ビル・ゲイツの思考哲学
世界の皆さん、Windowsユーザーの皆さんこんにちは!
偏差値が48の成田悠輔です。(笑)
最近、成田悠輔と書き込みまくっているせいか、いままで「ゆうすけ」と打ち込んで変換が「祐輔」だったり頑張って候補を探しても「悠介」しか出てこなくて、探しきれずとりあえず変換、確定して介だけ消して、輔を打ち込んでだったのがスムーズに悠輔が出てくるようになり嬉しく感じる今日この頃でございます。
さて、今回は世界長者番付13年連続1位!
課題解決の鬼と呼ばれる、男 ビル・ゲイツ 彼の成功できる思考ルールが書かれた「ビル・ゲイツの思考哲学」についての記事を書いていきたいと思います。
ビル・ゲイツって何者?
ビル・ゲイツと聞いて、あなたはどんなイメージを思い浮かべるだろうか?
「世界のビジネスに必要不可欠なソフトウェアを生み出したITの天才」
「世界征服をはたしたコンピューターオタクでしょ」
「世界一の大富豪。うんざりするぐらいにね!」
しかし、現在のゲイツはこうも呼ばれている。
「ビル・ゲイツ? 彼は究極の慈善活動家だよ」
若いころは名声や物質的な利益のために、必要とあらば容赦ない決断も下してきた。
しかし、年を重ねてからは、個人的な資産を増やすことよりも、富の最良の使い道を考えるようになった。
ゲイツの変身ぶりは、人生のどの部分からも、私たちに大切な部分を教えてくれることだろう。
1.知力を磨き、勝つことに貪欲になる
「困難に対してクリエィティブな方法で向き合えば、人生はもっと楽しくなるんです」
ウィリアム・ヘンリー・ゲイツ3世は、1955年10月28日、ワシントン州シアトルに生まれた。愛称はビル。
ビルの父、ウィリアム・ゲイツ・シニアは弁護士、母のメアリーは教師であり実業家だった。ビルは3兄弟の2人目で、雄一の男の子だった。
知性と供用を兼ね備えた両親は、子供達が幼いころから知的な成長に役立つものに関心を向けるように育てた。
例えば、登校日の前夜にはテレビを見てはいけないというルールがあったがビルは問題なく受け入れていた。
「テレビを嫌っているわけではありませんが、あれはあまり頭を使いませんからね」
ゲイツ一家は、テレビ画面に張り付く代わりに会話やトランプゲーム、読書などにふけったのだ。
特に読書は人生のあらゆる段階で、ゲイツの人間性を形作るのに大きな役割を果たした。
その後、ビル少年は特に数学と科学の分野で才能を開花させ、1973年には大学進学適性試験(SAT)の数学で800点満点を取った。
周囲がその有望さに、気づくまでにも時間はかからなかった。
アイビーリーグのいくつかの大学から誘いがあり、ビルはハーバード大学を選んだ。
ビルゲイツの思考哲学
日常のささいな勝負であっても、とにかく勝つことにこだわる
自分の興味関心や才能が活かせるジャンルにのめりこむ
時事問題からささいなことに至るまで、自分の意見を持ち、他人に伝える
事実を吸収、理解し、ストックしておき、つなぎ合わせてアイディアを生み出す。
2.異なる業界の友人を作り刺激をもらう
「この世の誰とも自分を比べてはいけない。そんなことをするのは自分に対する侮辱だ」
ゲイツが最も尊敬してやまない友人は、投資家ウォーレン・バフェットその人である。
バフェットはゲイツが慈善活動家になるまでの道のりにも大きな影響を与えてきた。
しかし、実はバフェットはマイクロソフトへの投資はしていない。
それは、彼が「自分が自信をもって理解できる分野にしか金を出さない」という考えを持っているからだ。
一方で、バフェットは起業家としてのゲイツの才能を多いに認めている。
2008年テレビ番組でゲイツは次のように語っている。
「ウォーレン・バフェット氏は、高潔かつ思慮深くありながら、何事も楽しんで行うという点で、私のロールモデルに最も近い存在です。私は今でも父からいろいろと学んでいますし、ウォーレンからも学び続けていますよ。
なにか決断をするときには父やウォーレンだったら、この問題にどう向き合うのだろうかといつも考えていますね」
ビルゲイツの思考哲学
依業界で自分と似た感性、嗜好を持った人物と交流する
尊敬でき、自身のロールモデルにもなる友人を見つける
友人とは互いの才能や信条を認め合い、高め合うようにする
3.はみ出し者のオタクであることを誇れ
「オタクというのが、夜遅くまで何時間もコンピューターをいじって喜んでいる人という意味なら、私はその通りですし、それが悪口だとも思いません」
学生時代やマイクロソフト創設時の写真に収まるゲイツは、まさにオタク青年そのものだ。
ゲイツのオタクのイメージをさらに強めたのは、とくに会議中などに体を前後に揺らす癖があるという噂だ。
子供時代のゲイツは、お気に入りの木馬に揺られながら、世界について思いを巡らせていたという。
つまり、その動きが心地よいものとして大人になっても残ってしまったというわけだ。
また、ビル少年は異常なほどジャンプが好きなことでも知られていた。
箱に身を潜めて飛び出すという遊びを好んでいたが、段々とレベルを上げていき、子供のお遊びの域を超えるほどにそのジャンプの技を磨き続けた。
ニューヨーカー誌でゲイツはこのように語っている。
「昔のように考えなしに飛び跳ねることはもうありませんよ。会社を始めたころのようにはね…。あの頃は会議中でも飛んでいましたが…。」
ゲイツは、少年時代から多くの先人たちのように、自分が仲間に入れないのなら自分で仲間を作って、そのトップになった方がよいと考えた。
そうすれば、好きなだけコンピューターを独り占めしたり、箱から飛び出したり、前後に体をゆすったりできるのだから。
スティーブ・ジョブズが、個性と哲学の代表者としての地位を築いていた一方で、ゲイツは長い間、仕事ひと筋のスーパーオタクとして揶揄されることになる。
ビル・ゲイツの思考哲学
自分が仲間に入れないのなら、自らチームを作り、リーダーになった方がいい
オタクと揶揄されるほど、物事に没頭してみる
4.はったりを演じてでも、チャンスをつかむ
「会社を作ろう。なあ、そうしよう」
1975年はゲイツにとって大きな変化をもたらした運命的な年である。
そして、その多くはポール・アレン(共同創業者)とアルテア8800がきっかけとなった。
1975年はパーソナルコンピューターの開発においてもまさしく節目の年だった。
Micro Instrumentation and Telemetry Systens(MITS社)がアルテア8800という上級マニア向けのマイクロコンピューター自作キットをリリースしたからだ。
ゲイツはアルテア8800を開発したMITS社の創業者、エド・ロバーツに思い切ったアプローチを仕掛ける。
「私とアレンはアルテア8800用に、BASICで書かれたプログラムを実行するインタープリターを開発しました」
BASICとは1960年代半ばから広く使われ始めたコンピューター言語である。
この話にロバーツは興味を示し、6週間後に米国のニューメキシコ州アルパカーキにあるMITS社のオフィスでデモンストレーションを行う約束が交わされた。
「よくやった、これで大成功だ!」と言いたいところだが、当時の二人は大きな問題を抱えていた。そう、ゲイツとアレンはまだMITS社に披露できるようなものは何一つ作っていなかったのだ。
しかし、チャンスが来たならやるしかない。
ゲイツは当時のプログラムについてこう語っている。
「それまでに書いたプログラムの中で、最高にクールな出来栄えでしたね」
ゲイツはMITS社と3000ドルと著作権使用料を支払う契約を見事に結んだ。
こうしてゲイツとアレンは、マイクロソフトを本格的に始動させ、ソフトウェアビジネスという業界リーダーを目指すことになる。
ビルゲイツの思考哲学
勝負事では、手段を選ばない。ときには自ら売り込みや説得を行う
常に「チャンスを逃すわけにはいかない」という焦りを抱いて仕事をする
チャンスをつかむために堂々とはったりを演じる
はったりは死ぬ気で実現させる
5.信じられないくらい壮大な夢を持とう
「会社を始めた当初から、我々のスローガンは『すべてのデスク、すべての家庭にコンピューターを』だった」
ある者にとってはSF小説のようにしか思えなかったものが、マイクロソフトによってみるみるうちに現実となっていった。
1985年にはグラフィカルなウィンドウズOSを発売し、文書作成・編集用のワードと表計算用のエクセルなどといったアプリケーションソフトを発表したことで、マイクロソフトはますます成長していった。
1990年代半ばには全世界のソフトウェア市場で支配的と言ってもいいほどの地位に上り詰め、その後、少し遅れるようにしてインターネットの波にも乗った。
こうした成功は更なる夢を描く余地へとつながったのだ。
ビルゲイツの思考哲学
・ライバルよりも遠い未来を見据えて戦略を立てる
・現状に甘んじず、新たな挑戦を続ける
・課題の本質を捉え、小手先に留まらないスケールの大きな目標を掲げる
6.先頭で指揮を執り、一度決めたことはくつがえさない
「一度決めたことを考え直してはいけない。同じ問題を見直すという無駄を犯さないよう、時間をかけてよく考え、一度で確実な決断を下すべきだ」
いつまでも学生のような見た目と、感動的な演説には向かないであろう高い声や口調からしても、ゲイツは偉大なリーダーの典型的タイプから外れていた。
それでも、ゲイツはいろいろな意味で現代の最も著名なリーダーの一人へと進化した。
ソフトウェアと慈善活動、まったく異なる二つのフィールドにおいて、創造的な思考力、現実への対応力、組織の統率力、人々を奮い立たせる力を兼ねそろえていることを証明してきたのである。
ゲイツはマイクロソフトの部下や同僚に対してよく苛立った態度を見せることで有名だった。
答えたくない質問には相手をただにらみつけてやり過ごす癖などがあった。
しかし、ゲイツは多くの人からの忠誠心を集め、有無を言わさぬ結果で応えた。
ゲイツは、経営管理をしっかりと行い、決断を下すときはエビデンスと直感の両方に基づいて行う。
2009年にコロンビア大学で行った講演ではこう語っている。
「人生には、自分に自信を持たなければならない、大事な瞬間が何度か訪れます。自分を信じ”YES”と答える。それを同時に行わなければならない瞬間です — その瞬間をしっかりつかまえなければいけません。そう何度も訪れてはくれませんから」
ビルゲイツの思考哲学
・真のリーダーとは自分が不在でも成功できるように組織を育てる
・リーダーの役割は権力を強化することではなく、ある基準に沿って仕事が進められているかを見渡すことである
・詳細をすべて聞いてから会議に出席し、無駄話はしない
・経営判断は根拠(エビデンス)にと感性(直感)の両面から決定する
・富を得る事よりも、仕事をすることの方が楽しいと言えるように働く
7.友は近くに、敵はより近くに置き、尊敬せよ
「是非ともスティーブのようなセンスが欲しいですね」
ジョブズの死去に際して、ゲイツは声明を出している。
「スティーブと私が出会ったのは30年近く前のことで、人生の半分以上を仕事仲間、ライバル、友人として過ごしてきました。スティーブのように大きなインパクトを世の中に与える人物は、めったに現れるものではありません。その影響は、この先何世代にもわたって続いていくことでしょう」
二人の間にあったのは、間違いなく、互いを高め合う種類のライバル関係だった。
そのような関係があったことを、パソコンユーザーなら誰しもが感謝するべきだ。
二人の争いは時に激しさを増したが、結局どちらも敗者になっていない。
1970年代以降世界を変えたテクノロジー革命の中で、それぞれが途轍もなく大きな役割を果たした。
ジョブズの言葉を借りれば、二人とも目を見張るような「dent in the universe(宇宙への衝撃を与えた)」と言えるだろう。
ビルゲイツの思考哲学
・自分とは全く違うやり方のライバルを持つ
・ライバルには敬意をはらい、有能さを認める
・ライバルを糧に、自分の強みを高めていく
8.莫大な資産はプレッシャーにつながる
「私は億万長者になんてなりたくなかった…。いいことなんて何もありませんよ」
2015年にはビル・ゲイツがトップの座を守り、資産は790億ドルと推定されている。
ゲイツの1位は2年連続で、2009年から2013年の間はメキシコの大物実業家であるカルロス・スリムに続いて2位にランクインしていた。
2008年は、その年の第1位だった親友のウォーレン・バフェットに次ぐ2位となったが、1995年から2007年に至るまで、毎年1位の座を占め続けた。
計算の仕方によっては、ゲイツよりも大きな富を誇っていた歴史上の人物もいる。
例えば、石油王ジョン・D・ロックフェラーは、資産評価額が最大の時で当時の国の全体のGDPの1.5%に相当したが、ゲイツの預金残高は2013年時点での米国GDPの0.4%ほどにしかならない。
しかし、ドルベースで表すならば、ゲイツほどの大富豪はこれまでに存在したことがない。
若いころ、ゲイツは30歳になるまでに百万長者になると誓ったと言われている。
現実には予定よりも数年早くその目標を達成した。
さらに30歳をほんの少し過ぎたころで億万長者にまでなった。
1990年代後半には世界一の大富豪の座に就いた。
しかし、金持ちであることはそれほど良いものでもないらしい。
「金持ちは何をしても認めてもらえない」とゲイツは考えているらしい。
ビルゲイツの思考哲学
・若いうちから、「〇歳でいくら稼ぐ」という目標を立てておく
・社員をつなぎ留め、仕事へのモチベーションを高めるために利益を分配する
・金持ちは必ずしも幸福とは限らない。むしろ、認めてもらえない苦しみがある
9.夢を見つけたいなら、まずは本を読め
「子供の頃は本当にたくさんの夢がありました。その大部分は、たくさん読書をする機会があったおかげで生まれたものだと思います」
パソコンやそれにまつわる娯楽とともに育った世代は、読書などの伝統的な余暇の過ごし方から遠ざかっているのではないかという意見が最近よく聞かれ、広く議論されている。
心強いことにゲイツはあらゆる種類の本を読む、驚くほどの読書家だ。
「子供の頃、両親はいつも私にたくさんの本を読み、自分でものを考えるようにしなさいと言っていました。本のことから政治まで、いろいろなテーマの話に私たちを参加させてくれました」
本の虫なのは大人になってからも変わらず、毎日一時間は読書に充てる時間を作り、週末にはさらに長い時間を割いてきた。
本に限らず、新聞や週刊誌も読んで、時事問題から最新のコンピューター技術まで幅広いテーマに関する情報も仕入れるようにしている。
ビルゲイツの思考哲学
・読書を通じて、自分の力でモノを考える習慣をつける
・子どもの頃は興味のある分野の本を中心に、好奇心や冒険心をかき立てる本を読む
・毎日一時間は読書をする時間を設け、年に数回ほど「think weeks(思考週間)」を設ける
・ベストセラーか否かを基準にするのではなく、「世界を知るため」に本を読む
10.功績を残すこと目標としてはいけない
「レガシーなどくだらない、私はレガシーなどいりません」
ゲイツのマイクロソフトでの仕事は、少なくともある程度は間違いなく称賛と経済的な成功を手に入れたいというのが動機だったが、自分に対する世間の目というものは決して過剰に気にかけたことはなかった。
しかし、ゲイツは人生後半のステージを進むごとに、歴史がゲイツを好意的に見る確率は高まっているようだ。
ビジネスで名を上げて、財産を築き、慈善活動家として第2の人生を送る人物は決してゲイツが初めてではないが、これほど堂々たる規模でおこなった人物は過去100年以上を振り返ってみてもいない。
現在ゲイツが大きな尊敬を集めている証拠は、市場調査会社である YouGovが英国のタイムズ紙のために2015年初めに行った世論調査に表れている。この調査は世界13か国の1万4000人を対象に行われ、最も尊敬する人物を尋ねたものだ。ゲイツの名前が回答の10.1%を占め、9.3%のバラク・オバマを上回り完全な勝利を収めた。ほかに4%以上の割合を占めた回答はなかった。
ビルゲイツの思考哲学
・他人からの評価や心象を気にしない
・人々は誰かの成功を伝説化したがるが、それに踊らされてはいけない
・歴史に名を残したり、後世でも評価されることを目標としない
・世界、ひいては地球が素晴らしいものであることを信じ、その改善に取り組む
まとめ
ビルゲイツが常に対比をされる人物はやはりスティーブジョブズであろう。
スティーブジョブズの印象は、カリスマ性と美的センス、天才的な発想があり、iPhoneを誕生させた時は、世界を熱狂させ巨大ハイテク企業創業者の中でもひときわ大きい存在感を放つ印象を持たせる。
一方で、ビルゲイツは、天才的頭脳を持ち、冷徹な方法で市場を独占する。
iPhoneやタブレットはスティーブジョブズにシェアを取られてしまったが、あらゆるテクノロジー業界の分野でシェアを独占する方法はとても長けているイメージがある。
スティーブが陽と例えるなら、ゲイツが陰だとみる人も多いだろう。
ただ、このゲイツの哲学が詰まった本書を読むと、スティーブに負けず劣らずの熱い熱意をもち、純粋に仕事に没頭しシェアを拡大してきたのだと感じさせてくれる。
あまり人間ぽさを感じさせないイメージを持つが、自分の信念にはまっすぐな気持ちを持ち、一度決めたことや掴んだチャンスがあれば、折れることなくやり続ける、やり遂げる誰もがそうでなくてはならないと思うが、なかなかできないことをやり遂げる、泥臭さも併せ持った人物なんだと思いました。
どんな天才でも、ただならぬ努力があってこその成功であり、チャンスをつかむことができるということを改めて勉強させられました。
一つの成功にとらわれず、成功しても次の戦略や社会に求められるものを次から次へと考えては思考していく。
偉大な人物の思考哲学は、誰でも簡単に理解できるが、並大抵の決意では真似できない、とても意思がはっきりと顕在することがわかりました。
私の人生においてもとても勉強になる指針だと感じました。
終わり