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磯釣りのベテランにバス釣りをナメられて、なんて答えよう?
ひょんなことから初めてグレ釣りに連れていってもらって、そのあとに別のひと(たぶん十歳ぐらい上の磯釣りのベテラン)から言われたことを、いまだに覚えている。「バスよりぜんぜん引くだろ?」
そういうことじゃないんだけどな、と思った。
これが、お祭りの金魚とヨーヨーだけが人生で唯一の釣り経験ですという人のセリフだったら平気で聞き流せたと思う。いつだったか、先輩の奥さんにブラックバス関係の仕事をしていると話したときに「へぇ、なんか環境に悪いサカナなんでしょ」と言われても別に腹は立たなかったし。
しかし件のベテランは釣りを生業にして四半世紀を暮らしてきた人で、磯だけでなくほぼオールジャンルの経験がある。もちろんバスも。その経歴を持ってしても「30センチのバスを釣っても楽しくないだろ、30センチのメジナはこんなにマッチョでぐいぐい引くんだぜ」に着地してしまうのか。
そういうことではない。……が、だとしたら、なんなんだ。
模範回答のひとつに、バス釣りはパターンフィッシングなんですよ、というヤツがある。「法則性・再現性が高い。ラッキーや偶然に左右される部分がきわめて少ない。だから競技が成立するんです。アメリカではプロスポーツとして確立されておりまして、ゴルフ並みの賞金が出る大会も(以下略。徐々に後半盛りはじめる傾向)」
なんとなくそれっぽい答えになっているようだが、厳密にパターンをうんぬんするなら「お祭りの金魚」にだってそれは存在する。釣りではなく「すくい」だけれど。金魚すくいの世界にも全国レベルの大会があり、たぶんそっちで優勝したほうが一般社会での評価は高い。きっとグレ釣りのコマセの作り方にだってパターンはある。
だとしたら、なんなのか。バスはグレの1/10も釣れないし、引きも弱いし、食わないから家族へのお土産もないし、ムダに新しいルアーに目移りしてコスパは悪いし、根掛かって切れたワームやイトは環境に悪いばかりだし、考えれば考えるほど先輩の奥さんが正しかったような気がしてくる。
でも、答えはある日とつぜん降りてきた。初夏。人生最悪レベルに酷かった相模湖でのH-1グランプリだった。プラクティスでいろいろやった結果、ちっちゃなスプーンを落とせば群れている子バスが無限に釣れるとわかり、とりあえずこれで3尾揃えて、あとはガンガン行こうぜパターンだな〜と余裕ぶっこいて迎えた当日、ちっちゃなスプーンはちっちゃなバスたちにガン無視された。パターンフィッシングどこいった?
3〜4時間あがいた結果、こんなことやってちゃダメだと思い、スピニングタックルのラインを切って片付けた。ところが終了30分前、見えバスの群れを前にして僕がとった行動は、再びスピニングにラインを通してちっちゃなスプーンを投げること。自分で自分を褒めたいデスという名言の真逆のヤツをあのときの自分に投げつけてやりたい。
大会が終わって、心身ともにボロボロなまま表彰式を遠巻きに眺めていた。表彰台のうえには神々が立っていた。最高にクレバーな発想や瞬発力で美しい魚を釣ってきた人たち。しかもバスプロとかじゃない、SNSでバズってるスーパーロコとかでもない、だけどヤバい普通のおっさんたちがいた。
僕だってまったく同じ湖で同じ時間を水のうえで過ごしていたのに、いったいこの差はなんなんですかね? って聞くと神様のひとりが答えてくれた。「バス釣りにパターンも答えもないっしょ。本質があるってことっしょ」「だからその本質がなんなのか知りたいんですけど」「だから本質がある、それだけっしょ」「煙に巻かないでくださいよ〜、ヒントだけでも」「ヒントどころか、もうぜんぶ言うたで」「は?」
なんだかよくわからなかった。おちょくられてるのかもしれなかった。でもあれから何度もこのときのことを反芻しているうち、ほんのちょっとだけわかったような気になる瞬間が増えた(ような気がする)。あの神様がなにを言っていたのかというと、つまり、そこには本質があるんですよ、ということを言っていたのだった。