存在しないことの恐怖と自由
昔、私は存在しなかった
いわゆる毒親育ちの私は、小さい頃、過干渉とある種のネグレクトを繰り返されていた。食事を与えられていなかったわけではないけれど、私の意見は一つも聴こえない。私の気持ちを聞いて欲しくて、反論や希望をいくら伝えても、新聞の切り抜きを親の机に置いてみても、何の反応も返って来なかった。
そうして何も変わらない毎日が過ぎていった。
だから高校生の時、私は本当に見えているのか、声を発せているのか、あるいは「存在しているのか」分からなくなってしまった。
そこで編み出した自己確認の方法があった。固い壁に自分自身を放り投げるのだ。思い切り躊躇なく。そうすると確かに痛い。痛いと感じるということは「どうやらまだ生きていて、存在しているらしい」。そうやって自分自身の存在を確認していた。
私の意見はことごとく無視されるが、それ以外は過剰な程コントロールされていて、朝から晩まで親の顔色を窺わない日はなかった。一人っこだったから親の干渉は集中しており、よくできたことは当然、よくできなかったことはひどく叱られた。
そんな子供時代を送った私は、その後60歳に至る今まで、ずっと「存在の証明」をしていた気がする。
存在の証明
私は欲が強いのだと思っていた。自分がどうしたいなど譲れないものが強すぎ、それで周りとうまくいかないのだと思っていた。
でも多分今になって思えば、ただ私は「存在の証明」をしていただけなのだろう。私は存在する。親でさえそのことを肯定してくれない環境で、私はただひたすら声を上げ続けなくてはいけないと思っていた。声というより悲鳴だ。そのことを私自身も気づいていなかった。
つい最近それに気づいた時、私は愕然とした。
私は自己肯定感が低いのでも他人軸が強いのでもなかった。
ただ、私は存在していると、他人に、自分自身に分かって欲しかった。
裏を返せば、60年間私は、自分の存在が不確かであると感じていたということでもある。
なんてことだ。びっくりした。
存在しないものとしての死
これに気づいたのは、自分がそろそろ死を考える年だなと思ったことがきっかけだ。
もうすぐ死ぬんだな。これまでと同じ長さの年月を生きるということはほぼあり得ない。そう思った時、私にとって死が現実味を帯びてきた。
日本を捨て、家族を捨て、昔のアルバムも何もかも持たずに今生きている。それは、いろんな意味でのしがらみを捨て、自由を得たいという切なる思いからだった。
でもそれは同時に、私の存在を証明するものを捨てていったということでもあった。
今、私が死んでも、多分誰も気づかない。無縁仏にまっしぐらだ。
そのことに思い当たった時、私はショックで言葉を失った。
あらゆる方法で「存在の証明」をし続けた私は、その同じ方法で、自分の存在を証明できなくなっていっていた。
どうにかして存在していると主張したかった人生だったのに、結局最後は主張できずに終わっていく。それがはっきりと見えて呆然とした。
残酷だ。
人生を賭けて証明したかったものは、結局証明されずに終わるのだ。では私の60年間は何だったのだろう?
そして私はこの問いに行き着いた。
では、私は本当に存在したいのか?あるいは存在していなくてよいのか?
すぐには答えが出なかった。悩みながら夜を過ごした。それでもいつしか眠りにつき、朝を迎えた時、ふと答えが来た。
別に存在してなくていいじゃん。
存在してなくちゃいけないと思い込んでいたから矛盾が生じた。
存在していたくない人が、存在を証明しようと足掻いたから苦しかった。
それは、例えるなら体に合わない服を着せられ、その服に自分の体を合わせるようなもので、どんどん「自分でないもの」になっていく恐怖に自分を落とし込んでいく。そんな作業だった。
存在しないことを受け入れる
どうせ死んだら皆一緒である。私の名のついた土くれや炭が残る訳でもない。大半は水だから蒸発して消える。
そもそもほとんど存在していないのである。ならば、存在しない、それを受け入れればもう苦しまなくていい。そう気づいた。
名前はこの世で一番短い呪
これは、夢枕漠の小説を漫画家「岡野玲子」が漫画にした「陰陽師」第1巻で出てくる安倍清明の言葉だ。
ずっと前に読んでから忘れられない言葉だった。
存在しないことを受け入れる。つまり、私は私でないことを受け入れる。
そのことがこの言葉を再び私に思い出させるに至った。
この世は、要するに空気や土や水、そういったものを構成する要素で皆できている。私もあなたも猫も草も同じだ。なんなら、そういう構成要素、分子とか原子みたいなもので世界も宇宙もできている。
そうした時に、適当なものを粘土細工のように固めてラベルを貼る。それが名前である。花なら「チューリップ」「バラ」といった感じだ。猫もしかり、人間もしかり。
似たようなものを固めた粘土細工なのである。でも何が違うか。名前が違う。
だから名前は呪いなのだ。ここでいう呪いとは「それを定義づけ、その定義に縛りつけるもの」ということだ。呪って取り殺す黒魔術のようなものではない。でもある意味黒魔術的な強さもある。だって、名前をつけた途端、そのものはその名前にしかならなくなるのだから。
チューリップと名付けられた物体はチューリップにしかならない。
猫と名付けられた物体は猫にしかなれない。縛られるのである。
私は髙橋智子と名付けられ、60年間それにしかなれなかった。
縛られているのである。それが「存在する」ということでもあった。
名をつけるのは必ず「それ」以外
当然である。それ自身は自分の存在を知っているから、名など不要だ。それ以外が名を必要とする。区別するため、縛るためだ。
他から与えられた名は拘束具のようにじわじわと締めつけ、いつしかその形に整えてしまう。名前は親からの最初のプレゼントという言葉もあるが、同時にこうなりなさいという願い、あるいは呪いでもある。
私は自分の名を放棄することにした
存在しない。いや正確には自分しか存在していることを知らない。別にそれでいいじゃないか。なら名前は全部不要である。
とはいえ日常生活は若干不便だから、自分の中で(仮名)と最後につけることにした。
ペンネーム、芸名。そんなもんだ。髙橋智子(仮名)。上等である。
私はフランスではルバ智子と呼ばれている。これも(仮名)にしよう。全部ペンネーム。私ではない。
そうすることで私は、長い呪いから自分を放つことができた。私は何者でもない。名前もない。
自分と自分以外の境界線の紐をほどく
そうすると、粘土細工として固められていた自分の、内側と外側を隔てる境界線が見えなくなった。つまり私の周りを取り囲んでいた境界線がなくなってしまった。
そして私はなくなった。同時にすべてになった。
自分の内と外の境界線が紐であるなら、その紐をすーっと引き抜くと何が起こるだろう?
それは果てしなく、自分でもあり自分でもない空間が広がるだけ。どれも自分だしどれも自分じゃない。
そもそも境界線って必要だっけ?構成要素が同じなのに、たまたま手にあたった幾ばくかを固めて名付けられた私。私以外と何が違うのか?違わない。
ワンネスとかゼロポイントフィールドとか止めて
今流行のワンネスとかだね。いや量子力学のゼロポイントフィールドだねとかいう人がいる。
いやそんな大層なものではないのだ。なんなら安倍清明が10世紀頃にいっていたこととなんら変わらないのだから。
塵芥が塵芥として生き、塵芥に還る。単なる地球の、宇宙の一幕である。
そうして私は存在なき自由を得た
だから、このブログは無為自然というのである。なにもしない。何でもないのだから何もできない。ただ自然の中で、自然な風が吹き、時が過ぎていく。