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感覚の違い 文化の違い

中国のメディアチームを北海道撮影ツアーに連れて行ったときのこと。

夕飯時にお風呂の入り方の話になった。

中国人は口を揃えて「家庭で自分の配偶者が入った後のお風呂(湯船)に入るのは絶対できない。子供ならいいけどね」と言うのに驚いた。(温泉は循環してるからいいらしい)

日本だと「一番風呂」にその家の家長(お父さんやおじいちゃん)が入るという文化があった(今も?)くらいで、それぞれ配偶者の後に風呂に入るのは全く抵抗がない、と言うと「信じられないー!」みたいな感じでびっくりされた。

そもそも、中国人と日本人はそれぞれ「きれい」とか「清潔」とかいう感覚をどう捉えているのだろう。

恐らく、中国人の感覚は西洋人に近いと思う。

仮に使用後のお風呂のお湯を顕微鏡で見たとして(仮にとはいえ、まずやらない行為ですね 笑)、配偶者の身体から出てきた菌とか汚物がこんなにうじゃうじゃ見えるじゃん、そんなとこに入れるか!っていうような感覚。

日本人は、そもそも見た目や数値的な清潔感ではなく、感覚的に清潔感があるか、清浄な感じが身体に生まれるか否かで決めているところがある。

例えば掃除。ハタキでホコリを叩いて、箒で掃く。でも見た目だけだと、ホコリを飛び散らせているだけにも見える。ハタキなんか、中国人や西洋人に「掃除するといいながら、ホコリを撒き散らしてるだけじゃないか」と怒られそうだ。

でも、ハタキを使ったことある人ならば、あのトントンという軽快な音とか、やった後のなんだかスッキリしたなーって感覚、その後箒で掃いて部屋全体に満たされる清浄感、結構気持ちのいいものだと思っておられるのではないだろうか。

加えて、日本人的には、まぁ、そう言われれば確かにそうだけど、でもねぇ、そりゃあんた、お互いさまだし、みたいな感覚もある。

だから確かに誰かが入った後のお風呂って、一番風呂より綺麗じゃないだろうけれど、特に気にしない。自分の後に入る人だっているわけだし。

この「お互いさま」的感覚、日本じゃあたり前だけど、中国ではそうでもないようだ。

例えば、北京では車はどんどん割り込んできて、全然譲らない。日本だと、割り込んだら、今度は別の人に譲る、みたいな感じで、みんなが順番こするのが当たり前になっている。

別の中国人が日本に遊びにきた時に、道路をみんなが譲り合っている様子を見て「なんて礼儀正しいんだ!」と驚いていた。でもそれは礼儀とか親切とかいうより、まさに「お互いさま」感覚で、そうした方が最終的に効率がいいということを知っているからだと思う。

国や地域の成り立ちとか、歴史的、文化的背景が其々にあって、必然的にそうなっていったのだろう。どっちがいいとか悪いとかではなく、それぞれの地域の歴史文化がこういう日常にまでしっかり浸透していることが面白い。

グローバル化で世界中均質化しているなんて話も聞くが、こういう日常の何気なくやってる部分は恐らくそう簡単には変わらない。自覚がないし、異文化の人たちに触れて初めて自覚したとしても、そこは意外に譲れなかったりする。

お風呂の話が一通り終わったところで「ところでそんなに相方の後にお風呂入るのが嫌なら、キスするときとか、どんな感じなの?」と、一応聞いてみた。

中国人はみんな口を揃えて「それはまた別!」と答えた。そこは日中共通の感覚なんだな。安心した(そりゃそうだ 笑)

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