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東は東、西は西ーウクライナの東西問題ー

ともこさんの井戸端ウクライナ解説 Vol.2
ー普通のおばさんだからいえることー


ウクライナの東部と西部では、様々な違いがあります。これはとてもよく尋ねられる質問なんですが、東ウクライナと西ウクライナでは、ウクライナの一部になるまでの歴史的な経緯も違いますし、通常使われる言語も違います(東部はロシア語、西部はウクライナ語)。

歴史的経緯というと、単に過去の問題と思ってしまいそうですが、現在でも街中には18世紀や19世紀、さらにはもっと古い時代の建物やその跡地も残っており、それらの由来や歴史的意義について子供のころから聞き知っています。言葉の違いも、単にウクライナ語地域とロシア語地域があるだけではなく、それぞれの地域に独自の方言もあります。

ちなみに、日本のようなほぼ単一民族の国家であっても、それぞれの地方は独自の方言や表現を持っていますし、相互に理解しづらいことも多々ありますよね。私は学生時代にテレアポのアルバイトをしていましたが、東北地方の中小企業に電話をかけろと言われるのが一番の恐怖でした。8割以上聞き取ることができなかったからです。

逆に、東北出身で東京育ちだった従兄弟の奥さんは、結婚してすぐの頃、生粋の大阪人である伯母に「◯◯ちゃん、みずやにかしわのたいたんあるからあがってな」と言われて、何をどうすれば良いのか分からなかったと笑っていました。念の為、これを標準語に訳すと、「戸棚に鶏肉の煮たのがあるから食べてちょうだいね」というような意味です。日本もまた、広く深い郷土文化があるんですよね。

ウクライナの東と西


つまり、国内に違いがあるからといって、国が統一されていないとは限らないわけです。若い世代のウクライナ人であれば、学校でも家でも、自分たちがどういう地域に住んでおり、その地域がどういう歴史を生きて、現在のウクライナの生成に貢献したかを子供の頃から学んできていますので、個々の地域の歴史に基づいたウクライナ人としてのアイデンティティを持っています。

例えば、東部のハルキウ。ハルキウというと、ウクライナにおけるビリショヴィキ*の拠点、ウクライナ語話者の少ない「ロシア的な都市」として記憶されている人も多いようですが、ハルキウは19世紀にいち早くハルキウロマン主義が開花した土地。ウクライナ文学の歴史はハルキウ抜きには語れないほど、ウクライナ、ウクライナ語、ウクライナ文化にとって重要な土地といえます。

*ロシア語のボリシェヴィキ(レーニンが率いたロシア社会民主労働党の急進左派)

ハルキウはウクライナの最初の首都で、ロシアの侵略で破壊されるまではウクライナ第二の都市だったのでこうした自負は当然ですが、ウクライナのどの地方、どの町であっても、そして、その町で通常使われる言語がロシア語であっても、同様の自負は持っています。

そういう意味では、ウクライナの東西感覚も、基本的には、アメリカの南部と北部の違いや日本の関東と関西の違いとさほど変わらないものといえます。違いはあるけれども国民としての意識はある。愛国心を比べれば、地域によってある程度の差は出るだろうけれど、個人差の方が大きいという感じでしょうか。

ウクライナでも、実際には、西と東だけではなく東西南北、さらにいえば歴史的地域ごとに「違い」があるわけです。それを東西の違い、特に、その言語の違いを強調し、その違いは致命的なものであるといいたがっているのがロシアのプロパガンダです。一方、19世紀以来連綿と続いてきた民族運動の結果である現在の国土の一体性を強調したいのがウクライナ政権側のプロパガンダであるということになるでしょうか。

当の庶民はというと、戦争が起こるまでは、日本の関西人と関東人のように、違いは違いとして認識し、ときには揉め事が起こるのも事実。ときには笑い話で済ませることもあり、ときには東の彼女と西の彼氏が結ばれることもありという間柄でした。私の友人や知人、生徒さんにも、親の世代、祖父母の世代で西に移ってきたというご一家が幾つもあります。

私自身はどこに行ってもウクライナ語しか話しませんが、それで困ったことも、イヤな思いをしたこともありませんでした。自分が地元でイベントをするときは、ロシア語しか分からない人がいれば、通訳を準備していました。ただ、こうした関係性が、ロシアの激しい攻撃によって国内移住を余儀なくされた東ウクライナ住民が大挙して西部に押し寄せたことによって悪化し、新たな対立感情が芽生えているのも、事実です。

戦争開始後、ウクライナ語の立場はどう変わったか?

質問 ウクライナの中のロシア語話者とウクライナ語話者の対立とは?戦争でどう変わった?

「あなたウクライナ語お上手ね。Ви гарно говорите українською.」
戦争が始まって一ヶ月ほどたった頃、ガスのメーターを検針に来た中年女性が、ニコニコしながらそう言いました。

長く外国にいると、「(その土地の)言葉がお上手ね」という褒め言葉は、本当に上手な人には言わないということが分かってきます。ネイティブと同じように淀みなく話していれば、誰もわざわざそのことを話題にしたりしないからです。「上手だね」とあえて口に出し褒めるときは、自分たちの言葉を習得しようと努力している外国人を褒めてあげたいと思っているときか、別の何かを貶したいときが多いようです。

案の定、その検針係のお母さんは「上の階の人たちはウクライナ語を話さないのよ」と愚痴り始めました。「ここはウクライナで、あの人達はロシア人から逃げてきたっていうのにね。私がウクライナ語で話しかけてるんだから、せめてウクライナ語で答えようとしてほしいわよ」。私はただ笑っているだけだったのですが、お母さんはよほど誰かにぶちまけたかったのか、30分ちかくもおしゃべりして帰っていきました。

戦争が始まった直後、空爆被害の大きかった東部や南部の被災民が西ウクライナになだれ込んできました。こうした移住民の殆どは東部や南部のロシア語話者だったため、従来の西ウクライナの住民たちは身構えました。緊張していたのはウクライナ語話者だけではなく、ロシア語話者も同様。生粋のウクライナ語話者でウクライナ語の擁護者の間では「敵の使う言葉を耳にも目にもしたくない」という感情的な声もあがっていましたので、ことを荒立てたくないという思いはどちらにもありました。

しかし、戦争が長引くにつれ、東部や南部からの移住民は日に日に増加。ウクライナ語の要衝であるリヴィウでも、明らかにロシア語話者が増え、街中でロシア語を耳にするのも普通になりました。テイクアウトの店でウクライナ語で注文しているだけで、「ほら、リヴィウでは外国人でもウクライナ語で話してるわよ」と囁かれたこともありました。

当時は、避難民だけではなく、ハルキウナンバーの車もリヴィウの町に溢れていました。路肩に停まっているハルキウナンバーの車の中からロシア語の音楽が大音量で流れているのを見て苦笑していると、一緒に歩いていた年上の友達が眉間にシワを寄せて車を睨みつけているということもしばしば。

結局、ロシアの侵攻開始後、「ウクライナ語も話せる人が増えた」「ウクライナ語を話せる人の需要が高まった」という変化はあるものの、「ウクライナはウクライナ語を話すウクライナ人の国であってほしい」と考える人たちが望んだ「ウクライナ語しか話さない人」のパーセンテージは、増加も現象もしていないように思います。

イリーナ・ファリオンとアゾフ兵士

こうしたウクライナ語擁護者の苛立ちを象徴していたのが、アゾフ兵士に対するイリーナ・ファリオンの発言とそれを巡る一連の事件です。

イリーナ・ファリオンは、ウクライナ語の擁護者として有名なリヴィウの言語学者。ウクライナナショナリズムの象徴であるバンデラの擁護者としても有名で、ウクライナ語に基づく過激な愛国的発言で知られてきました。

そのファリオンが、2023年11月、ロシア語話者のウクライナ軍人、特にアゾフスターリ*の兵士に向けた発言をきっかけに、教授として勤めるリヴィウ工科大学を解雇されました。特に問題とされたのが、「ウクライナ語を話さないロシア語兵士はウクライナ人とはよべない」という彼女の発言でした。

*アゾフスターリ(マリウポリにあるウクライナ最大級の製鉄所。2022年2月24日のロシア侵攻でロシア軍から包囲され3ヶ月にわたる死闘を繰り広げた。5月20日、ゼレンスキーの大統領令によって戦闘停止し、降伏したが、戦地の模様は終始SNS等で共有され、ウクライナ中で拡散。ロシア侵攻初期における象徴的な英雄となった)

このファリオンの発言は、アゾフの兵士を英雄視する若い世代から一斉に糾弾されました。リヴィウ工科大学でも学生が集結して、大学に対処を要求する騒動に発展し、一時は大学が正式にファリオンを解雇しました。しかし、その後、ファリオンが解雇は不当と主張して訴訟を開始。一審は解雇を妥当としたものの、控訴審で逆転勝訴し、工科大学への復学を果たしています。

関連記事 
ファリオンが控訴審で勝訴 工科大学に復職(日刊ウクライナ「僕らはみんな生きている」)

ちなみに、ファリオン女史は1964年生まれの60歳。リヴィウに住み始めた頃に何度か大学やイベントでお目にかかりましたが、当時40代だった女史はスリムでスタイル抜群の華やかな金髪美女でした。テレビやメディアへの露出も多く、「お宅拝見」のような番組に出演して、自宅の居間でフラフープを回しながらおしゃべりするようなお茶目な人でもありました。

今でも近くで拝見するとナチュラルで柔らかい雰囲気の方なんですが、ウクライナ語のこととなるとクビに筋を立ててまくしたてるので、アンチに写りの悪い画像を拡散されてお気の毒です。

今日も最後まで読んでくださってありがとうございます!


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