子供ができたら、色んなこと教えてあげたいと思っていた。でもこどもは、知りたいことしか知りたがらない。
ふと思い出しました。
私は高校生くらいのとき、何も知らずに育てられた自分を憂いて、もし、自分がこどもを生むということがあったのなら。
たくさん、私の知りたかったことを教えてあげたいなと思ったのでした。
【私の知りたかったこと】
ご飯の食べ方。
挨拶の仕方。
言ってはいけないこと。
変じゃない服の着方。
総じて、生きていくための力のつけ方。
なんというか、放任で育てられたものですから、シャツの襟が黄ばんでいたり、水筒が臭かったり、お風呂に入らなくて垢が溜まったり、そういうことに気づかない親に育てられたこどもでしたので。
恥ずかしい思いをたくさんしました。
嫌なことがたくさんありました。
もし子どもがうまれたら。わたしと同じような思いはさせたくないな、と思いました。
そもそも、こどもを生むということも、とても無責任なことのようで怖かったのですが。
付き合った人と結婚し、授かり。
私は一生懸命良いお母さんになろうとしました。
するとどうでしょう。
こどもは、喜ばないのです。
私が教えてほしかった、道端の花の名前や虫の名前、動物の名前。教えても、ぼけーっと無反応。
好きなものは、しょうがチューブが入った箱。
あとトランポリン。
大きくなって、そろそろ年頃だし、お洒落のやり方でも教えたいと思っても、興味なし。
なぜ、なぜなの。
私がして欲しかったことは、こどもにとってはどうでもいいみたいです。
だんだん、
「こんなにしてやってるのに」
「私はしてもらえなかったことを、してあげてるのに」
みたいな恨みのような感情になってきて辛かったのです。
でも気づきました。
「私」がやりたかったこと、知りたかったことじゃなくて。
「この子」がやりたいことをやらせてあげて、知りたいことを教えてあげることが大切なんだってことを。
よかれと思って、先回りしないこと。
ひとりの人間としてこどもの意思を尊重すること。
やっと少し、わかりました。
こどもにもタイプがある。
自分のやり方でやりたい、口出しされるのが嫌いな信じてお任せタイプ。
興味がちらかって、飽きっぽい、伴走が必要なタイプ。
1人目でうまく行ったことは、2人目に通用しないのです。
別の人間ですから。
ほんと親って大変です。
常に学びの連続で。
苦手なことにも取り組まないといけないのだから。
でも、成長するんですよねぇ。
確実に私は、子育てを通して成長させてもらってる。
本当に嫌な思いもたくさんしたけれど、こどものためになら我慢できたし、頑張れました。
愛は与えるときにこそ、その力を発揮する、とナムさんが言っていたけど、ほんとそうだと思います。
乗り越えても乗り越えても山がやってきます。
でもやっぱり、乗り越えたいのです。
私はそういう人間になりたいのです。
こどものことも…結局、私がいちばん大切にしたいことは。
たくさん笑顔のある暮らしがしたいな、ということだけでした。
そうでした、そうでした、それが根っこでした。
ですからやはり、勉強してほしくても…無理強いせず、ハッピーに過ごせるように、その方向に頑張りたいと思います。