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イヤイヤ期と「水が悪い」だいたい同じ説

「ターンしてる」。バス釣りでしばしば使われるフレーズだ。ギンギンに冷え込んだ晩秋の朝、水面が普段とは違うイヤ〜な感じになっているとき、そこでは「ターンオーバー」なる現象が起こっているらしい。表層の水が冷やされ、重くなって沈み込んだ結果、ボトム付近のヘドロチックな水が舞い上がる、それがターン。サオ先で水面をバチャバチャ叩くと、生じた泡がしばらく残っているような感じ。「水が悪いっすわ〜」と言いたくなる感じ。

「先週来たときに比べると水が悪くなったね」
「本湖は水がよかったのに上流に来るとダメ、水が悪すぎるわ」
「なんか急に食わなくなったんだけど、ひょっとしてカレントが出て悪い水が落ちてきたせい?」

たとえばアオコの大発生。たとえばカフェオレ色の酷い濁り。稲渋。爆風で底荒れしたウィンディーサイドなどなど、ターンオーバーに限らず「水が悪い」とコメントしたくなるような状況は、1年を通じていろいろ発生する。「いろいろ」なのだから、原因もひとつではない。てことは、それによる影響も複雑多様なはずだ。

だけどついつい、そういうのをすべてひっくるめて「水が悪い」と言っちゃう。それがよくない気がする。釣り歴の浅いヒトが聞いたらこんなふうに受け取ってしまうではないか。「悪い、と表現するからには、ブラックバスにとって“悪影響”があるのだろうな、こういう水は」。

これってちょっと「イヤイヤ期」に似ている。

それまでネギもホウレン草もわけへだてなく口に入れ、親が選んだ服を黙って着ていた娘が、いつのまにか「やだやだやだやだ!」と暴れるようになったのは1歳の後半だったか、2歳だったか。生活のあらゆる方面に好き嫌いのボーダーラインが敷かれ、意味不明なジャッジが下され、その基準が親にはわからない。そして僕の家は戦場になった。

「そろそろイヤイヤ期ですか」
「うちは3歳がいちばん酷かったなぁ、イヤイヤ期」
「イヤイヤ期だからしょうがない、がんばってw」

そういう概念があることは知っていた。とはいえ、実際に他人から「イヤイヤ期が云々」と言われる立場になって、似たようなフレーズを何度も繰り返し耳にするうち、違和感がどんどん大きくなった。その表現、どういう意味で使ってる?

「イヤイヤ期の定義」を、あらためて調べてみる。GoogleScholarで学術論文を開いてみたりもした。僕のチェックしたかぎり、明解な答えはぜんぜん出てこなかった。たとえば該当年齢ひとつとってみても、魔の2歳児だとか、3〜4歳で落ち着くとか、人によって言うことがバラバラ。

かろうじてわかったのは、なんらかのタイミングで幼児の自我がめざめ、それにともなってゴタゴタが巻き起こり、それらを総称して「イヤイヤ期」と呼んでいるにすぎない。ということだった。

×「イヤイヤ期である → だから子どもが荒れている」
○「子どもが荒れている → それをイヤイヤ期と親は呼ぶ」

便宜上「荒れている」と書いたけれど、この現象は実際のところ“成長そのもの”じゃないですか。だとしたら、「イヤイヤ期」などというネガティブな呼称をつける意味は、どこにもないじゃないですか?

ということで、最初のハナシに戻って整理すると、

×「水が悪い → だからバスが釣れない」
○「バスが釣れない → 水のせいにしておこう」

「水が悪い」に代わる新しい表現を提案してこの駄文の締めくくりにしようと思ったのだが、いい案が出てこない。

「水が悪いね、と言いがちなヒトには、むしろ腕じゃないッスかw と小声で返すべし」みたいなことばかり思い浮かぶ。僕の性格が悪いせいです。

イヤイヤ期

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