「構えない」という構え

(※この記事は2024年2月「 #1か月間ブログ書くぞ 」企画の記事です。)

みなさん、こんにちは。
インドネシアでメディア広告事業を経営しています、長谷川と申します。

自分が理想としているスタンスの一つとして「構えない」というのがあるのですが、そのことについて少し書いてみたいと思います。


物事にはいろいろな「構え」がある

物事にあたるときの心と身体と脳の事前準備として「心構え」「身構え」「気構え」といったような事前の「構え方」があって、構え方次第で物事がうまく進んだり、想定外の変化に対応できなかったりなどということが実際あると思うのです。

「心構え」は、その物事にあたる時の「心の準備」のこと。例えば、クラスの学級委員長になるから「自分のことだけでなく、クラスメイトのことも考えるようにしよう」「人前で話すことが多くなるから、緊張しないように準備しよう」といった構えで心を持つことです。

「身構え」は身体の準備、仕事で言えばその物事にあたる具体的な構えの体制のこと。「気構え」は、その物事に対する気持ちや脳の構えの体制のこと、を表していると私は考えております。

武道でも「上段の構え」「下段の構え」「脇構え」「正眼の構え」など多様な構えの型があり、将棋でも「穴熊囲い」「美濃囲い」「矢倉囲い」などと戦い方の陣形の型があったりしますが、私たち普段の生活の中でもみなさんそれぞれのコミュニケーションの「構え」があるなと感じております。

その中でも私が一つ理想としているのは「構えない」というスタイルです。

「構えない」という構え

「構えない」というのは文字通り上段にも下段にも構えませんので、相手からの特定のコミュニケーションや展開を事前に想定せずに、良く言えば何のバイアスもかけないニュートラルな受けの状態、悪く言うと何も深く考えて準備しない状態です。

この「構えない」ことのデメリットは、ある特定の未来に対して準備をしているわけではないので特定の未来が来た場合に対応が遅れます。逆にメリットとしては、どんな未来が来ても新鮮に柔軟に対応できるという点です。

これが対人になりますと心理学的な要素も加わって、「構えていない」=「敵視していない」「戦う意思がない」といったイメージにもなり、相手から無闇に攻撃をされたり、不必要に警戒されたりすることがほとんど無くなります。結果として、対人コミュニケーションにおいて初対面の段階でほとんど戦わないでやり過ごせることが多いです。

結局ほとんどのケースが戦わない結果になるため、構えと呼んで良いのかわかりませんが、自分の中ではこれも一つの「構えない」と言う構えだと捉えて、自分の理想のスタンスとしています。

映画「雨あがる」の伊兵衛

私が好きな映画の一つに、巨匠 黒澤明監督の遺稿を映画化した「雨あがる」という時代劇映画があるのですが、この映画の中で出てくる三沢伊兵衛という武士がまさに「構えない」構えと生き方をしていて、自分の中での「在りたい」形の一つの例としてずっと心に残っています。

オススメの映画なので、ぜひ「雨あがる」観てください!

ここでは本筋から逸れるので物語の概要は省きますが、ここで登場する伊兵衛が道場破りをした名門道場の師範と対峙した際に、道場主の師範から「一見隙だらけなように見えるが、 平然と構えていて勝とうとする欲がさらに見えん、捉え所が全くない。参った。」と言われるシーンが私の中で印象的でして、この「勝とうとする欲がない」状態というのが一見隙だらけなようで、肩に力が入らないで自然体で居られるために返って相手から攻め込まれにくい = 負けにくい ということなのではないかと気付かされたシーンでした。

自分があまりビジネス界の誰かに憧れるといったことは無いのですが、この「雨あがる」の伊兵衛のような生き方・在り方には憧れます。歳を重ねながらこのような人物に近づけたらと思います。

今日は「構えない」という構えについて書きました、みなさんの明日に何かのプラスになっていましたら嬉しく思います。

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