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「わかっている」は思い込みではないですか?

こんにちは「夫奴隷解放宣言!」の〈とも〉です。

今日の自分と、一年前の自分。
細胞レベルで考えたら、すべて違う自分に変わっているのだが、
年を越したからといって、自分が去年とまるで違う新しいバージョンに生まれ変わるわけではない。

一年前とは別人という感覚がないのは、「私はこういう人間だ」という思い込み、すなわちセルフイメージがあるからなのだ。

私たちはつねにセルフイメージに合うように、行動や結果を作ろうとしてしまっている。
脳はいつでも「現実と思いこみ(セルフイメージ)」に一貫性を持たせようとするのだ。

毎日同じように振る舞いなさいと言われているわけではないのに、
なぜか今日も、一年前と似たような一日を過ごしてしまう。
それは「私はこういう人間だ」という思い込みと矛盾しないような行動を、
無意識のうちにとってしまっているからなのだ。

今の世の中、あふれる情報が毎瞬、毎瞬に目に飛び込んでくる。
でも自分がどの情報をピックアップするかは、あらかじめ決められている。
それは、「自分のセルフイメージに合うもの」と
「今まで大切だと思っていたこと」を取り入れている。

やっていることも、話していることも、自分の意見だと信じている。
それが普通の人の感覚だ。

でも本当はすべて、自分の「思い込み」のパターンからははずれていない。
あなたはずっと、同じパターンをくり返して、同じところをぐるぐる回っている。

自分は毎日違うことをしているつもりでも、実は思い込みの枠から出ていないのだ。
思い込みが変わらなければ、自分の枠から出るのは難しい。


では、そもそも思い込みはいつ作られたのか?
あなたの中に「常識」ができた瞬間からなのだ。

「大勢の人が信じているから」という理由で、いつかあなたも信じた。
もしくはあなたがなにかをすすべきかわからなかったとき、
誰かから教わったこともそうなりやすい。

思い込みのややこしいところは、自分ではなかなか気づきにくいことだ。
いつかどこかでわざわざ「これを信じる」と決めた。
決めたのは自分だ。にもかかわらず、そのことをすぐに忘れてしまう。

たしかに「なにかを決断する」ために、思い込みは便利な道具だ。
思い込みを持っていると、こうだからこうと、思い込みに合う行動はとても楽にできる。
変な言い方だが、「自信がない」とさえ思い込んでいれば、やるかやらないかで悩まずに、スムーズに「やらない」と決めることができる。

でも、思い込みは万能ではない。
主に3つの問題を抱えている。
1.どういう意図でそれを信じようと決めたのか、たいてい自分では気づいていない。
2.過去の経験に対する誤解から生まれたものが多いこと。
3.単なる意味づけだということを忘れ、まるで真実であるかのように、
  それに従って生きてしまいがちなこと。

雨そのものにはなんの意味もない。
それが、雨が降って楽しみにしていた予定がつぶれた。
雨にぬれてお気に入りの靴がダメになった。
雨の日が寒くて風邪をひいた。
すると脳は気づかないうちに
「雨=気が滅入る」という意味づけをする可能性がある。

誰もがそんな風に、思い込みという色眼鏡をかけている。
「自分の見た通りの世界」なんてない。
みんなそれぞれの過去の体験の積み重ねから、自分なりの自由な解釈で世界を見ている。

信じられない?
だったら一度違う色眼鏡に変えてみればいい。
時間がないから。お金がないから。自信がないから。人脈がないから。
「本当にそう?」
そう疑ってみるだけで、色眼鏡はぽろっとはずれるかもしれない。

「忙しい」が口ぐせの人は多いけど、「忙しい」も単なる意味づけであって事実ではない。
もしどうしても忙しいと思うのなら、1週間をふり返って、どれぐらい価値のあることができたかを思い出してみればいい。

人は、思い込んでいるようにしか現実を見ていないのだ。

「わかっている」は人生のトラップ。
「わかっていないかも?」という姿勢が人を成長させる。


~夫に頼らずに生きる力を手に入れる 夫奴隷解放宣言
             30代女性のための自立支援アドバイザー~

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