舞台『お気に召すまま!?』
7月から続いてきた社会人演劇WSの発表公演が、今日で終わった。
2日間で3公演。もうすぐ五十路に差し掛かろうとする怠惰な身体にはほどよく限界な回数だった気もする。
前回の『第七官界彷徨』は役者というよりも演出・制作的な役回りが大半だったので、実質役者として舞台に立ったのは『ひばり』以来ということになる。そう考えると実に5年ぶりくらいのブランクがあった、ということ、そして、なんだかんだでこれがまだ役者としてはまだまだ人生で3本目の舞台だったんだ、ということに、すべてが終わった今になって気づく。
そう考えると、本番前まったく緊張しなかったのは、度胸が据わっているということなのか、緩みすぎなのか…。もう少し緊張感持てよ、自分。
演出とコーチの違い
今回は先生が2人ついているちょっと特殊なWSで、基礎レッスン期間は二人の先生がそれぞれの専門を生かしたメニューを、WS公演に向けては秋江先生が演出、とも先生が演技コーチという役割を担ってくださっていた。
最初はこの役割分担を自分もちゃんと理解できていなくて、何をどちらに頼ればいいのか迷っていたのだが、次第に秋江先生からはどう見せたいかという演出の指示を受け、それを実現するための内面の繋がりの作り方をとも先生にアドバイス頂けばいいんだ、ということが明確になっていった。
そういう役割から、役作りにおける演技スキルの部分はとも先生のアドバイスを活かすことが今回は多く、基礎レッスンで秋江先生に学んだことを自力では演技にうまく活かせなかったことが心残りでもある。フィジカルのアプローチももっとうまく使いこなせるようになっていきたい。
シルヴィアス、という役について
今回は社会人WS向けの当て書き、ということもあり、シルヴィアスという役の弱さ、情けなさや、振り回されることに幸せを感じてしまう部分など、自分が持つ素質に比較的近しい役をもらった。そういう意味では、基本的には比較的無理なく演じることができる役だった。
違う点といえば、自分が恋愛体質でないことと、告白をする勇気と強さなど持ち合わせていないこと。
前者はけっこう困るかなと思ってあれこれ役作りの過程で準備していたのだが、フィービー役のなっちゃんとシーンを重ねる中で、割と早い段階でクリアすることができた。このあたりの見つけ方は、リピテーションの経験や、五感の記憶を使うという手段をある程度うまく使えたのが大きかった。もちろん、なっちゃんが発するものの大きさ、そこから受ける影響が大きかったことが大前提なんだけど。
躓いて最後まで苦労したのは後者だった。役としての人生の背景、そこからそのシーンで起きていることから受ける影響、純粋にその場にいるなっちゃんから受け取る情報、フィジカルなアクション。これらを総動員して、素の自分にない感覚を、役としてもち、表現にのせることができるか。ここは最後の最後まで安定しなかったし、もっと伝わるようになりたかったかな。
『WSの発表会』って言われたくない
WSの発表会なんだけど、それを超えたい、社会人やりながら演劇を趣味でやっていてもここまでやれるんだって見せたい、っていう欲がずっとある。(演技をする中でこの欲が「うまく見せよう、見せたい」になって邪魔をするっていうことはもうさすがに無くなってきたけど)
そこまではやっぱり今回も行けなかったなあ、というのが終わった直後の正直な感想で、もう何年演劇習ってるんだよ、って悔しい気持ちでいっぱいだったんだけど。
この文章を書き始めてみて、最初に書いた通りまだ舞台に立つのが3回目、実に5年ぶりだったことに気づいて。そりゃまだまだだよなと。
今回も足りないものにたくさん気づかされたし、来年はやっぱり基礎をしっかり固めることと、身体づくりをすることをやろうと。
バッターボックスに立つ機会も作りたいけど。数も必要だしね。
1つだけ感じられた成長
そんな中でも1つだけ今回成長できたかな、と思うことがあるとすれば。
稽古の過程で積み上げてきたものや役作りで準備してきたこと、パターンを全部真っ白にして、舞台に立てたこと。
セリフを思い出す脳がはたらくこともなく、相手に集中できて、役として言葉や行動がすんなりでてきたことかなと。
セリフ量や出番の数もそこまで多くなかったこともあって、自分の中に落としこむことまではもって行けたのかな。
新しい出会いに感謝
音響・照明にはるさんとみくてぃさんが来てくれたことは、インプロ界隈の舞台も観て一方的に二人を存じ上げていた自分にはすごく嬉しくて。
こんな社会人のWS発表会に来てくれるんだー!と思ったのと同時に、音響・照明が付いた瞬間、こんなに演技がしやすくなるんだと役者として感動して、つくづく贅沢な時間だなあと思ってた。
そしてもちろん、今回初めて共演した仲間もたくさんいて。一緒に公演を作り上げていくプロセスは、その人がすごくよく見えて、愛おしくなっていって、やっぱりかけがえのない時間だなあと思う。
自分はいつまでも大人の文化祭を遊び続けるんだろうな。