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インスタントなSNSがもたらす功罪
X(旧Twitter)でこんな記事がありました。
https://x.com/hikoyasiga/status/1833112756477903319
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「回転する箱」と銘打って、紙風船の変化版を上から落とすと、回りながら落ちて、手元に戻って来るという動画でした。
え、これすごい!
こんなことあるの?
と思いつつ、最近ではめったにしない折り紙を子どもの部屋から取って来て、動画をスロー再生で見て、作ってみました。
上から落としてみると、戻って来んやん。
普通に落ちただけ。
コメントを見てみると、逆再生しただけということを書いてる人が何人かいて、そういうことかと分かりました。
分かってる人はまだいい。
見抜く人はまだいい。
コメントの多くは、
・すごい
・やってみたい
・素晴らしい
・創造性がある
・アートだ
・面白い
・作ります
・こんなことが起き得る?
とありました。
ってか、やってみてコメント書いてる人があんまりいなかった。
そりゃあ、SNS見てる端から何でも試せる訳じゃないし、後から試した人もいるかもしれなけど、やった人のコメントの少ないこと。
これって、SNSの時代だなーって思いました。
すぐに反応する。
気持ちだけ反応する。
でも、手は動かさない。体験しない。
コメントを書く、という意味で手は動かすけど、本当の意味での体験はしない。
Facebookから始まり、XやInstagram、TikTok、SNSで手軽で手間がかからない。書くだけでコミュニケーションできて、見るだけで体験した気になる。
これは動かなくなるわ。
やること、体験すること、がなくなっていく。
見ること、反応すること、すぐに答えを出すこと、が主流になっていく。
SNSの到来が最近の世の中・時代をつくって行ってる。
体験してないのに、反応だけする、いつかやる、分かった気になる。
インスタントなものは人から「行動する」という当たり前のことを奪う。
そう感じた瞬間でした。
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