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はじめまして┃全てのことはメッセージ
はじめまして。このnoteを読んでいただきありがとうございます。
病院で働くことをやめた元看護師。今は世界最古の予防医学と言われている
《アーユルヴェーダ=生きる科学》を学びながらセラピストとして
プライベートサロンを始めた知子と申します。
毎日がLIVE。
いつ何が起こるか分からない。
ちょいギャル時代だった20代、突然の彼氏の自死により人生が180度変わりました。
『いつ死んでもいいかな』と思っていたあの頃から
『本当の自分を生きる』ことがどういうことなのか
『私はどんな人生を送りたいのか』
『目に映るすべてのことはメッセージ』なんだということが
しみじみ分かってきた今日この頃の私。そんな私ももう44歳。
あの時を思い出すと、
『いつ死んでもいい』と思えたことが、逆に私を自由にしてくれました。
その流れに身を任せていたらいつの間にか浪費家ギャルが修行好きなヨギーヘ変身。私の人生で何がそうさせていったのか、どのように流れていったのか(笑)、人生ももう折り返し。自分の人生を振り返りながら綴っていくのもいいな、と思ってnoteを書くことにしてみました!
誰かの《共感》だったり《こんな人もいるんだ》と気持ちがちょっと楽になったり、少し前向きに生きていく背中を押せるような存在にもなったらいいなと思っています。
その中で中心に綴っていきたいのは、私の人生を変えてくれた《ヨガ》と《アーユルヴェーダ》の教え。
自分との向き合い方、特に子育て(ヒステリック発症)、パートナーシップ(うつ発症)が、このヨガとアーユルヴェーダの実践の場になり救われました。
不器用ながらにまっすぐ生きる私の人生、長いですがよかったら読んでください。
profile
福岡生まれ
福岡在住
昭和55年生まれ
家族:9歳年上の旦那さん、5歳のひとり娘、シヴァちゃん(犬)、トラちゃん(猫)の5人?暮らし
history
①暗い性格だった10代~看護師の道へ
小学生の頃から塾に通い中学受験を経験。スパルタ母の元、夜泣きながら「これも分からないの!」とビシバシ叩かれながら受験勉強をしていた記憶がある。とても引っ込み思案で大人しく、自分の意見を言えない暗い性格。
高校卒業後は看護専門学校に進み、総合病院の内科病棟にて5年働いた後に治験コーディネータに転職。
その後一度、職を離れるも再び看護師として病院での夜勤専従、クリニック勤務を経て、最終的に在宅看護を3年ほど経験する。
②ちょいギャル系でお酒とブランド大好きな20代
看護師時代は安室ちゃん大好きで茶髪にエクステ、メイクしてガールズヒップホップダンスも習ったりして彼氏の影響でタバコやお酒も始める。B系HIP HOPの格好し、ブランドバックを身に着けていた90年代女子。
高校生の頃に初めて異性と付き合って7年経った23歳頃、彼氏と別れてからクラブデビュー。女友達たちと遊ぶことよりも一途に彼氏と過ごしていたから、その反動で友達と遊び明かす自由な身が楽しかった。周りの女友達に比べ遅咲きだった私。
夜勤じゃない日は一人Barに行って朝まで飲み明かし、男友達も増え、何も着飾らず、はしゃいで一番自由を楽しんでいた私全盛期(笑)。お給料は飲み代やブランドバックに消えていく浪費家時代でもあった。
休暇を取って海外旅行に行く同僚、先輩の話を聞いて『10万近い金額が海外旅行で消えちゃうくらいなら、ブランドバック一つ買ったほうが絶対いい!』と思った記憶がある。
③彼氏の自死
友人の紹介で出会った男性とお付き合いを始める。今まで付き合ったことがないタイプ。
髪型やファッションの意識が高くとてもかっこいい人だった。乗っている愛車もいつもきれいに手入れしていて最近ホイール変えたんだ、とうれしそうに話をする。優しくていつもレディーファースト。本当に優しすぎてとても愛してくれていることを実感した。
喧嘩も一回もしたことがないラブラブ絶頂期に、突然彼は死を選び目の前からいなくなる。2人とも28歳の頃だった。
しかも皮肉なことに、一緒に彼の引っ越し先の新居を選び新生活をスタートしたばかりのその部屋で彼は命を絶った。
④人生の旅が始まる
「生きていていいのだろうか」「彼は私と出会わなかったら死ななくて済んだのに」・・。心にぽっかり穴が開き、一緒にいた期間が短すぎて彼がいたのは夢だったのか、突然すぎて現実が受け止められない、遺族への申し訳なさ、自責の念。放心状態で働ける状況ではなかっため退職。
『自分の命で役に立つことをしてから生きるか死ぬか考えよう』
JICA海外協力青年隊に申し込むも落選。何も準備していなくて無謀だったと今だから思う。
その後「英語を勉強しよう」と本気で思い、母親が探してくれたセブ島に格安語学留学へ。私の初めての海外一人旅。
そこで目にしたのは貧困の世界。
スラム街や孤児院、物乞い、、、。海外から送られてくる私たちが使い古した中古の洋服たちを買いにお店に群がる人々。お金や物質的に恵まれていなくてもみんなとても陽気でフレンドリー。
恵まれなくても生きている。
自殺したいって思う人はいるのだろうか。
ボランティアに行っていた孤児院の子ども達はいつも「ともこー」と集まってくる。友達みんなが対等に私と接してくれて、色々助けてくれて、面倒みてくれて。借住まいさせてもらった家では半野外で水シャワー浴びたり、井戸で水汲みをして手で洗濯したり、よく停電になったり、、と完璧ではないその暮らしが居心地よくて、予定より3か月伸ばして6か月滞在した。
その後、オーストラリアへワーキングホリデーへ。
約2年後の2012年、友人に誘われタイで開催されたガチなインド伝統の《シヴァナンダヨガ》というヨガ講師養成コースを受ける。
超ヨガ初心者の私は “タイでヨガ!楽しそう!やってみたい!”
という好奇心だけで飛び込む、という直感や感覚のままに生きていた30代。
そこで今の旦那さんに出会う。
⑤ヨガとアーユルヴェーダとの出会い
ヨガに出会い、私の人生は変わっていった。
瞑想、アーサナ(ポーズ)、ベジタリアンの食事、マントラ(祈り)、ヨガ哲学を通して私の心は浄化、治癒されていく。
結果、ヨガやアーユルヴェーダの学びにインドに6回渡航する。
結婚後は福岡の自然豊かな糸島の山の麓にある中古の平屋一軒家を購入し、自分たちで改装して、夫婦でヨガ教室を営み始める。
インドから熟練した先生が来日してくれたり、様々なワークショップ、イベントも開催したりと気づけば私の人生はヨガそのもの。だけども、このヨガにこのあと救われたり、苦しめられたりするのであった。
ヨガに出会って13年目突入。
ヴェーダンタ哲学、ヨガ哲学、マントラの教えをこの4、5年ほど真面目に学んできて、「心」の正体、性質がようやくわかってきたところ。
「生きること」の意味や「死にたい人」の気持ちというか、あの《闇》なるものの正体も、自分の《うつ》の経験を通して体験。
同じように心の闇で苦しんでいる人の力になれたら・・
アーユルヴェーダを通して《本来の自分》を知り、
自分で心身のバランスをとれるようになったらどんなに生きやすくなるだろう・・
そう感じるようになり、自分の経験を経て
去年からヨガの先生から看護師セラピストとしてアーユルベーダサロンを始めました。必要な人への癒しとなり、力となれるよう精進して参ります。
よろしくお願いいたします。
経歴
2012年Sivananda Yoga Teacher‘s Training Course(RYT200)修了 タイ
2013年 シニアヨガ講師養成コース 修了
2014年Chandra Yoga Teacher‘s Training Course(RYT200)修了 インド·ダラムサラ
2016年Sivananda Yoga 上級トレーニングコース(RYT500)修了 カリフォルニア
2023年CMT協会ヘッドマルマケア認定講師コース 修了
2024年仏教瞑想、仏教哲学「108days Mindfullness」コース 修了
2024年 Sivananda Yoga Sadhana intensive course(上級呼吸法コース)修了 ベトナム
2025年Ayurveda Wellness Course 修了(sivananda Institute Of Health) 南
インド
2024年~ スリランカ人アーユルヴェーダ医師Rwanthi師に師事し、現在Advance Diploma In Ayurvedaを受講中。