中していくのではないか。
オールドレンズにしただけで、無意識の「間」に集中する感覚が現われたのだと思います。
まだデジタルデータに慣れてなかった頃、パソコンでコピーするとマスターと全く同じようにコピーしてくれることに驚いたことを思い出します。
この無意識で「間」への集中感を引き起こしてくれるというアナログならではの性質があるからこそ、アナログはコピーができないし、一期一会なのだろうと思います。そもそも、人間がアナログなんだから、当たり前といえば当たり前なのですが。
やっぱり近いうちに本体も買い直そうと思うのですが、オールドレンズにしただけで、撮影する行為自体がこんなに楽しくなるなんて思いませんでした。とにかく、初めてクレヨンを手にした子供みたいに、ワクワクしています。
こんなにワクワクするのなら、免疫を上げるためにも、アナログ生活はいいのかもしれない。
できるところからアナログ化進めようと思います(笑)