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ISREAL ft, TOMO

22歳の春。大学卒業間近、周りの学生は友達と海外旅行に行ったり最後の学生のブランドを謳歌している。特に就活も無事に終了し、どうせこれからは嫌でも働くし、アルバイトのシフトもあまり提出しておらず、暇であった。

ダンスをやっていて海外旅行もたくさん行っていたので、お金は全然ないが、この学生でいることができる最後の時間を何よりも大切なものと考えた私は、父に頼み借金し、一人イスラエルへ。


なぜイスラエルをチョイスしたかと言うと、経済はものすごく成長していて、また歴史のある建造物が四国くらいの国土の中に、点在しているから。
尚且つ子供がたくさんいて明るい街という情報もあり、日本と正反対な状況を肌感覚で覚えたかったからだ。

2019年2月22日の18時成田発のフライトで出発!!!!!!

5時間ほどのフライトのあと香港空港に到着!

乗り換え1時間ののち、深夜1時発の便でテルアビブへ

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香港空港は、以前も何度か来たことがあり、施設自体の大きさと充実度に再度驚かされた。 

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上から3つ目が私の乗る予定の飛行機 

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香港空港はとても広く、人の流れでそのまま出口まで来た私は迷子に、、

本来ならば乗り換えの人の専用の通路荷物検査の場所に行かなくてはならない。
人気の少ない深夜の空港内を彷徨ってやっと見つけたtransferの案内。

23日午前1時発香港発!!!!

飛行機爆睡でした。

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これは着陸寸前の飛行機から撮った地中海沿岸とテルアビブの近代ビル群。 

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イスラエル国旗の飛行機の威圧!

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無事着陸しました。23日午前6時(フライトは9時間)

人の流れでガラス張りのフロアにでた。

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この写真の奥の方に青い光が見えるが、それが入国審査。 

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聞かれたことは
Staff: Can you speak English???
Me :Yes 
Staff: how long you stay in Israel?
Me: 6days 
Staff: where you stay ??
ME: Jerusalem 

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あっさり入国審査はすんだ。おどおどしていると不審者に思われそうと思ったから結構強気に受け答えした。多分俺にビビってた。(笑)入国審査が終わるとこの紙を渡される。

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とりあえず初日必要分とホテル代だけ両替した。
日本円からは現地で両替できないから、米ドルに変えておいたが、確か空港でのCURRENCY EXCHANGEは日本円取り扱ってした気がする。

単位はシュケル!
そしてエルサレム行きの乗合タクシー乗った。
これ、10人揃ったら自動的に出発。

自分は8人目で、追加で2人追加されてエルサレムへ出発!!


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1時間半くらいで宿に到着。
運転手にアドレスを伝えると順番に人をおろして行く感じ。自分は割と最後に下ろされた。(70シュケル)

言うても朝でチェックインはまだまだ先。

宿のお父さんにチェックインとluggageをキープをお願いして市内観光へ

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旧市街へ歩いていった。
あ、ちなみに飛行機で調べて、今日は18時まで安息日だと知った。笑笑 人気は少ない。

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このゲート潜ると

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旧市街の始まり。観光地ですね。気分も高まった。

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まず訪れたのは聖墳墓教会。キリスト最期張り付けの地。キリスト教なら興奮だな。

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キリスト教徒は次々とこのように。 

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それにしても奥の青い服の女性は死んだようにこれを続けていた。
絶対的アウェー。
判断した結果、俺ももちろん石に頭当てた。しかし一人だと誰も撮ってくれない

この下の写真はそのキリストの骨があると言う場所で長蛇の列であった。

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その後旧市街を1周

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いやあ俺を暖かく迎えて入れてるかのようないい天候に恵まれた。
ひととおり旧市街散策終了☺︎
宿に戻り寝る。  

起きて30分ほど歩こう、オリーブの丘へ

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旧市街を囲むように歩いて、山を登る。
なんだろう、墓でしょうか?

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ついた。誰が植えた?ソメイヨシノ

日本のものだべ。日本とイスラエルは繋がってる。感じるわ。
ここは旧市街が一望できる丘。
一眼を構えたプロたちが何人かもうスタンバイしていた。
これからサンセットを堪能

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So nice view   I have never seen such a beautiful view.

そのあとは来た道を戻りさっき旧市街で予約したダビデの塔での音と光のショーを見学! 

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エルサレムの歴史を言葉以外の表現で観光客に伝えるショーだった。

光と音のショー!!!って名前
内容はごめんあまり入ってこなかった。(寒すぎて)

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旧市街ではいたるところに、男と女に分かれて手荷物、身体検査ある。その際はパスポートと先ほどの紙切れがないと少々めんどくさい。まあ、基本肌身離さずもってた。

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ユダ教徒の聖地、嘆きの壁!これ生で見るのやばいよ?鳥肌だよ

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感動でしょ、こんなもの生で見るなんて。

旧市街は6つの居住区と3つの宗教が混在してていて一気に沢山の観光地にお目にかかれるので大変オススメ。それぞれの宗教のお勉強はしといた方が為になるよ!おれは勉強してなかったから。

Good morning 
この日はパレスチナへ!ここから少しアラブとユダヤの関係の理解が少しばかりないと分かりづらいかも。Let you explain briefly 

ユダヤ人→イスラエル🇮🇱
アラブ人→パレスチナ🇵🇸
ユダヤ>アラブ

ざっくりこんな感じで認識するといいかも。もっと複雑だったはずだけど。
朝9時アラブ人専用のバスに乗って、ベツレヘムへ。 

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下のところに到着

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バスを降りて目の前のタクシーを捕まえて、グラフィティを見たいんだと、お願いした。
全部見せてくれる、お昼もご馳走する、バンクシーが作ったホテルのミュージアムに連れていってくれるゆうので破格の200シェリルで、

握手。

しかし普通にぼったくりでした。2時間かけて全てのグラフィティ見せてくれました。ご飯とかはなかったです。

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これ店の中。普段は下のように商品で隠れてるんだけど、特別に店主に見せてもらった 。(運転手と店主が友達だった。)

何故か俺も熱いハグをして、説明をしてくれた。普通はイスラエル兵がアラブ人の身体検査をするのだが、これはアラブの女の子がイスラエル兵という逆の構図だ、平和を願うアラブ人の願いがこのような風刺画として存在する。

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タクシーのうんちゃんは、時折静かになっては涙目になるんだよ。
下はバンクシーが建てたとされるホテル

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個人的に1番胸にささったのはバンクシーのホテルの中にあったこれだ。

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グラフィティの存在は、
兵器の持たないパレスチナが、風刺画やアートで壁がなくなるようイスラエル側へ訴えている、だと感じる。
ちなみにこの日ではないが、僕は外務省危険区域レベル3のヘブロンへ行くよ。

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その体験も載せる。上の写真はガザ地区。ここは真っ最中で絶対に行くなってこっちきて出会う人みんなに言われたから行かない。 

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至る所のマーケットでは、無料でアラビックコーヒーを配っていて、人は本当に温厚でパレスチナはとても気に入りました。 

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グラフィティ廻り終了!その後ベツレヘム市内をゆっくりのんびり歩くことにした。

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キリストが
生まれた墓(生誕教会)

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入り口これなので頭ぶつけないよう。

ちなみに俺はアラブの専用ルートのバスに乗って遠回りをしてエスサレムからベツレヘムへと移動したから、どぎつい検問はなかったけど、基本的にイスラエルに戻るためには検問所を通過しなくてはならない。

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通過に1時間半かかる。
そしてエルサレム戻る。



3日目はテルアビブへ行くことにした。

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ホテルからトラムに乗ってエルサレム1のバスターミナルへ、 

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このデパートの4階がバスの乗り場!

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荷物検査の後、バスに乗り込み
テルアビブまで1時間乗車
降りるとやっぱりデパートの5階部分。4階が帰りのバスなので最終便を確認して、観光開始。
しかし、テルアビブで下された場所は、ここ!とお!

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この星の部分、そこから最初の観光地、jaffaまでまた30分くらい歩きました。 仕方ないわなぁ

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これがバス停を含むデパート 

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相変わらず厳しいです。
街歩いてると日本のマツダが多く走っている印象でした。そして、意味わからないくらい暑い、1時間移動したのに体感は20度以上差は感じた。エルサレムはコート必須だけど、テルアビブはみんな半袖。これがちです。

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そしてjaffaに到着。
ここはテルアビブが栄えるまで、エルサレムまでの供給の入り口だったそう。歴史がある街です。

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テルアビブ近代ビル群 

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とてもお洒落な街並みで温かみを感じた。テルアビブへ旅行の方は、時間を見つけてジャファによることもおすすめする。ここに行くことにしてよかった。
そして地中海岸沿いを北上してテルアビブの中心地へ歩いていく

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おかしいなぁ、真冬なんだけどなあ、

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このようにビーチが至るところにあり、音楽もかかりみんなチルしていた。

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この街並みが世界遺産である。イスラエルがこんなに綺麗で整備されていてビルだらけだとは思わなかった。
途中でイスラエルの有名なパンを食べた。
あまり食に興味のない俺は特に写真を撮っていない、ごめん。

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デパート戻って参りました。かなり19時発最終のバス、ギリギリでエルサレムへ帰還! 
他にも特急電車での行き方もあるみたいだったんだけど、コスパを重視して往復バスにした。

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ちなみに戻ってエルサレムでこれを食べた。
よく食べた。3回くらい笑
とても美味しかった、、宿から15分くらい離れたところにあるから、帰りに食べて宿に戻った。

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ちなみに私も2時間ほどビーチでチルタイムを堪能しました。 

次の日は、再びパレスチナへ

前回同様、宿から旧市街まで歩き、アラブバスでベツレヘムまで1時間乗った。
やはり前と同じところに下されその後、タクシーの勧誘を無視して南に歩くと小さいバンが何台か止まっており、行き先を運転手に聞いてみると「イブロ」と言ってたので、
たぶんこれがヘブロン行きだと乗り込み成功。

待つこと30分。
全員アラブ人の女性で賑わった車内で出発。みなおれを物珍しそうに見るのだ、 完全にアウェーだわ。

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かなりのスピードで1時間くらい乗せられた。
非常に心配になった。

徐々に車内の人が減っていき、ついに僕と1人の女性と運転手だけになった。そしてどうやらヘブロンに到着したようだ。
女性が必死にアラブ語で俺に話しかけてくる。
おそらく戻ってくる場所は(帰りのバスは)向こうだから。みたいなことを。なるべく早く戻ってこいみたいなジェスチャーにみえた。

ここみんな英語喋れない、(俺もだけど)

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おそらくここに下されて、 

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上は降りた瞬間の景色。
みんな俺のことを見ては物珍しそうにみてくる。こんなところにアジア人は驚きだろうな。
だってここは危険区域レベル3(今すぐ渡航を中止してください)だからな。

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街中はこんな感じだったが、歩くことすぐに物静かになっていった

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なんか、怖くなってきたな。

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するとこんなゲートが、

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簡易的な入国審査があったのだ。そう、ここヘブロンに行きたかった理由は、この街はパレスチナ自治区のものであるにもか変わらずイスラエルが支配する場所があるためだ。
検問を抜けると。

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アラブ人が生活をしていた地区を強制的に追い出して、そこを支配してる。コンクリートの壁を見ればわかると思うが一時的なものだろう。なんのため?至る所にイスラエルの国旗で怖さを感じた。

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途中見回りのイスラエル兵に遭遇。彼らは僕よりも一つ歳が上で、俺の出身が日本とわかったや否や「ナルト」をやってくれ!と言ってきた。よくわかんなかったがめちゃくちゃ可愛がってくれた。お茶をご馳走してくれた。彼らはとてもいい人だった。たぶん本心から日本をリスペクトしていた。俺も日本の文化を少し勉強しなくてはと肌で感じた。
ここでもガザには間違ってもいくなと伝えてくれた。 

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 きた道を戻り、ヘブロンのアラブ人居住区で観光していると1人の優しい商人に出会った。彼はベデルといい、声をかけてきてくれた。この人の店は目の前に巨大なイスラエルの見張り台がある

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イスラエル兵はとても睨んでるように見えた
ベデルさんはとても優しく、カレーをご馳走してくれた。彼はアラブ人だから外に出ることはできない。イスラエルがどうなってるかもあまり詳しくなさそうだった

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逆さまになってるけど"ようこそ"の文字をプレゼントした。あとアラビックコーヒーもお土産に買った。ベデルいろいろありがとう。

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アラビックのコーヒーはこのように作る。

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めちゃくちゃ美味しかった。ベデルにお礼を言い、熱い抱擁をして、ヘブロン中心地に帰還。小さなバンが止まっていたので乗り込み、ベツレヘムまで戻ることにした

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