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キオクノート#5 南仏のレストラン
南仏のレストラン「ラバスティードサンタントワンヌ」で研修が始まったその日の夜、部屋で待っていたぼくに帰ってきたルームメイトの日本人「ももさん」は言った、「あと2日で次のレストランに移る(行き先はぼくの大好きなレストラン、ピラミッド!)」そしてもうひとりのルームメイトのフランス人もすぐに出ていくと。
期待していた日本人の先輩に色々教えてもらう作戦が初日で終わりを告げました。
つまり、このももさんの入れ替わりでぼくが配属になったわけだ、次の日も早いのでもうひとりのルームメイトのフランス人との自己紹介もそこそこに眠りについた。
翌日、ももさんとともに調理場へ、ぼくの配属先はガルドマンジェ、前菜場だ。
ひとつだけももさんに教えられた一番大事なことが「スピード」。
このレストランはミシュラン二つ星を取ったばかりで、次は三つ星だと従業員全員とてつもないテンションで仕事が進められていた、もちろん昼夜満席でアイドルタイムは長く一旦部屋に帰れることもあったが(だいたいはペタンクやサッカーにかりだされて余計に疲れることも多かった)夜の仕事が終わるのは毎日日が変わっていた。
調理師学校出身といっても人生最初のフランス料理の現場が勢いのある二つ星レストランの厨房っていうのは、当時はアタマとカラダをフル回転しても追いつかない程。
そんな中で仕事の早さと正確さが日本人であるぼくに求められている仕事だとももさんは言った、自分がそうだからと。
数十年立った今も早さと正確さを常に意識して仕事できているのはこのときのおかげだと思っている。
スピード、大事。
ガルドマンジェのメンバーはポジションシェフ24歳ロラン(とってもやさしかった)、ついでジャン・ピエール22歳(一番喧嘩したが根はいいやつ)、同僚サム20歳(悪いことをいっぱい教えてもらった)、そしてぼくの4人。
仕事内容はアミューズ=お突き出しのような小前菜の仕込みと仕上げ、前菜の仕込みと盛り付け、野菜などの下準備などなど。
となりの焼き場ではなんと16歳の少年がきれいに肉を焼き上げていて衝撃だったが、フランスは職業訓練が充実していてこの少年もそのルートなのだと教えられました。
ももさんは出て行くが、厨房には他に2人日本人がいた、が、その二人は部署も違い、宿舎も違うのであまりぼくとはからみがなかった、寡黙な職人タイプの人たちだったと記憶しています。
スーシェフは初老の歴戦の戦士みたいなひとでぼくは笑顔をみたことがない、洗い場のアブダラはいつも外国人であるぼくにやさしく、たまにおやつをくれたりした、その他も入れ替わりがはげしく、ベトナム、スペイン、イタリアなど周辺各国から星付きレストランの技を勉強しようとやってきていた。
怒涛の初日が過ぎ、すぐにルームメイトは出ていき、つぎのルームメイトがくるまでしばらく一人暮らし。
休みの日には近所を散策したり、カンヌやニースまで出かけたり、仲良くなった同僚ベトナム人夫婦のお家に呼ばれたりと仕事以外ではやはりホームステイと同等の体験をさせてもらったと感じますが、実際のいわゆるホームステイというのはやったことないので想像です。
今この文を思い出しながら書いていて、人の名前が全部出てこないのには自分で驚いている、この商売をしていて今もそうなのが致命的だが、ホント脳みその記憶領域の名簿の部分だけどっか行っちゃったんじゃないかと思うくらい覚えられない、貴重な体験だったはずなのにもったいないと思ってます。
でも、名前こそ出てこないが体験した出来事はよく覚えているので、自分にとって価値のある経験だっといえますよね。
この後も濃ゆい時間を過ごした南仏生活がつづく。
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![羽山智基](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/6562704/profile_74377f61cdb53c507f726e014434e0a8.jpg?width=600&crop=1:1,smart)