「このボックスのなかで釣ったことあるルアーって何個ッスか?」
季節の変わりめになると使うルアーの種類も変化する。真夏日が連続していたゴールデンウイークの深夜、押し入れからタックルボックスをひとヤマ、運び出して、これから登板機会が増えそうなトップウォーターを普段のボックスに移動させたり、先端の甘くなったフックを交換したり、プロップペッパーのカチカチ鳴るペラをほかのスイッシャーに移植したりしていた。
それにしてもガチで山。バス釣りってこんなにルアーが必要なんですか? と訊ねられて答えに窮するぐらいには山盛りだ。
「状況に応じて使い分けたりするので必要なんですよ。もちろん自分がその域に達しているわけではないんですが、どんなルアーでも構わないなら運試しになっちゃうわけで、釣りは運でしょって言われがちだけど実際には違うから、いや、たしかに運の要素も数パーセントは存在するかもしれない、まぁでも上手なヒトほど運じゃなくて実力、だから上手いヒトはいつも釣ってくるわけで、じゃあ“上手い”ってなんなのかを掘り下げていくと、とどのつまり『ルアーを状況に応じて使い分ける』ってことが、かなりの部分を占めているわけで……」
架空の質問の答えを探しているうちに、ひとつの疑問が生じた。
『使い分ける』という表現のなかには、実際には『使い分けて、そしてバスを釣る』という意味が含まれていると考えていい。ルアーを投げて、すぐ交換して、また投げて、を繰り返しているだけなら『使い分けている』ことにはならないからだ。それこそ運試しでしかない。
だとしたら、自分はこの山盛りのルアーのなかで、いったい何個ぐらいをちゃんと『使い分けて、そしてバスを釣』ったことがあるのかしら。きちんと数えてみたことがないのだ。
「このボックスのなかで釣ったことあるルアーって何個ッスか?」
思い返せば、他人にもそんな質問をしたことは一度もない。なぜかといえば、それがとても不躾で失礼な質問である、というような暗黙の了解があるから。めちゃくちゃ興味があって知りたいことなのに、うまくなるために必要な扉のひとつなのに、無意識にシャットアウトしてきたのだと思う。
Basserという雑誌にかつて『Inside His Box』という人気企画があって、バスプロがガチで使うタックルボックスの中身を全部見せちゃいますよ、というのが売りだった。何度か取材を担当したが「ところで、このボックスのなかで……」などと聞こうとは思いもよらなかった(関係ないが「His」も今なら要修正だな)。
ちなみに、この「釣ったことがあるルアーを聞くのが失礼」な傾向は、対象がハードルアーだと余計に高まる気がする。何千円もするハンドメイドルアーやビッグベイトをたくさん持っているヒトにはますます聞けない。
「このボックスのなかで釣ったことあるルアーって何個ッスか?」
他人に聞けないとしても自分の恥を晒すぶんには問題ないだろう。ということで、レッツ・カウント!