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薄まっていく人との関係、お出かけと化粧

映画館にいくことがなくなり、代わりにプライムビデオやNetflixで映画を観る事が増えた。楽しみだった観劇に出かけなくなり、歌舞伎座通いは過去の思い出となった。
優先すべきは感染防止対策。地方の友人と会えず、近所に住む母や都内で暮らす子供たちとも法事で会ったきり。さほどベタベタした家族関係ではないにせよ、実際会わずにいると何かがゆるりと薄まってしまったような奇妙な感覚を覚える。
会わなくても平気というとあまりに殺伐とするが、ダメージが少ないと考えれば少しは前向きな感じもする。
息子とは時々連絡を取っているが、連絡を取るようになると不思議なものでその動向が気になる。さっぱり連絡を取っていない娘は今どうしているやら。冷たい親だなと思うがお互い様でもある。

友人と会うこと、フィジカルなイベント行動、家族の何気ない集まり、その全てが消滅した数年間だったが、なければないでどうということもない。ポジティブに考えれば、「便りがないのは元気な証拠」でもある。

もう一つ薄まったのは「メイク」である。
女性として、(しかも50過ぎの)お化粧しなくなったらおしまいだと思っていた。けれど化粧をしなくなった肌艶はこれまでにないほどに良好だ。あまりに良好すぎて「すっぴん」じゃないと気持ち悪いほどだ。化粧水と乳液だけのスキンケアは続けているものの、それだけではこの肌質の改善は説明がつかない。やはり化粧が肌荒れの原因になっていたのかもしれないと思い始めた。以来、会社に化粧はしていかない。幸いマスクのおかげで急激な変化を感じさせることなくノーメイクの私に慣れて頂くことに成功した。眉毛だけは不足しすぎているところだけ足している。
この年齢になると、時間の経過とともに悲惨な状況になる「化粧崩れ」は如何ともし難く、化粧をしていい気分を一日中感じ続けることが困難になっていたので、すっぴんになったことで「化粧崩れ」を心配することも無くなった。

そんなわけで、あらゆるものが薄まっていく今日この頃。実は濃厚になっていることもあるのだけれど、それはここで書く日が来るのかどうか・・・


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