なぜ私が「夫奴隷解放宣言!」をしようと思ったのか①プロフィール
こんにちは「夫奴隷解放宣言!」の〈とも〉です。
私は、20年間旦那に「おまえはダメな人間だ」と言われ続け
『自分はダメな人間なのだ』と思い込んでいました。
21歳で長女を産んで11ヶ月後に長男が産まれ、
上の子が4月生まれ、下の子が3月生まれで
双子ではないけど同級生の2人の子。
初めての子育てが一気に始まり。
学生で短時間バイトしか経験がなかった私は、
大人としての自覚もないままに親になってしまいました。
まともにご飯も作ったことがなかったのに
小さい子供を育てながら、やったこともない家事。
近所に知り合いもいない状態だったので、毎日が手探り状態。
いまの世の中のようにググれば、なんでもすぐに分かる時代ではなかったので、料理ひとつ作るにも本を見て、子育ても本で調べての試行錯誤。
金髪で母親らしい格好でもないので
子供を公園に連れて行っても、浮きまくりで…
話す相手もいない状態。
(その頃、公園デビューって言葉があったけど、それに失敗)
まともに会話するのが旦那だけの状態で
その旦那から「おまえはダメだ!何もできない!」を
毎日言われ続けられていたので、今思えば『洗脳』状態だった。
子供の妊娠から約3年間、世間から孤立した生活をしていたけど、
ついに銀行でお金を1000円もおろせない状態になってしまい。
(預金が1000円以下になっていた)
「このままでは生きていけない」とやっと気づいて
パートに出ようとしたけど、
小さい子供を2人抱えて&旦那の協力なし&職歴なし&学歴なしの条件では
なかなかパートでさえ雇ってもらえない。
今思えば、自分がまだまだ子供すぎて
仕事の面接に行くのでさえも、ピンクの頭でピアス10数個ジャラジャラつけて、短パン姿で平気で行っていた。
マジで常識ない( ´艸`)
条件がどうとかの話の前に、こいつは雇えないと判断されて仕方ない自分に気づいていなかった。
30社近く受けて、やっと工場でのパートに採用された時は
「感謝」でしかなかった!!
でも初めての長時間(8:30~17:00)の立ち仕事。
仕事の内容も全く初めて、工場で誰ともほとんど話すこともなく黙々作業、
休憩中も浮きまくりの存在。
少しでもお金になるので、生活のために働く。
そんな状態で3か月後に出勤中にバイクでこけて、足を骨折するという大ごとを犯してしまった。
病院から「入院しろ」と言われるが
「小さい子供がいるので家に帰ります」と振り切って
足の固定をしてもらい松葉杖で子供を保育園に迎えに行く事態に。
(今思えば、これこそが「火事場の馬鹿力」)
仕事を始めてまだ3ヶ月しかたってなく、役にもたってないので
仕事はクビになるかな?と思っていたのに、
出勤中だったので労災扱いをしていただき、
「この会社に恩を返さなければ」と無理を押して
1ヶ月で職場復帰をしました。
そこから、仕事や会社に対する考え方が変わり、行動が変わり、
数年後にはパートでは異例の出世をすることになるのですが、
そんな、大きな体験しないと自分は気づくことができなかった。
このケガで仕事に対する考え方も変わったが
自分の体がまともに動かすことができない状態
(膝を骨折したので、片足の付け根から足首まで固定。一人で立ち上がることも難しい状態。基本座っているか横になっていることしか出来ない。松葉杖での移動もほぼ無理。だから入院しろと言われたのだけど…)
なので、初めて周りの人の温かさを知ることができた。
子供の年齢が近い、近所の方が子供の保育園が一緒なので送り迎えをしてくれて、保育園から帰ったら自分の子と一緒に晩御飯を食べさせて、お風呂まで入れて、あとは寝るだけの状態にして我が家まで送り届けて、私のご飯まで持ってきてくれた。
自分で動くことができず、買い物にも出かけることができない私のために、1か月近く、近所の数人の家族に支えられて、生きていくという体験をさせて頂き、人はひとりでは生きていないのだとやっと知ることができ、感謝の気持ちを知ることができました。
その頃の旦那は仕事から帰ってきたら、自分のメシがないと怒り
「なんで自分で弁当を買ってきて食べなくてはいけないのだ」と怒り
弁当を食べている姿をみて子供が欲しがると
「おまえ(子供)にメシはやらん。おれのメシだ」と子供を泣かせ怒り
「おまえ(私)が本当にダメな人間だから」をずっと怒っていました。
当たり前ですが、家のことはなにひとつすることは無く自分の生活が乱されていることに腹をたたていました。
そうやってじわりじわりと私は「やはりダメな人間なのだ」を受け入れていったのです。
①終わり
~夫に頼らずに生きる力を手に入れる 夫奴隷解放宣言
30代女性のための自立支援アドバイザー~
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