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バス釣りやってるひとが怖かった。

だってグラサンかけてるから。

バスをやりはじめたのは、国道171号線沿いの「京都府下で当時いちばん規模の大きなエロ本自販機コーナー」が設置されていたエリアの中学校に通っていた時期だった。1993年ごろなので、ボンタン履いて学ランの内側に刺繍入れてるタイプの先輩が、まだぎりぎりかろうじて存在していた。

そういう環境だったせいか、ひるひなかにサングラスかけてるのは全部ヤンキーだと思っていたフシがある。家から自転車で5分の野池でバスハンターを投げていると、そういう風貌のお兄ちゃんがちょいちょいやってくる。初代カルカッタとか赤メタとか、100m離れても高級リールだとわかるタックルで沖に超遠投している。

こちとらイチキュッパのチョイ投げセットだし、そもそもスピニングだし、ヤンキー怖いし、「なにあいつグラサンかけていちょってんねん」と思っていた。ボンタン、短ラン、グラサン。あれが正式には「偏光グラス」という名称で、ファッションではなくて機能性を求めて装着しているのだと理解したのはそれから2〜3年あとだった。

怖いといえば「プロショップ」もたいがい怖い。

店先に練りエサが積まれている近所の釣具屋さんで買えるのはバラ売りのトーナメントワームやスーパーグラブなどで、雑誌に載っているようなアメリカンルアーはなかなか手に入らなかった。ある日、チャリで45分くらいかければ伏見区のポパイ本店に行けることがわかって友達と遠征することにした。

まずビビったのは、身長2mぐらいありそうなハーフ顔の店員さんがいたこと。ストレートなデニムに薄いブルーのシャンブレーシャツをインして、ごついバックルのついたベルトを締めていた気がする。レンジャーボートが並ぶ駐車場に、化け物のようなランカーがひしめく巨大水槽に、ダイエーの生鮮食料品売り場なみの規模を誇る店内。

ガラガラっと戸を開けると万引き防止のチャイムが鳴って「らっしゃい〜」とオバハンが出てくる近所の店とは雲泥の差だった。たぶん、いや絶対に中学生なんか相手にしていない雰囲気だったし、実際にフランクに話しかけられた記憶もない。そしていまだに、プロショップ的な店に入るときは少し緊張する。「子どもが買うようなものは置いてないよ」と言われそうで。

初めてレンタルボートの大会に出たときには、また別種の怖さがあった。バリバリの運動部に途中入部するような怖さ。

2012年か2013年ぐらいだったと思う。場所は、それまで一度ぐらいしか経験のない牛久沼。なぜここにしたかというと、Basser編集部のS々木君が毎月参加している(と錯覚していた)から。さすがに、ひとりも顔見知りのいないコミュニティに「こんちわー」と突撃する勇気はないなと。

ところが、大会のためにボートを予約したことを話すと「がんばってください!」と他人事のような反応。「今月はボクは仕事で行けないんですけど」。マジで?

牛久沼に通うローカルアングラーたちを、あるひとが「野良犬集団」と呼んでいた(リスペクトを込めて)。個性的でキャラの濃い一匹狼タイプが多い、という意味だと今なら理解できるが、そんなことを知らずとも、大会の朝、牛久沼たまやボートに集まってきた顔ぶれを見ただけで、なんとなく雰囲気が伝わってきた。めっちゃタトゥー入ってる人いるんですけど!

そんなこんなで身体がこわばっていたのだろう。ボートにライブウェルを積もうとして、桟橋から沼に落ちた。一気にジュボッ!と頭まで。11月中旬の早朝、まだ夜明け前だった。幸いケガもなく、桟橋に引き上げてもらい、たまやボートの小屋のなかでストーブに当たった。そのまま誰かのお古の防寒着を借りて大会に出場してノーバイト。小春日和の暖かい1日で、吊り下げていたジーパンが昼過ぎには乾いていた。

このアクシデントをきっかけに、たまやメンバーとも会話のいとぐちが生まれてしだいに溶け込めました。

みたいなほっこりエピソードは存在しないのだけれど、仕事やプライベートで何度か牛久沼界隈に足を運ぶうち、いつしか親しく話せる人が増えてきた。怖そうな大会も、お店も、グラサンのお兄ちゃんも、本当はこっちがビビっている以上にウェルカムなのだと思う。どうせ同じ遊びが好きなのだから。迷ったら飛び込む。ガチの飛び込みはオススメしませんが。


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