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自己紹介 安成(あんなり)さん@ウクライナ戦争中
更年期+猫4匹+失業中!現在地は戦争中のウクライナ!
こんにちは!
ウクライナ在住の「しゃべりべ」安成(あんなり)智子(ともこ)です。皆さんに勧められてこわごわ始めたNOTEも何とか一ヶ月継続、作品も6本公開できました。
遅まきながら、自己紹介をさせていただきます。
あ、その前に。
「しゃべりべ」って、何?
なにげに聞き流しちゃったけど、「しゃべりべ」って何?って思ってますよね。「しゃべりべ」は「喋り部」と書きます。私のライフワークはウクライナ戦争について語ることなので、「語り部」を名乗ってはどうかと言われたのですが、「語り部」というと、感情をおさえた物静かな語りが想像されます。
私はそういう静の人ではなく、ときにはジェスチャーぶりぶりで、ときには冗談を交えて、ざっくばらんに、エモーショナルなお喋りをする人なので、「しゃべりべ」を名乗ることにしました。自分で作った言葉なので、「しゃべりべ」は日本にひとりしかいません(たぶん)。
「戦争のことを語るのに冗談が必要?」って思う方もいるかもしれませんが、実際に戦争体験者にお話を訊くと、当時を思い出して冗談を言いあうこともよくあります。今の私達にしても、普通の日は普通に冗談を言いあっています。戦争なんていう異常が日常になっているところでは、色んな境界線が歪んでいるんです。
戦争の中というのは、見やすいように編集されたドキュメンタリー映画のような程よい混沌ではなくて、もっとごちゃごちゃして、うだうだして、ふがふがして、見にくいものです。見にくいものを一生懸命説明するんだから、お行儀の良い語り部口調で話さなくても良いんじゃないかなぁって思うのですよ。それが私の「しゃべりべ」哲学です。
自己紹介
では、自己紹介です。
出身
大阪の堺市
千利休や与謝野晶子で有名な中世の自治都市です。茶道の生まれた土地ですので、私も小学生の頃からお茶を習ってました。お茶の町だけに銘菓も多く、なかでも、死ぬ前にもう一回食べたいと夢にまででてくるのが、「かん袋」のくるみ餅と「小島家」のけし餅です。
現在地
ウクライナのリヴィウ
西ウクライナの古都、ウクライナ語の聖地といわれる歴史的都市です。日本の京都に似た、都市としてのプライドの高い土地。2008年からここに住んでいます。
仕事
ライター兼しゃべりべ
家族
人間の両親とは死別(父は2001年、母は2018年に他界)しました。
ウクライナで一度結婚し、離婚。
結婚せずに付き合っていたパートナーも、2019年に病気で逝きました。
子供はいませんので、言葉そのものの意味で、すっきりとした天涯孤独となりました。
現在、一緒に暮らす家族は、3黒猫と1白黒猫。
白黒猫はダルタニアンといいます。
戦争が始まった年にウクライナ南部のミコライウで生まれ、保護されてうちにきました。
一番若くて(二歳半)、一番やんちゃです。
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黒猫は、マルキーズ(13歳)、ジョーリック(12歳)、アトス(10歳くらい)。全部オスなので、あんなりさんちのダルタニアンと黒猫三銃士と呼ばれています。
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名前
安成智子です。
「あんなり・ともこ」と読んでください。
変わった苗字なのでペンネームだと思われているようですが、安成は亡くなった母の旧姓です。母の実家は大阪平野郷(ひらのごう)七苗家(しちみょうけ)の一つ、成安家の末裔。平野郷は日本の代表的な自治都市。七苗家は平野郷を拓いた坂上田村麻呂の次男広野麻呂の流れを汲む七家系のことで、当時の平野の自治を担っていました。
ここまで読んで、「漢字だらけだな」と思った方、いますよね。
ごめんなさい。
もうちょっとなんで我慢してくださいね。
あと、こんな風にすぐ素直に謝るのが私の長所です。
謝るようなことをしなければ良いんだよって人には言われますけど。
続けますね。
成安(なりやす)家はその平野七苗家のひとつで、道頓堀に名を残す成安道頓(なりやす・どうとん)を生み出した旧家ですが、母の実家の宗家は明治の改正時、当時の戸主の「当家はこの先、安成とする」との鶴の一声で安成に逆立ちしました。
安成は普通に「やすなり」と読むんですが、「あんなり」と読みたいと言い出したのは、早逝した母の長兄義一(よしかず)さん。伯父さんは終戦後間もなく亡くなったため、「あんなり」と変更することができませんでした(そもそも、読みを変えるというようなことが出来るのかどうかも知りませんが)。他の伯父伯母にも跡継ぎができなかったため、不肖の末裔である私がその苗字を受け継いだわけです。
「あんなり」というのは、古語の「ある・なり」と同音、「◯◯があるそうだ」「◯◯があるという」といった意味になります。母によるとその伯父は「『あったそうや』という程度で良えんや、あったあったと言わんで良えんや」と言っていたそうです。義一伯父さんは母が成人する前に亡くなっているので、私は見たことも会ったこともないのですが、「『あったそうや』で良えんや」という発想が気に入って使っています。
普段、Tomoko Annari@Ukraine、Tomoko Annari@Lvivなどと署名していますが、これは「ともこというのがウクライナにいるそうだ」「ともこってぇのがリヴィウっちゅうとこにおるんやと」というような意味合いになるわけですね。
なぜウクライナに?
2008年にロータリー財団の親善奨学生としてリヴィウに来ました。2009年にいったん帰国しますが、大学院修了後の2011年、リヴィウに戻って「ウクライナ・ラボ」という有限会社を設立。その後17年間、ずっとリヴィウで暮らしています。ラボを開いたのは、その年に東北大震災が起こって、地元の友人達が「トモコのための歌」というチャリティーコンサートを開いてくれたのがきっかけでした。
このチャリティーコンサートで、私は生まれて初めて大勢の人の前で話をし、歌を歌い、朗読をしました。「私の人生グラフ」を読んでくださった方はご存知ですが、これは、ずっと引きこもりの陰キャだった私には、驚天動地の出来事でした。ウクライナ人たちの前で声を発しながらずっと、私が人前で喋ってる!?私って人前で喋れるんだ!?って自分で驚いてたくらいです。
自分の死に場所はここだと思って生きてきたので、戦争が始まっても、特に変わりはありません。ただ、戦争が長引いてきてから、日本語でプロボノ講演をするようになりました。ウクライナは私に声をくれた国。ずっと人の背中に隠れているような子供だった私に、声を出して人に伝える生き方を与えてくれた土地です。いま、戦争に蹂躙されているウクライナの現状を、ウクライナがくれた声で伝えていきたいと思っています。
執筆・講演のテーマ
執筆や講演のメインテーマはウクライナで起こっている戦争とその周辺のことです。私の専門は近代史なので、歴史的観点から見たウクライナ戦争の社会的問題や地方情勢、報道のあり方などを、過去の戦争や紛争と比較して、分かりやすくお話しします。以下に主要テーマとサンプルをあげてありますので、興味のある方はご相談ください。プロボノ講演(一回60分まで)は無料で提供しています。
執筆
ウクライナ事情
(東西問題、言語問題、社会問題等)
参考NOTE 「東は東、西は西 ウクライナの東西問題」
ウクライナ戦争
(情勢、被害状況、復興、大統領関連等)
参考NOTE 「ゼレンスキーに花束を」
戦争報道
(メディア戦争の構造、担い手、日本に届くニュースの実質等)
参考NOTE 「プタシュカ 飛ぶのをやめたウクライナの小鳥は地上で強くたくましく生きていく」
戦争で亡くなった人々の記憶
参考NOTE 「ダリ 帰ってこなかった戦場の詩人」
最新ニュース(ニュース解説)
現地報告(実際に現地に赴いての報告)
講演会・懇親会のテーマ
(過去にお話したテーマ)
ウクライナ人と日本人 似ているところと似ていないところ
昭和の日本と現在のウクライナの相似
徴兵・召集・従軍 知ってるようで知らない用語を解剖しよう
女の戦争と男の戦争は別腹
貧富の差「これ良いよ、買ったら?」気軽に勧められたものの値段に驚愕!
戦争と恋愛 戦争と結婚 戦争と離婚 戦争と不倫
メディアが作る戦争 メディアが作る平和
戦争メディアが報じるものと報じないもの
ウクライナには天国と地獄が共存している
戦争中、エリートたちはどう暮らしているか
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皆さんとおしゃべりできるのを楽しみにしています!