「ありがとう」に、力があるのはなぜか。言い伝えや諺にも関与している、古い脳の話
私たちの脳にはさまざまな働きの脳があり、それぞれ成り立ちも様々なんだそうですが、中には爬虫類も持っているとされる、かなり年季の入った脳もあるらしい。
それは扁桃体と呼ばれる脳で、感情を司っているそうです。原始的な脳だけに、主語と時間が区別できないとか。
相手に「バカヤロー」と感情的に言えば「感情には主語がない」から、自分に向かって「バカヤロー」と言っているのと同じになる。「バカヤロー」と誰かに言った時に、自分が嫌な気持ちになる、というのは、そういうことらしいのです。
その話を聞いたとき、あぁ、あれは扁桃体のしわざだったんだな、と思い当たることがいくつかありました。
言霊の構造
数年前、脳神経外科のK先生を取材する機会がありました。
ちょっと風変わりなK先生から「普通の医師なら、誰でも知ってることなんだけど」と前置きしながら、こんな話をされました。
昔、末期癌の患者が、K先生のところにやってきた。
自分はどうしても癌を切りたくない、どうしたらいいだろう、と。
K先生は「じゃあ、毎日『ありがとう』と10回言いなさい。誰に対してでも何に対してでもいい、とにかく、声に出して言いなさい」と言ったそうです。
すると不思議なことに、数ヶ月後、癌は小さくなり、最終的には完治した。
言霊ってすごい力があるんだな、とその時は感じました。
今思えば、「主語の区別がない原始的な脳」のおかげで、「ありがとう」と誰かに言ったことが、自分に返ってくるという意味だったのでしょう。
言霊の力というのは、実はそういう脳の構造によるところが大きいのかもしれません。
敵に塩を送る
10年以上前の話ですが、仕事を依頼したある若者に、めちゃくちゃに引っ掻き回されて大変なことになったことがありました。
なんとか納期に間に合ったから良かったけれど、これ以上一緒に仕事するのは無理だと思い、渡した機材を全て返却するように言い渡したのです。
するとその若者は、あらゆるSNSに、私たちの小さな団体の悪口を書きました。
腹は立ったけど、もうこれ以上関わる方が危険だと思ったので、知らん顔をしていました。そして、神仏に「どうか、彼が幸せになりますように。やりたいことが実現できますように」と祈りました。
あのときなぜ彼の幸せを祈ったのか、全くわかりません。けれど、今思えば、あれは自分自身への祈りだったのかもしれない。
いわゆる「敵に塩を送る」というのは、敵というフィルターを通しながら、自分への応援もしているということなのかなと。
その後の彼の消息ははっきりとはわかりませんが、結婚して子供も生まれたらしいことは風の噂で聞きました。幸せになって良かったね、と心から思っています。
人を呪わば穴二つ
こんな話もあります。
幼少期の摂食障害がきっかけで、長年精神疾患に苦しんでいる成人女性(A子)。
本人は「幼少期に、親に行動を制限され、常に脅迫され、食事も制限された。親を愛するように強要され、恐怖心から思ったことを口にすることもできなかった」と言い、その罪滅ぼしとして、親の行動の極端な制限や、償いの強要など、絶えず親を脅迫し、暴言を吐き続けていました。
両親は、忙しさにかまけて、十分話を聞く時間を持たなかったり、彼女の様子の変化に気づかなかったりした点は確かにあったと認めていますが、A子が訴えているような虐待行為はなく、家族や関係者もそれを認めています。
そこで思い出したのが、「感情を司る脳は、主語や時間を理解しない」こと。
A子は、親に暴言を吐き、無理難題を突きつけながら、あたかも自分自身がそんな目に合わされたと思い込んでいるのではないか。親に放ったつもりの暴言が自分にも向いてしまい、自分自身も傷つけてしまったのではないか。
「人を呪わば、穴二つ」とは、よく言ったもの。極端ですが、人の悪口を言ったら、自分に返ってくるという一例ですね。
感情は、生存をかけて脳が下した判断
いろいろと扁桃体について調べているうちに、こんな記事を見つけました。
この記事によれば、扁桃体はスピード感のある脳で、生存に関わるような出来事とぶつかると、とっさに判断を下すという大事な機能があるそうです。
ただ、常に感情に振り回されるのはよろしくないため、前頭前野というところで、自動制御し、理性的な判断を下す。前頭前野がうまく機能しない時は、疲労やストレスなどが原因になっているケースが多いそうです。
A子の場合、物凄いストレスがあって、前頭前野の制御機能が効かず、感情が爆走しているのかもしれません。
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私たちは、感情に毎日揺り動かされますが、一方では感情のおかげで生きている実感を得やすいのも事実。
是非上手に活用したいもの。
まずは「ありがとう」からでしょうか(笑)