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最善を尽くしたとしても後悔は浮かんでくる


昔父がふと言ってたことがある。
祖父が亡くなる時、祖父は熱海にいて
そこで倒れて、父は東京にいたので、
東京の病院に引き寄せた。
祖父は心臓の持病があって、
その心臓の専門医が東京にいるので、
その方が治療もうまくいくだろうと
思い、転院させたらしい。
でも、結果比較的すぐに亡くなった。

あの移動をしなければ、もしかしたら、、
と、後悔してると。

その時最善を尽くしたのなら
良かれと思ってしたこと。
だから、大丈夫だよと、
父に伝えたあの日。

そこから何年か経って、
父が亡くなり。

母は、特養に。

母の介護を一人で引き受け、
最後亡くなってしまった父。

もっと、頻繁に行けばよかったとか
もっと話せばよかったなとか、
色々後悔が出てくる。

あの時、自分の持病の悪化で、体調がわるく
自分のことで必死だった。

父が危篤と連絡受けても痛みで30分くらい
動けず、死に目には間に合わなかった。

母は、今特養にいて、会いに行っても
寝てることが増えている気がする。
タイミングなのか、、

もっと話しとけばよかった。
もっと向き合えばよかった。
でもどうしていいか分からなかった。

あの時、、ともこーともこーて
母は、自宅にいる時よく呼んでたらしい。

なのに、怖くなって逃げた。
運で育ててくれた人に対して。
私は裏切ったのかもしれない。

いつからだろうか、、
母と、うまく話せなくなったのは。

子供の時母のことが大好きで
いつでもおしゃべりしてた。
たくさんたくさん聞いて欲しくて。

あんなにくっついて
→反面父のことは苦手で、いつも
あんまり近寄らなかった。
大人になってからは関係性がかわり
ここ数年はよく話すようになった。

そして、母とはもっと、
いろんなところ行けば
よかったなと、今になって思う。
一緒に海外旅行したかったねて
言われた時はもう、私は妊娠してて 
それも、叶わぬ夢になった。



今、私には9歳の娘がいて、
毎日いろんな話をしてくれる。
元々口下手、発語もそんなに多く無い
タイプでもあり、学校での出来事は
ほとんど話さない子ではあったけど、
少しずつ、話してくれるようになって。
今が1番子育ての中で、いろんな話が
できるようになってきたところなのかもしれない。

でも、きっとこれは永遠には続かなくて、
いつかまた、話してくれなくなる日が
くるんだろうなぁと思った時に、
もっと今を大事にしなくちゃて。

いつかは人は死んでしまう。
そうしたらもう、2度と話せなくなる。

母に話しかけても、、今は返事を
あまりもらえない。
そんな日が来るなんて、あの頃
思いもしなかった。

自分ばっかりでごめんね、お母さん
お父さん。どこかずっと続いていく
ような気がしてた。

でも終わりは来るんだなぁ。

だからせめて、自分の後悔を減らすために
やっぱり自分のために、母に毎週会いに行こうときめて、いま、行ってる。

寝てるけど、感謝の気持ちや、
大好きだよとだけ、伝えて。
届いてるといいなぁ。

お母さんが幸せでいてくれないと
やっぱり子供としては悲しくなるんだよ、
わがままなんだけどさ。
彼女の人生は彼女のものだから
子供であっても、どうこうできないのは
わかってるけど、せめて、心穏やかに、
日々を過ごしてくれたらいいなと、
願わずにはいられない。

そして、お父さんは幸せでしたか?
やり残したことはあったのかなぁ?

そして今後私が歳をとった時に、
娘が、どう思うのかなぁ、、
幸せな姿をみせていきたいなぁて、
お母さん幸せそうだったねて、
よかったね、て言ってもらえる
そんな、生き方をしたい。
娘のために私ができること、
そして自分の命のためにできること。

だからこそ私は今、幸せであろうと
何があっても幸せでいようと、
おもうのです。



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