じいちゃんの思い出
先日、私の父の妹(私の叔母)が亡くなった。
私はその時なぜか、もうじいちゃんを思い出して涙するのは私一人になったと思った。
じいちゃんは私が中3の1月に亡くなったから、もう50年にもなる。
それなのに、私はじいちゃんのことを時々思い出しては涙ぽろぽろ流して「じいちゃん、あの時はごめんね」とつぶやく。
じいちゃんは寡黙な人でほとんど喋らなかった。
黙々といつもなにか作業をしていた。
庭の畑の野菜や花の世話、鶏の世話、飼っていた小鳥の世話など、いつも何かやっていて、私はそんなじいちゃんの横にちょこんと座って、例えば竹を割いて小刀で器用に竹ひごを作っているところとかを黙って見ていた。
私の母は看護師でフルタイムで働いていつも居なかったから、もちろん父も働いて居なかったから私は祖母と祖父を頼りにしていた。
じいちゃんは戦前お菓子屋をやっていたからお菓子を作るのも得意だった。
饅頭など素朴な和菓子がほとんどだけど。
じいちゃんの収入は育てていた鶏の卵を近所のお店に売ってわずかなお金を得たりしていただけで、ほぼ収入はなかったと思う。
それなのに、私は本屋さんでビートルズの本を見つけると、急いで帰って
「じいちゃん!じいちゃん!ビートルちゃんの本ば買いたいけん、お金ば貸して!」
と言ってはお金を借りていた。
返したのかは覚えていない。
大人はみんなお金を持っていると思っていた。
小学生の頃はビートルズのことをビートルちゃんと呼んでいた。
そんなじいちゃんに今でも思い出しては涙流して謝っていることは・・・
小学生3年生の秋の頃だったと思う。
午後から強い雨が降り、私は傘を持っていってなかった。
私は小学校にいて授業中で、広い講堂で学年生徒集まってテレビを見ていたような気がする。
突然、私は先生から呼ばれ、廊下に出ると、ラクダ色の長袖のネルの下着にラクダ色のネルの股引き姿のじいちゃんが私の傘を持って立っていた。
びっくりした。
じいちゃんが学校に来たのは後にも先にもこの時だけだった。
じいちゃんは私が何年何組なのかも知らないだろうし、学校も運動会しか来たことないし、職員室もどこにあるか知らないし、よく私の所にたどり着いたと思った。
じいちゃんにとっては普通の服装であっただろう下着姿の長襦袢と股引き姿は、悲しかった。
全学年の生徒がじいちゃんの下着姿を笑った。
私は恥ずかしくて泣いてしまって・・・
家に帰ってからじいちゃんに
「じいちゃん、もう学校には来んで!(来ないで)」
と言った。
覚えてないけど、じいちゃんは何も言わなかったと思う。
じいちゃんは、雨に濡れたらかわいそうと思って、何もわからないけど小学校に来てくれたのに。
私は冷たくあたってしまった。
じいちゃんの優しさがずっと身にしみて、今だに
「あの時はごめんね。」
とつぶやいては涙が流れる。
じいちゃんが育てていた柿の木は屋根よりも高くて大きくて高くて、竹竿で柿を取るのが大変で、柿も大きくて、とても美味しかった。
今なお、じいちゃんの柿より美味しい柿に出会っていない。