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帰納と演繹。に惑わされるバス釣り

「釣り」全般の学習やレクチャーがほかのアウトドアの遊びに比べて難しいのには、いくつかの理由があると思う。

ひとつは原因と結果の因果関係があやふやなこと。たとえば「このルアーがとても効果的」といったメッセージがSNSやYou Tubeで発せられて、40cmを超えるバスが1日で5本釣れている、としよう。普通に考えれば爆釣だ。

でも、たまたまその日が良かったのかもしれないし、一週間ずっと撮影して6日分ボツにしているのかもしれないし、本当はほかのルアーなら20本釣れる場所かもしれないし、と疑っていけばキリがない。しかしまるっきり疑うのももったいない。じゃあ、こういうメッセージをどう受け取ったらいいのか。ちょっと考えてみる。

「このルアーで40cmが釣れた」「このルアーで1日5本が釣れた」。この部分は疑いようもない事実だろう。加えて、動画や雑誌記事であればそのほかの付帯条件もわかるので「あの場所で/あの時期に/あのカラーを/あんなふうに使って、このルアーで釣れた」なども推測できる。

問題はこのあとだ。上に挙げたいくつもの条件を満たしているから「このルアーはとても効果的」というメッセージには説得力がある。ロジカルに感じる。でも、これは「帰納」で釣りを語っているにすぎない。

具体的な事例を列挙して、そこから普遍的な結論や法則を導き出すのが「帰納」。その対義語が「演繹」で、こちらは普遍的な前提がまずあって、そこから個別具体的な結論を導き出す考え方。「リンゴは食べられる→赤いリンゴも青いリンゴも食べられる」というように。

ただし“演繹においては前提が真であれば結論も必然的に真であるが、帰納においては前提が真であるからといって結論が真であることは保証されない。

「このリンゴは赤い、あのリンゴも赤い→すべてのリンゴは赤い(帰納)」という理屈が、屁理屈でしかないことは誰にでもわかる。そんなふうに考えていくと、件のメッセージも「このルアーはとても効果的、な場合もあるよね特定の条件下においては」ぐらいに受け取るのが、妥当なリアクションだと思う。

「このルアーはとても効果的なのか! それなら自分の通っているあのフィールドでも効果的に違いない!」と、演繹モードでインプットしちゃうのが過ちのもとなのだ。帰納と演繹を取り違えてしまうから、悲劇が起こる。

……と、思いながら、やっぱり「結論」がほしい。だって、ブラックバスぜんぜん釣れないし。難しすぎるし。しょっちゅう釣りにいける環境にあるヒトなら努力と失敗の反復練習でじわじわ経験値を上げて、そのヒトなりの帰納法を磨き上げていけるだろう。だけど普通のヒトは誰かの見つけた「結論」を足掛かりにするしかなかったりするわけで、結果、しばしば失敗する。

この「失敗」という結論をどう扱えばいいのか? 続きます。


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