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記憶はよみがえり、思い出は温かい

拝啓、
おじぃちゃん、おばぁちゃん、そちらの世界で元気に暮らしていますか?
私は、結婚をして娘が生まれて、ママになりました。

おじぃちゃん、おばぁちゃんとお別れをしてから、25年経ちました。いろいろあったけれど、私は元気に暮らしています。

今の土地に引っ越しをして来て、年明けに丸1年が経ちました。
これまでの期間、生活に慣れることや日々の家事に追われて、あまり周辺地域のことを知らないまま過ごしていた私。
学校から帰宅した娘の「〇〇公園があってね、遊具がいっぱいあって〜」や「あの道は、あっちの道に繋がっていて近道なんだ」とか。「〇〇ちゃん家はこの辺り」とか。
全然分からない、何処に何があるのか、何も知らない分からない、ということに改めて気付かされました。

よし、探検してみるか。

お天気が良い日中に、水筒にお茶を入れて、少しのビスケットをポーチに入れて。リュックを背負って出掛けました。

ここは都会でありません。
最寄り駅に行けば何でも揃うし、少し足を延ばせば、有名な観光地やレジャーが楽しめるスポットも沢山あります。
ただ、ここは住宅が広がり畑も広がっているような、そんな長閑なところです。

てくてく歩いていると、素敵なお家がたくさんありました。
新築のお家、お庭がとっても広い豪邸。中古住宅の販売もありました。どれどれ?と少し気になって背伸びをしたり、しゃがんでみたり。終の棲家として、この土地で生活をする〜引っ越しが多い私にとって、いつかいつか…と想像しながら歩き続けました。

途中で畑がありました。そんなに大きくはないけれど、とても丁寧に管理され、隅々まできちんと手入れが行き届き、大切にお世話されていることが一瞬で、見ただけでも伝わってくるような畑でした。

おばぁちゃんが一人、作業をしていました。
膝を地面につきながら、細かい作業で草むしりをしています。その光景を見た瞬間、一気に私の中で昔の記憶が呼び起こされたのです。
それは、おばぁちゃんとの思い出、懐かしい記憶。そして同時に、おじぃちゃんとのやり取りや思い出も。
溢れ出てくるように私を包み込みました。

私は、本当はおじぃちゃんのこと、どこかで許せないでいました。いつも本当に厳しかったし、とっても頑固者でした。
野球は巨人ファンで、チームが負けると不機嫌になって、物凄く几帳面で。新聞やリモコンを置く位置もピシっと揃えていないと正されました。

おばぁちゃんに対しても同じです。
どこかで今だに消化し切れない、モヤモヤした部分があったように思います。年老いて介護が必要になり、共働きの両親はとても大変だったと思います。必要なことで仕方のないことだったかもしれないけれど、それでも大変そうな両親の姿を見るのは、子どもながらに苦しかったことを覚えています。

おじぃちゃん、おばぁちゃんの存在がなければ、こんなに大変な思いをしなくて済むのになぁ…
そんな感情さえ生まれた時期がありました。

人生は時に残酷で。
失ってみて初めて気付くことばかりだと思います。

おじぃちゃん、おばぁちゃんの存在がいなくなって、私の中には後悔しか残りませんでした。

おじぃちゃん、すごく頑固だったけれど。
テストや発表会で頑張った時、バレンタインでチョコをプレゼントした時、必ず鰻や豪華な食事でお祝いしてくれた。
おしゃれなクッキーの詰め合わせをプレゼントしてくれた。
お正月の時には、着物を身にまとってピシっとしていて格好良かった。誰からも頼られる人間で、皆のまとめ役だった。
私の作るカレーは、野菜が柔らかく煮込まれていて美味しい、食べやすいって褒めてくれた。

おばぁちゃんは、洗濯物の畳み方や、掃除の仕方、煮物は冷ました方が味が染みていって美味しくなるょ、とか。
毎日、台所の床を雑巾掛けするまめな人間だった。
おばぁちゃんの畑仕事を手伝ったり、採れたての胡瓜やトマトを冷やして丸かじりするあの美味しさ、イチヂクの木、肥料のにおい、手を引いて登った坂道、一緒に入ったお風呂。

後から後から、途切れることなく溢れ出す記憶と懐かしさ。

私、おじぃちゃん、おばぁちゃんのこと、好きだったな。
本当はすごく、大好きだった。

法事の時に、毎回お坊さんがお説教として話をして下さいます。
その内容の中に、残された人間が、日常の中にふと故人を思い出して懐かしむこと。その人を思い出すこと、そのことが一番の供養になります。だから、時々、思い出してみてくださいー

あの頃は、何となく聞き流している自分がいて、またいつもと同じ話だなぁ…なんて失礼な態度だったと思います。それでも、こうして月日を重ねて、ふとした瞬間に思い出した時、その意味が初めて理解できたように感じました。

よみがえる記憶と、その思い出たちは、
私を温かく包んでくれるものでした。

私もいつか、私の人生を終える日が来ます。
それは必ず来ます。

私がこの世界からいなくなった後、私のことを思い出してくれる人はいるのかな。懐かしんでくれる人はいるのかな。
そんなことを思った散歩道でした。

大きなイベントでもなくて、キラキラした毎日でもないけれど、ありふれた日常の中に映る景色や表情、言葉や会話を、大切にしていきたい。そんなふうに感じた時間。

私の中に眠っていた、温かく大切な記憶と思い出を胸に。
世間に記録を残せる人間じゃなくても、誰かの中に、記憶に残れる、そんな人間でありたいと思いました。

記憶はよみがえり、思い出は温かい。

おじぃちゃん、おばぁちゃん、そちらの世界で元気に暮らしていますか?私は、元気に暮らしています。


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