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「大げさ」な人には近寄りません #路上文藝 010
「無断駐車は金三百万円頂戴します。」
金三百万円……。
「大げさな脅し」か。はたまた本気で三百万円を請求するつもりなのかがわからない、絶妙に微妙な金額ですね。
「大げさ」といえば「根拠なく、話が大きい人」「自分を大きく見せようとする人」には極力、近寄らないよう心がけています。
実は恥ずかしながら、そういう大げさな人に騙された経験がありまして。
トラウマになっているんです。「未払い」の。
2017年の冬。
聞いたことがない小さな出版社の男性編集者から「女性向けのWebメディアを起ち上げる。取材ものの記事を週一で連載してほしい」と依頼がありました。
なんでも「社長の娘さんが大乗り気で、社運を賭けた大きなメディアにする」のだと。
Webの仕事の経験が少ないうえ、書く機会が欲しくてたまらない時期。
しかも「連載」という甘露な響き。
さらに「社運を賭けたメディア」ですって。
「そんな一大事業に声をかけていただけるなんて光栄です!」
そう返事しました。
しかし、社運を賭けた一大事業のわりに、提示された金額は激少。
一本5千円で経費込み。
さすがに安い。
躊躇しました。
それでも惹かれたのは「出版社が運営するWebメディアなので、連載が長く続けば自社で単行本化できる」、そんな誘い文句があったから。
書籍を一冊まるっと書き下ろすのはたいへんです。
けれども連載をまとめるかたちなら、書きおろしに較べると、まだしんどくはない。
連載時に少々の赤字が出ても、印税で相殺できる。
そう考えたんです。
甘かった。
めちゃめちゃ甘かったんです、僕の考え。
そこから自費で地方取材。先様に謝礼をし、画像資料などをたくさんお借りし、4本の記事をつくりました。
「Webメディアを2018年の春にオープンする」というので、その年の2月に取材をし、できる限り急いで記事をつくったのを憶えています。
ところが……いつまで経っても「社運をかけた大きなメディア」なるものがネット上に現れない。
開始予定とされていた春が過ぎ、夏が来て、秋が去り。
依頼してきた編集者に何度も「どうなりました?」と問い合わせをしました。
その都度「システムの構築が遅れていまして」「アドセンスの取得に手間取っていまして」「人手不足で」と、のらりくらり、かわされます。
「記事は必ず載せますから」。
その言葉を信じるしかない。
僕も取材を受けてくれた人からも「どうなりました?」「いつ載ります?」と尋ねられます。
社内でどうなっているのか、わからない。
答えようがない。
インタビューイとの関係は次第に悪化してゆきました。
そうしてまた冬が来て、さすがに「メディア自体がもともと存在しないのでは」「そんな企画、はじめからなかったのだ」と気がつきました。
早く手を切らねばと「掲載はあきらめるから原稿料だけは払ってほしい」と告げました。
すると、今度は「依頼などしていない」と。
「私はあなたが連載する意思があるかどうか『打診してほしい』と頼まれただけ」と開き直り始めたのです。
さらにその後、氏は音信不通に。
原稿料は少額でしたから「泣き寝入りしてもいいか」と諦めかけましたね。
けれどもなんとか別の社員さんに相談することができ、事情を話し、やっと原稿料をお支払いいただけました。
それが2019年の秋。
2万円を取り戻すために、およそ2年かかったわけです。
結局、くだんの人物は「会社をクビになった」とのこと。
案の定、そんなWebメディアは存在せず、社内でもトラブルメーカーだったらしいです。
企画が通っていない単行本をまるまる一冊、書き下ろしさせられた著者さんもいたのだとか。
長くかかりました。
授業料として三百万くらい払った気がします。
そのぶん、人を見る目を少し養えたかな。
Webの仕事をする際は、まず運営情報をしっかり確認するようになりました。
*「 #路上文藝 」とは「街のいい文章を見つけ、味わい、名も知らぬ文学者たちをリスペクトする運動」を意味します。
#路上文藝 009 パンクするほど仕事を請けた結果
*画像は「縦」「引き」「アップ」でも撮影しています。
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